「あーもうー」



思わずそんな声を出してしまった理由は、この読書感想文を書け、という内容の宿題にある。この宿題を受けたのは一昨日で提出日は明日だから、ほとんどの人は昨日のうちに終わらせたんだろうけど、私は馬鹿なことに教室に小説と作文用紙を置いていってしまったのだ。

ゆえにこうして1人図書室で黙々と書き綴っているわけだけども(正直小説はあらすじだけ読んだというパターン。だってそうしないと時間ないし)、まぁ終わらない。元々文章力があまり無い私にとってこの宿題は酷だ。しかも、今はまだ16時だけど今日は19時から仕事が入っている。色々と準備があるからそろそろ帰らないといけないのに、手元にある作文用紙は何度見ても少ししか埋まってない。



「(仕方ない…)」



家でやろう。…仕事終わりに出来る気もしないけど。諦め半分でそう決めた私は、溜息を吐きながら荷物を整頓して、三つ編みを外した。モッサリした三つ編みは緩く結んでいるので、外したら程良いウェーブになる。今日はこの髪型で行こう。

そして、スカートと眼鏡は依然そのままの状態で図書室の扉を開ける。



「わっ!?」

「っ?」



だけど開けた先には男の子が立っていて、急なことだったからそのままぶつかってしまった。うーんちょっと痛い、と思いながらぶつけた鼻を労わるように擦る。



「…あ」

「…どうぞ」



…そこで私は窮地に追い込まれた。やばい。非常にやばい。そう、今ぶつかった弾みで眼鏡が外れてしまい、しかもあろうことかその眼鏡を拾ったのは男の子の方。私の顔を見ながらそれを手渡してくる彼の表情が、みるみると驚きに満ちて行く。



「あ、あの!」

「…何ですか」

「…分かりますか?」



主語も何も無い質問に関わらず、彼は若干気まずそうな表情で私から目を逸らした。この反応は確実に気付かれてる!そう確信し心の中は一瞬にしてパニックになったけれど、彼が走り出してしまう前にとりあえずでも釘を刺しておこうと思い、私は両手で彼の腕を懇願するように掴んだ。



「すみません、お願いです、この事は秘密にして下さい」

「むしろ言えないですよ」

「…ですよね」



焦りながらも私が必死に頭を下げてお願いすると、彼はそう言ってくれた。とはいえ安心出来るのはほんの少しだけで、私は彼のことを知ってる訳じゃないから完全に気を許すことはできない。あぁ、厄介なことになってしまった。



「貴方が朝倉泉さんですか」

「え?なんで知ってるんですか?」



するとそこで彼は、唐突に私の芸名では無く本名を当ててきた。これまた予想外の出来事に思わず目が見開く。



「跡部部長達がよく騒いでいるので」

「えっ、あ、貴方テニス部!?」



やっぱりやばい。言わないとは言ってくれたけど万が一彼が口を滑らしちゃったら、何故かテニス部に知り合いが多い私の身の保障は一気に崩れる。改めて窮地に立たされたことに顔面を蒼白させ、莫大な不安をぐるぐると頭の中で巡らせていると、彼は淡々と「俺は口滑らすとかいうヘマはしませんので」と言いのけて来た。まるで私の心を読んだようなその言葉に、再び間抜けた顔になる。



「…1つ聞いてもいいですか」

「え?」

「なんで、わざわざそんな格好してまで氷帝に入ったんですか」



そこで話は変わって、次はそんな質問が投げかけられて来た。彼は怪訝な目で私の全身を見て、やっぱりこの格好は流石に地味すぎるかと改めて苦笑する。



「確かに芸能人ばっかりが通う学校ってあるけどさ」

「ありますね」

「引越し先から氷帝が1番近いからかな?」



つい疑問口調になってしまったのは、別に氷帝じゃなくても変装をすることは変わりなかったからだ。しいていえば何処でも良かったのである。だから私がはっきりしない口調でそう答えれば、彼は頭を抱え盛大な溜息を吐いた。まぁ、他にも教育方針や校舎の設備の良さに惹かれたっていうのもあるけれど、初対面の人に長々と語ることじゃないしこれだけでいいだろう。



「そういえば、名前を聞いても良いですか?」

「2年の日吉若です」

「日吉君。よろしくね」



なんとなく話が落ち着いた所で私は、素性が割れている人の名前を知らないままでいるのは流石に嫌だなと思ったのでそう問いかけた。それに彼、もとい日吉君は非常にさっぱりとした返事をして来たので、私は今一度釘を刺す為に日吉君の顔を覗き込み、



「2人の秘密だからね?」



バラしたら承知しないよ、という意味合いも込めて笑顔そう告げた。お願いします日吉君、本当に2人だけの秘密で!私の必死な想いは伝わったのか、彼は少し間を置いてからはい、と小さく首を縦に振ってくれた。そうして帰ると歩いて行ったその後ろ姿を見て、不安ではあるけれど彼なら大丈夫かも、という根も葉もない自信が沸いてきたのは、何故だか自分でも分からない。
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