思えば、最初は財前が惚れたのが原因やった。あの財前が惚れとる子はどんな子なんやろ、っちゅー理由でずっと目で追っとったけど、その理由がただの言い訳になってもうたのはいつからやったか。 「白石?どうしたと?」 目をぱちくりとさせながら話しかけて来た千歳に、返す言葉が見つからんくてとりあえず苦笑だけ浮かべる。 「ボーッとしとるたい。悩み事かと?」 「ん、気にせんといて」 「…泉か?」 と思ったら、急に核心ついてきよった。こいつ変なとこで鋭いからなぁ、ほんま勘弁して欲しいわ。更にどう言えばわからんくなって沈黙した俺に、次は千歳が苦笑しながら話を継ぐ。 「確かに気になる存在ばい」 「それはな。財前があない惚れ込んでるんやもん」 「人の事言えると?だいぶ見てるたい、泉の事」 いらん洞察力発揮してんなや普段はえらい呑気な癖に。そう千歳に対して思うものの、それは結局焦っとる自分を見抜かれたくない為に張っとる意地でしかあらへん事に、俺はもしかしたら気付いとるのかもしれん。 *** 「くぅー…!」 厨房で1人先に調理し始めている泉だが、どうやら玉葱に苦戦しているようでその目からは先程からとめどなく涙が溢れている。それでも眼鏡を外そうとしないのは、謙也に素顔を見られそうなった事で流石に学んだのだろう。とはいえ、そんな健気な思いとは裏腹に眼鏡は涙で曇っていくばかりだ。 「貸せよ」 「へ?」 しかしその時、突如背後から近付いてきた丸井が泉の包丁を取り上げ、そのまま玉葱を刻み始めた。唐突な事に勿論彼女は唖然とし、丸井を見つめる。 「玉葱切る時はスピード勝負だぜぃ。一気にバーッて切っちまえば意外と泣かずに済む」 「あ、あの」 「ん?」 「何で此処に?」 うんちくを語る丸井の言葉を遮って問いかけてみれば、それまで饒舌だった彼の口は一瞬にして止んだ。そんな態度に更に混乱していると、ふいに彼はムキになった様子で話し出した。 「もう終わったんだよ!っつーか、真田に怒られて逃げてきた!」 「此処は避難所な訳かぁ」 それまで不安そうにしていた泉だが、やっと理由がわかった事に安心して声を上げて笑う。すると丸井は拗ねた表情になり、そのまま無言で料理を手伝い始めた。 窓から困ってる所が見えて思わず来た、なんて、口が裂けても言えない。真実は彼のみぞ知る、という事だ。 「あ、丸井君」 「お前さ、その丸井君ってのやめろよな。ブン太でいいぜぃ」 「わかった。私も泉でいいよ」 「おう」 トントン、と一定のリズムと共に玉葱は刻まれる。 「それでさ、ブン太」 「なんだ、っ?」 「砂ついてるよ」 そう言い、丸井の前髪に付いていた砂を手でとった泉。箇所が前髪なだけあって接近度が高かったのか、彼は一瞬息を飲んだ。しかし当の本人は至って普通なので、心境を悟られないように再び作業に没頭するフリをする。 「手慣れてるねー」 「切るのだけはな!元々菓子しか作らねぇし」 「お菓子作れるの?凄いね、食べたい」 「今度食わせてやるよ」 「やったね!ありがとう!」 泉の素顔を知って以来は、妙に意識して動揺してしまう為まともに面と向かって話す事が出来なかった。しかし、今目の前で穏やかに笑う彼女を見て、その期間がいかに無駄であった事を彼は思い知らされた。 「泉はよ、アイツらの中に好きな人とかいねぇーの?」 気を紛らわす為にと話しかけた質問だが、果たしてそれで本当に紛らわす事が出来るのか。アイツらとは言うまでもなく、合宿に参加している面々の事である。 「好きな人かぁ」 「おう」 「今はいないなぁ。恋愛よりも夢中になってるものがあるから」 それが最近軌道に乗っている仕事の事を指しているのは一目瞭然だったが、まさか丸井には言えるはずもない。泉はその事に少しばかりもどかしさを感じつつも、凛とした表情でそう言い放った。 「ブン太は?立海、人数も多いし可愛い子いっぱいいるでしょ」 「まぁ、確かに結構レベルは高い方だと思うけど、…んー」 咄嗟に思い付いた質問だったので、自分に返ってくるとは予想していなかったのだろう。案の定丸井は思わず言葉に詰まり、料理する手を一度止めた。 流石にまだ好きになったという自覚は無い。そう思うには面識も知識も無さすぎる。しかし、気になる存在ではあるというのを否定するのには、もう手遅れの所まで来ていた。 「おーいブン太ー?」 「んー、保留!」 「曖昧だなぁ」 進展あると良いね。まるで自分の気持ちに気付いていない泉に、丸井は反射的にまた質問を投げかけた。 「泉は、どうなったら恋だと思う?」 「恋の始まりってこと?」 「おう」 「経験無いからそんなわかんないけど…相手の事をもっと知りたい、って思ったらじゃないの?」 そこでタイミングが良いのか悪いのか青学の1年生達が来た為、丸井は自分がいるべき場所へ戻る事になった。だが、泉の言葉が頭の中を駆け巡り、戻ってる間はほぼ放心状態だった。 |