2年生の授業の前、いつものように少し早めに足を運ぶ。

けれど、廊下に彼の姿はない。

あれから2週間ほど経ったけど、どうして急に来なくなっちゃったんだろう? 私、何かしちゃったのかな? という疑問が、ぐるぐる頭の中をまわり続けている。

これまで、会えないとすれば部活の遠征やインフルエンザにでも罹った時くらいだったけど、何故だかどこにいるか、何を考えているか分かる安心感があった。帰ってきた次の登校日には、必ずと言っていいほど顔を見せに来てくれるのだ。

今は、何だかもう二度と、私に触れないのではないか?という不安を感じて、たったの2週間がとても長く感じている。

態と遠回りして、目的地である1組とは反対の4組側の廊下から向かい 3組の教室の前を通ると、窓側の席で机に肘をついて 雑誌のようなものに目を通している彼の横顔がガラス越しに見える。
その前の席の女の子が、今泉くんの方を振り返り 何か話しかけている。
真っすぐな目線で、彼の事を見つめる彼女を心から羨ましいと思ってしまうのだから、不思議だ。
これから恋が始まったとしても、あの二人の間には 何の障害もないのだから。


胸がズキっと傷んだ気がするけど、この感覚自体が恐らく錯覚なのだろう、と首をふるふると振って、隣の1組の扉を開けた。

「はーい、皆 席について」



彼が私にキスしたあの日よりも前の日常に、戻るだけ。




・・・



どうも集中できなくて、白地図の上に頭から雪崩れて、大きなため息をつく。

机の上に広げた大きな世界地図の白地図に付箋を付けて次の授業の準備をしているところだが、ちっとも進まないのだ。



社会科準備室があって良かった。一人になれる。
もう明日まで授業もなければ、添削する課題もない。

誰に遠慮することもなく、思う存分暗い顔をしていられる。


腑抜けた表情で机に項垂れていると、不意に準備室の扉がノックされる。
バッと勢いよく振り返ると、そこには、保健体育の鶴岡先生がいつもの100%笑顔で立っていた。

多分、一瞬がっかりとした表情をしてしまったと思う。
けれど、素知らぬ様子の鶴岡先生は、ずけずけと準備室に入ると私の横のデスクに腰掛けて、

「高橋先生、今晩、良かったら飲みに行きませんか?」

金曜日ですしパーッと! と笑顔で誘ってきた。

爽やかな笑顔で、私の返事を待つ。
この人は恐らくパーソナルスペースという概念を持ち合わせていないのだろう。
こんな密室で至近距離で見つめられると、別に好きでもなんともなくたって 変に意識して距離をとりたくなってしまう。


「あっ これ!USAGI、ですよね」

彼が私のデスクに手を伸ばし、”うさぎっぽい”フィギュアを手に取る。
逞しい腕が間近に迫り、咄嗟に椅子を引いて身を後ろに引いた。


”うさぎっぽい”というのは、彼が来たときに置いていったもので、私の趣味ではない、知らないキャラクターだからだ。
けれど、たまに見つめて、指の腹で頭を撫でている。
フォルムはうさぎなのに、ぶっきらぼうで愛想のない表情が、”うさぎっぽい”と言わせる所以だ。



「高橋先生、パスタ好きでしょ?」

「えっ、なんで知ってるんですか?」

「なんとなく!」

 二人きりか聞こうか、けどそれを聞いたらもう断る流れになってしまう。
 どうしようかな、と迷っていると、

「そんなに警戒せず、安心して来て。他の先生も来ますから」

と微笑んだ。それなら気兼ねなく行ける、と正直ほっとした。
鶴岡先生が、じゃあ19時に! と言い残して、足早に準備室を出て行ってしまった。
まだ、返事すらしていないのだけれど、まぁ、断る理由もないかな。


再び静寂を取り戻した、準備室。

来なくなってしまった今泉くんに、彼の存在が大きくなっていることに気付くが、教師と生徒が真剣に交際するなんて、教師として絶対に考えちゃいけないこと。
これまでの行動自体が、彼の気まぐれだったんだ。
それに、今泉くんの幸せを思うなら、私に会わない方がいい。

再び白地図の上に上半身を投げやり、ぐるぐる考えていることが、全部今泉くんのことで、あぁ もうこんなに彼のことを好きになってしまったんだ、と溜息が溢れた。


・・・・・・・


飲み会会場は、学校の最寄り駅近くのイタリアンだった。

若い先生でなるべく固まって、と年配の先生のいらぬ配慮で、比較的同世代の教員同士が近くに座る形となり、肩の力がふっと抜けるのを感じた。

私の初めて来る店だったものの、運ばれてくるコースの一品一品が好みの味付けで、舌つづみを打った。
特に、メインのパスタは オイルベースのトマト系ソースに、シーフードがたっぷりのっていて、海老のプリっとした食感も、自家製のパスタのもちもち感も最高! と同僚の先生たちと盛り上がった。

大分お酒も入って、プライベートな話題も飛び交うようになり始めたころ、前の席に座っていた鶴岡先生が、唐突に私と左右に掛けた女性教員に聞いてきた。

「先生方、お付き合いされている方はいらっしゃるんですか?」

屈託のない笑顔で、邪険にできない空気を醸しながら、真っすぐに聞いてくるものだから、
両隣の席の先生は 「私は、一応」「私も」とサラっと彼氏持ち発言。

えっ、先生たち皆彼氏持ちなの?と驚きの表情が隠せないでいると、鶴岡先生は「・・・高橋先生は?」と追い打ちを掛けてくる。

圧にたじろいでしまうと、左右の先生が「高橋先生に彼氏がいないわけないじゃないですか!」とフォローを入れてくれて、他の先生たちも「そうだよな〜綺麗だもんな」なんて大人の反応をして、その場はなんとか誤魔化されて別の話題に移ってくれたので、肩をほっと下ろした。

彼氏がいないこと自体を恥ずかしいと思っているわけではないけれど、私だけがいないだなんて、大々的に発表するのが悲しすぎて何も言えなかった。

「でも、残念だな。恋人がいないなら、僕が立候補したかったのに」

と、いつもの笑顔で言い放つ鶴岡先生に女性教諭一同が愛想笑いで返すと、徐にスマホが震え着信を知らせた。

「すみません、ちょっと電話が」
ナイスタイミング!と思い、番号も見ずに応答ボタンを押しながら席を立つ。

「彼氏ですか〜?」「ごゆっくり」

と先生方に茶化される声が背中から聞こえてきた。


・・・


お手洗いの近くにあるテレフォンスペースで、「もしもし?」と声を掛けると、「先生」とポツリ。恐らく、自分が副担任を務めるクラスの誰かだろうと思い、声を掛ける。

「ごめんね、誰かな?」


「・・・今泉です。」


まさか、今 一番話したくて、一番話したくない人から、掛かってくるなんて思いもよらず、驚きが隠せない。心臓がドキドキと音を立てるのを感じて、受話器越しに聞こえてしまわないか心配なくらいだった。


「ど、どうして、番号…」

「1組のヤツに聞いて。…スイマセン、勝手に。今、外ですか?」


「ううん、いいのよ。でも、どうしたの?」


平然を装い問いかけると、

「俺、我慢しようと思ったんです。

 けど、先生に会いたくて、耐えられなかった…。」

初めて聞く彼の切なげな声に、ぎゅっと胸が締め付けられる。


「少し、会って話せませんか? 今から 駅前の公園で待ってます」

「…わかったよ。今出先で、ちょっと待たせちゃうかもしれないけど。」


純粋に嬉しい気持ちが込み上げてくる。駄目なことなのに、今だけは駄目じゃなくなったような錯覚に陥る。
お酒の力も手伝って、私の心はふわふわと軽くなっていた。
駅前といっても、人通りの多くない道に面した公園だから、人に見られる心配はあまりないだろう。

終話ボタンを押して暗くなったディスプレイに、少し微笑んでいる自分が映った。


・・・



「すみません、私そろそろ失礼します」

電話を終え、席に戻って早々、周囲の先生たちに告げた。会費は既に徴収されていたので、特に心配ないはずだ。
失礼にならないように、目上の先生方とも軽く会話をしてから店を出た。


「高橋先生!」

扉が閉まるベルと共に、開くベルの音が背後から聞こえ、鶴岡先生が声を掛けてきた。

「遅いので、駅まで送りますよ」

「あ、いえ、約束があるので、大丈夫ですよ!未だお開きまで時間ありますし、先生は戻ってください」

「いやいや、危ないですから。それとも、僕と一緒に歩くのは嫌?」

そんなずるい聞き方で強引に付いてこられてしまうと、邪険には扱えず、並んで歩く。
駅に到着するまで、先生は自分の趣味のサーフィンの話や、顧問をしているサッカー部の話をしてくれて、相槌を打ちながらも私は今泉くんのことを考えていた。

徒歩5分足らずの駅までの時間は、行き以上にあっという間に感じた。

「今日は、飲み会お誘いくださって、ありがとうございました。では」

待たせないようにしないと、とサッと切り上げようとしたところ、唐突に腕を掴まれ、引き寄せられる。

「あの、良かったら僕の家で飲みなおしませんか?そんなに遠くないので」

抱きしめられる一歩手前のような距離感で、これ以上近づかないように繋がれていない手でやんわりと肩を押し返す。

「も、もう遅いので、今日は、帰ります…。」

「遠慮しないで。終電までにはちゃんと帰しますから。」

「いえ、もう飲めないですし…!」

腕を離してもらえないまま断り続けるも、一向にあきらめる気配のない鶴岡先生にどうしたものかと焦っていると、


「あれ〜鶴岡先生〜」

うちの学校の女子生徒数名が声を掛けてきた。
そのすきに、サッと腕を引き離すことに成功した。

「あ、高橋先生も〜!もしかしてデートですか!?」
「二人って付き合ってるの!?」

お似合いカップル!だなんてキャッキャと面白がって聞いてくる彼女たちに、

「ち、違うわよ!先生たち”みんな”で飲み会だったから。」

ときっちり否定し、鶴岡先生にも「本当〜?」と問いただしていたが、「そうだよ、最近物騒だからな、送ってきただけだよ」といつもの笑顔で生徒に答えていた。


「じゃあ、私はこの辺で!ありがとうございました!」

私は、女子生徒に捕まっている彼に別れを告げ、駅の中を通って公園に向かった。

鶴岡先生には悪いけれど、私はもうはやる気持ちを抑えられなかった。




・・・




少し歩いて、公園の入り口に到着する。

なかなか、夜の公園なんて来ることがないから、街灯も少なく薄暗い様子に少し入りにくさを覚えながらも進んでいくと、ブランコ前のフェンスに立てかけられた自転車が 街灯に反射して見えた。


「先生」

と声を掛けられる。


「今泉くん、お待たせ。」


久々に私にだけ向けられる彼の視線に、胸が高鳴るのを感じた。


「すみません、急に電話なんかして。呼び出しも」


「ううん」


私も話したかったから、なんてつい口をついて言ってしまいそうだったけど、ふう、とため息に変えた。
ベンチに掛けた彼の隣に腰掛ける。

彼は、膝に両肘をつき、首を垂れた。表情がうかがえない。


少しの沈黙が流れる。


「そういえば 最近、準備室 来ないね。」

もう飽きちゃった?なんてからかうように笑うと、

「っ そういうこと、言わないでください!」

と、バっと顔を上げた彼に詰め寄られ、両手をぐっと掴まれる。


「えっ」と戸惑うと、暗がりでもわかるほどに赤くなった顔をまた俯かせて、

「すみません。

 俺、真剣なんです。先生のこと… 」

と小さな声で、言った。





「一目惚れ、なんです。
 入学式の後、渡り廊下ですれ違った時から、ずっと好きでした。」


恥ずかしくなって、彼の顔を見れなくなって、私も俯く。

「…またまた、そうやってからかうのはよしてよ」

「冗談なんかじゃないんだ。」

膝の上で私の手を握る彼の指が震えているのを感じ、私も指先に力が入る。


「最初は、先生に近づけるなら、どんな形でもいいと思った。
叶うことなんて絶対にないんだと、そう言い聞かせてきたから。」

「うん…。」

「だから、放課後に先生が一人で職員室に居た時、我慢、できなかったんです。」

「‥受け入れた私も悪いよ」



「…先生は、俺とこうなったこと、後悔してますか?」

顔を覗き込むように聞かれ、正直に話そうと覚悟を決めた。

「ううん。後悔なんてしてないよ。私も、今泉くんのこと、綺麗な子だな、ってずっと見てたから。」

先生としては駄目だけどね、と添えて見つめ返すと また、照れたように、顔を逸らされてしまう。
私もそんな彼の姿が可愛くて俯いたけど、伝えなくちゃと思って、話し続けた。

「最初、その‥初めてした時は、素敵な人でも生徒なんだから、もうこんなことは絶対しちゃだめ、と思ってた。
 今思えば、自分で制御を掛けてしまっていたのかもしれない。



 …だけど、一緒に時間を過ごす度に どんどん今泉くんの存在が大きくなっていったの。」

パッと顔を上げて、変わらず真っ赤な顔なのに、私の目を見て 驚いた顔をした。


「2週間も会えなくて、もう飽きられちゃったのかな、とか、彼女でもできたんじゃないかな、とか、一時的なその‥性欲を逃がしたかっただけだったのかも、とかいっぱい考えて…
切なくて、苦しかった。私も、今泉くんが好きだ、って気付いたの。」

「先生…」

言い終わる位で、握っていた手を引き寄せられ、彼の胸にぎゅっと抱きしめられた。

久しぶりに感じる彼の温もり。初めて触れ合った時と同じ、部活帰りの制汗剤の香り。
全部が愛おしくて、そっと彼の背中に腕を回し、ぎゅっとした。
彼の熱が、頬から、身体から伝わってくる。

「好きだ…。」

耳元で囁く彼の低い声が、胸に響くと、また胸がぎゅーっと締め付けられた。

想いを確かめ合ったのに、どうして苦しくなるんだろう?



教師と生徒である、という1点だけが私たちを許してくれない。

けれど、その1点が途轍もなく、互いを表現する要素として、大きいものなのだ。





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