ひよりの種



朝から、跡部を訪ねてくる女の子が絶えない。よそのクラスから一人でやって来る勇者もいれば、何人かで連れだって来る先輩方もいる。彼女達は一様に可愛くラッピングされた包み、またはそれが入った紙袋を跡部に届けて、無事受け取ってもらえたことに喜び帰っていった。

バレンタイン当日。
恐ろしいほどの跡部人気をひしひしと感じる一日だ。

「苗字、手伝え」
「はいはい」

クイと顎で指図され、女の子達のお届け物を大きな紙袋に詰めていく。三時間目の終わりにも同じようにプレゼントを纏めて部室に運んだけれど、さっきより紙袋の数が多い。私は両手に一個ずつ、跡部は両手に二個ずつ紙袋を持って、教室を後にした。
お昼休みを狙ってくる子もいるだろうに、目当ての本人が教室にいないと残念がるのでは、と進言してみようか。……いや、それで「じゃあこれ全部お前が運べ」なんて言われたら困るなあ。ごめんなさい見知らぬ女性陣。さっさと運んで、跡部にはすぐに教室に戻ってもらうからね。



放課後の紙袋の量はお昼よりもさらに多かった。そのうちの一個には、跡部に直接渡せないから代わり渡してと私が頼まれたチョコレートだけが入っている。義理なのか本命なのか定かではないけれど、私への依頼分だけで少なくとも二十個はあるだろう。私が心配しても仕方ないのは分かっていても、彼女たちはこれで良かったのだろうかと思ってしまう。手渡しするには大変な勇気がいるだろうけど、跡部は手渡しされたものはきちんと受け取っていた。尊大な態度ながら、お礼も言っていた。
そんなことを考えながら跡部に続いてレギュラーの部室に入ると、いち早く着替えを終えている岳人がプレゼントいっぱいの紙袋を指差す。

「おっ、それ俺らにくれるやつ?」
「違います。これは跡部の貰い物」

きらっと笑って期待いっぱいの岳人の表情が、つまらなさそうに歪んだ。

「マジかよ。うーわ、すげえ数」
「ほんとにねえ」

これまで運んだ紙袋の近くに、今私が手に持っているものを置いた。どうやって家まで持ち帰るのか、持ち帰ってからどうするのか……まさか捨てたりはしないと思うけど全部食べることもないだろう。跡部家の従業員さん達が美味しくいただくんだろうか。

「それよか、苗字、ちゃんと用意してんだろーな」
「ん? 何を?」
「いやお前チョコ作るって言ってたろ」
「え……言ってないけど」
「なんっだよ話が違うだろー!」
「うそうそ。用意してるって」
「んだよじゃあ最初っからそう言えよ!」
「岳人うるせぇ!」

リアクションが大きくて、岳人は見ていて飽きない。馬鹿にしてるとかではなく、面白くってついついふざけてしまう。何やら不機嫌な様子の宍戸にごめんと片手を上げて、部室を出ようとその扉に手をかけた。岳人以外はみんなまだ制服で、私がいるとよくないね。うん。
じゃあ部活の後にねと言い残して外に出る。一瞬、跡部と目があった気がするけど、勘違いかもしれない。彼が何も言ってこないのでそのまま戸を締めた。

二月の冷気が肌に刺さる。校舎から甘ったるいにおいを引き連れてきた私にはちょうどよく、背筋がしゃんと伸びた。
過ごしやすい春秋と、試合だ何だで部活も学内も熱気に包まれる夏は、放課後練を見に来る生徒が多かった。寒くなり始めた頃からだんだん見学する人が少なくなっていき、最近はいる方が珍しくなっていたけれど、今日は久しぶりに女の子がたくさん来ている。寒いだろうに……。
ちらと観客席を見るとそこにはクラスメイトもいて、こちらへ手を振ってくれた。一緒にテニス部の仮入部をした子達だ。私が手を振り返したところで、ワッと黄色い声が上がる。もちろん、私の挙動への反応ではない。ついさっきまで手を振ってくれていたクラスメイトの視線を追うと、やっぱりね。そこには着替えを終えた跡部がいる。いつだって跡部は注目の的だ。彼が今日貰ったチョコの数と、彼以外の氷帝男子生徒全員が貰ったチョコの数を比べたら前者が勝つんじゃないかなあ。

バレンタインデー、ねえ。
私にとってはただの平日で、何も作ったり買ったりするつもりはなかった。彼氏はもちろん、好きな男の子も、ちょっと気になるな……なんて人もいない。
でもお菓子を作るのは好きだし、それを人にあげて喜んでもらえるのは嬉しい。いつだったかお菓子作りが好きだと私が言ったのを覚えていた岳人が「バレンタインなんかくれ」と、好きな女の子に言うのとは絶対に違う……ただお菓子が食べたいだけという感じでねだってきたので、まあいいよと請け合った。横で聞いていたジローがマジマジスッゲー楽しみ!とニコニコしてはしゃいでいたのは可愛かったな。


練習と片付けを終え、テニスコートの照明を落とし着替えも済ませてレギュラー用の部室に向かう。暗く静まり返った外へ、部室の窓からその明かりが漏れる。中から聞こえる賑やかな声に掻き消されないよう気持ち大きめにノックをした。

「苗字ですけど、入っていいですか」
「あーちょっと待てよ、ジロー! 早くシャツ着ろ!」

少し戸を開けて顔を出してくれた宍戸が、まだ着替えの最中らしいジローを急かしてくれた。はぁー……い、というジローの今にも寝そうなふわふわした反応が奥から返ってくる。
間もなく、宍戸が入っていいぞと言ってくれたのでお邪魔しますと断って入室した。一年レギュラーしか室内にはいない。ふう。よかった。

「お邪魔しますやなんて、他人行儀やなあ」
「そりゃあ、ここはあんまり入らないし……」

三年の先輩達が引退して二学年になったとは言っても一般部員の数は多く、練習中に他所へ行くような時間の余裕はほとんど無い。それに、レギュラー専属の先輩マネさん達がいる手前、気軽にひょいとここへ来るのは憚られる。
忍足に苦笑で返しながら、机の上に通学用鞄と紙袋をのせた。ソファに座っている跡部が流し目で見てくるのを感じながら、オシャレでも何でもない無地の茶色い紙袋の中から箱を取り出す。岳人とジローが私の両脇にやってきて、箱を開けば、目をらんらんに輝かせた。

「これお前が作ったのかよ!?」
「すっげー! 美味しそー!」

透明なシートで包んだスティック状のチーズケーキを、二人に一個ずつ渡す。最初こそ見た目を誉めてくれたものの、二人はシートを雑に剥がしてすぐにケーキを口に押し込んだ。

「おいC!名前ちゃんスゲー!」
「おま、天才かよマジですげえな!」
「えへへ」
「もいっこ食べてE?」
「俺も俺も」

返事をする前に二個目を掴んだ岳人を忍足がたしなめる。全然聞いてないね、うん。

「はあ」
「いいよ、まだあるから」
「ほんま? ほんなら、俺ももろてええ?」
「どーぞどーぞ。みんなも、よかったら」

滝に差し出してみると、ありがとうと微笑み受け取ってくれた。彼は女の私より上品に笑う。
一転、宍戸はぎこちない。初対面ではロン毛の彼に軟派な印象を抱いたけれど、勝手なイメージでしかなかったと反省した。男らしさはレギュラーで一番かもしれない。そんな宍戸が分かりやすく照れくさそうに美味いと感想をくれて、滝と忍足は食レポをしてくれた。

その様子をずぅっと流し目で見ていた跡部に声をかけてみる。

「……跡部もどう?」

文字通り山ほどチョコレートを貰った跡部には要らない一個かもしれない。美味しいケーキなんて食べ慣れていて、同級生が作ったものなんてお口に合わないかもしれない。
そうは思うものの、どうせ作るなら、特に跡部には日頃の感謝としてあげたいなという気持ちも無いではなかった。

恐る恐る問いかけた私に、跡部は少し目をまるくする。その表情は新鮮だ。

「……貰ってやるよ」

やや間を置いて、跡部はソファから立ち上がった。貰ってやるなんて誰がどう聞いても上から目線の言葉なのに、跡部が言うと嫌な感じがしない。
岳人とジローが食べ漁って残り一個になったケーキを跡部に手渡す。
包みを剥いて、つやつやとした表面、きれいに切り揃えた薄いレモン色の断面を一通り見られる。いやなにそれ緊張する。はやく口に入れて、と思ったのも束の間、跡部が咀嚼し飲み込むまでの時間のほうが緊張だと思い直した。

「…………なんだその顔は」

跡部の感想が聞きたいような、聞きたくないような、ドキドキハラハラしているのが顔に出ているのかもしれない。もしも私の作ったケーキが不味くて跡部が不快な思いをしたり、お腹を壊したりしようものなら、跡部様ファンクラブの子たち、跡部家のお付きの人々、榊監督……色んなところからクレームが来るに違いない。いやいやクレームぐらいじゃ済まないかも……なんて、今さら心配になったのだ。

「口に合うかな……吐き出してもいいんだよ?」
「てめぇ、俺様を何だと思ってやがる」

ケーキがすべて跡部の胃におさまって、

「美味かった」

そう、跡部からご感想をいただいた。彼はお世辞なんて言わない。だから、よかった、と私は安堵で胸を撫で下ろした。

「跡部が美味しいと思うんやから、相当やで。苗字こっちの才能あるんちゃう?」
「やー、実はだいぶ練習したから……あと、隠し味も入れたよ」

ドヤ顔で言ったところで、跡部にピシャリと隠し味を言い当てられる。全然隠せてない!

「俺は気が付かへんかったわ。流石やな」
「……それだけじゃねぇだろう」
「うん?」
「他に何か変わったもん入れてねえのか?」
「入れてないけど……?」

腑に落ちない表情の跡部が、もう一個寄越せ、と手の平を出す。謎を解明したいらしい。けれど残念ながらチビッ子二人に食べ尽くされて、もう無いのだ。まさか跡部に失敗作を持ってくるわけにもいかない。

「また作るよ」

来年のバレンタインでもいいし、その前にやってくる跡部の誕生日でも、他の誰かの誕生日でもいい。機会はいくらだってある。喜んでもらえるなら私だって嬉しいから。
また作るよと、私は何の気なしにそう言った。それこそ岳人が私にバレンタインなんかくれと言ったのと同じように。跡部がそれをどう受け止めたかは分からない。
きょとんとして、そのあと少し気まずそうに目をそらす。同級生と同じようにお菓子をねだったのが恥ずかしいのだろうか。
けれども跡部は、やっぱりいらないとは、言わなかった。


2020/03/30
title by まほら

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -