銀色の発熱



凄まじく照りつける日差しに、身体中の水分が汗にかわって流れ出てしまいそうだ。先々月だったか、今年の夏は冷夏になるとのニュースを見た気がしたけれど、あの情報は何だったのだろう。

八月。関東大会の会場はただ暑いだけじゃなく、熱気に包まれていた。トーナメント表もいよいよ上半分に差し掛かり、優勝目指して戦う選手はもちろん、応援席から迸る熱も上がっていく。特に午前最後の試合で跡部が出たときなんかは、相手選手が可哀想なほど圧のあるコールが巻き起こった。
その氷帝学園大応援団一同が昼食に向かったのを見届けて、私はレギュラー陣と合流するべく会場の端から端へと走っている。
梅雨が始まる頃、跡部のひと声で私はレギュラー専属のマネージャーになった。大会当日も基本的にはレギュラーと行動を共にしているけれど、何せうちの応援団は超のつく大人数なので、大会の進行に万が一にも差し支えることのないようタイムスケジュールの管理は徹底しなければならない。そちらが問題ないことを確認してマネージャー長に報告することは、今日の私の大切な仕事の一つだ。

ちなみに、私と入れ替わりで一般部員の担当になった先輩マネさん二人は、最初こそ不満そうだったものの、今は一年生マネちゃんずと仲良くしてくれている。後輩と先輩方が和気あいあいとしているのを見て、そうか、あんな風に素直でかわいい後輩であれば鬼のように感じた先輩方も優しく教えてくれるのかと私は学びを得た。……わたし、あの子たちと比べると素直じゃないし、可愛げないからなあ。先輩的には教えがいのない後輩だったかなあ。
三年と一年の仲の良さを見ていると、いくつかの意味で少し寂しくなる。けれど一年マネちゃんずには私以外の先輩からも多くを学んで欲しいと思うし、先輩達が楽しそうにしているのも、私には嬉しいことだった。

いくつかのコートを通りすぎる。
この会場のどこかに幼馴染がいるはずだけど、朝から姿は見ていない。まあ、会場は広いし、会う可能性は高くない。お互い順当に勝ち上がればいずれ当たる敵チームだし、変に親しげに声をかけるのも良くないかもしれない。何より私は、どんな顔で彼に会ったらいいのかまだ悩んでいる。



「戻りました、先輩」

レギュラー陣に合流してマネージャー長に声をかける。先輩はお昼ご飯の手をとめて、腰かけているベンチにスペースを空けてくれた。

「お帰り。あっちは問題ない?」
「はい。全員揃ってご飯へ……、あの、ジローはどこに……?」
「ご飯の前に他校の試合見てくるってさ。はい、苗字さんのお弁当」
「あ、どうも」

マネージャー長からお弁当を受け取って、お隣に座らせてもらった。私たちマネの大会当日のお昼は毎度お馴染みのお弁当屋さんで事前に注文し、大会の朝、一年生マネが受け取りに行っている。監督オススメのお弁当屋さんなだけあり、味は絶品だけどお値段も相応。これが部費から出ていると思うと、味わって食べなきゃいけないと使命感にかられてしまう。

それにしても、ジローが他校の試合を見に行くって……お昼を食べて腹ごなしするだけの時間をとれるように帰ってくるだろうか。ジローだってやる時はやる人なんだけど、フワフワしている印象の方が強いから何かと心配だ。
周りにいる正準レギュラーの様子を見ながら、気持ち早めにご飯を食べる。絶対にこの会場のものではない立派な椅子に座り、大きなパラソルの下で涼しげなご様子の跡部。とっくに食べ終えて何やら話し合っている忍足と岳人。少し離れたところでストレッチしている宍戸。皆にはこの後に控える試合に集中してほしくて、一人でジローを探しに行こうと決めた。
最後の一口をのみ込む。お弁当箱を片付け、先輩に断りを入れてからその場を離れた。

各校、試合のスケジュールに合わせてお昼をとることになっている。関東大会も中盤を過ぎた今、この時間帯に試合をしているコートは少ない。
試合中のコートのうち、一番近いところへ寄ってみた。くるくるふわふわの金髪頭は見当たらないけれど、面白い試合が繰り広げられていてそちらに魅入ってしまう。シングルス1の試合だ。もう終盤。負けるものかという選手の想いが伝わってくる。

フェンスに手をかけてラリーを見守っていると、そばに人が来たのを感じた。ちらと横を向くと、腕を組んで立っていたのは跡部だった。

「何してるの?」
「それはこっちの台詞だな。ジローを探してたんじゃねえのか」
「あー……ごめん、ミイラ取りがなんとやらだね」

でもこの試合が気になって。
喋りながら再びコートを見つめる。隣の跡部もボールを目で追いかけているのがわかった。両校の選手はともに三年生。どちらもキャプテンらしい。チームメイトから「部長」と応援の声が飛んでいる。
やがて試合が終わり、一方の選手がガッツポーズをして、もうひとりの選手が泣いて俯く。それでも、対戦相手との握手の時にはしっかり顔を上げていた。両者に拍手が送られる。近くにいたジャージ姿の女の子のすすり泣く声が掻き消されるくらいの、大きな拍手。

負けた選手の表情が頭から離れない。中学最後の大会で、全力を尽くして戦った結果負けるなら、諦めがつくのだろうか。悔しくても受け入れられるものなんだろうか。

「行くぞ」

跡部に声をかけられて、その場を離れた。一緒にジローを探してくれるのかな。
ひとりで大丈夫だからゆっくりしてて、と言いたいところだけど、私がそう考えるだろうことは跡部にはお見通しだろう。その上で手伝ってくれるのなら甘えてしまうのが得策だ。覚醒して元気はつらつ状態のジローを宥めたり動かしたりするのは、私より跡部の方が断然得意だから。

跡部の後ろに着いて行き、今まさに試合を終えたばかりのコートの前で立ち止まった。周りには観客だけでなく、偵察と思われる他校生も多い。何せ試合をしていたのは去年の全国大会優勝校、立海大附属だ。今年も優勝候補の筆頭。誰だって興味があるはずだ。
スコアを見ると、立海の完膚なきまでの圧勝だった。対戦相手だって関東大会をここまで勝ち進んできた強豪校なのに、一ゲームも落としていない。どれだけ強いの立海さん。

この大会で氷帝が立海に当たるのは、トーナメントの頂上だ。うちの選手も数人だけ立海の試合の偵察に来ている。何か少しでも選手の助けになるように、帰ったらビデオ見せてもらわなきゃ……なんて考えながらコート周りをぐるりと見回していたら、見つけた。立海の選手一同の中にふわふわ金髪頭がいる。

「なんであんなところに……」

ジローが立海の選手のひとりに熱心に話しかけている。知り合いなんだろうか。一方的にジローが喋っているように見えるけど。
とにかく、彼の回収をしなければ。立海も撤収するようだし、お邪魔をしてはいけない。

「ったく、あいつは」
「待ってて。わたし呼んでくるよ」
「いや、俺も行く」

ずんずん歩いていく跡部。足の長さの違いを感じつつ、小走りで追いかける。近寄って跡部が「おい、ジロー」と声をかけると、ジローはくるんとこちらを向いた。ジローと話していた人も、他の立海の選手も一様に跡部を見る。
妙な緊張感が生まれる。空気が少し痛い。けれども、ピリピリした場の空気を壊す声が二つあった。

「あれ、あとべ」
「名前か……?」

一つは跡部に向けられたジローの声。
もう一つは、私に向けられた幼馴染の声だ。

「うん。……弦ちゃん、久しぶり」

手を振って答える。幼馴染の弦ちゃんこと真田弦一郎は、きょとんとするばかりで、手を振り返してはくれない。

弦ちゃんは私が東京に引っ越すまで住んでいた神奈川の家のご近所さんで、同じ幼稚園、小学校に通っていた。お絵かきやおままごとをするより外で遊ぶ方が好きだった私は男の子と遊ぶことが多く、家が近いこともあって弦ちゃんと過ごした時間は長い。
会うのは小学校の卒業式の日以来だ。卒業式を終えて逃げるように校門を出ていく私に、弦ちゃんが後ろから声をかけてくれた。私はろくに返事もしなかったけれど、連絡する、との言葉通り、引っ越してから今日まで何度か電話をもらった。彼が立海大附属中テニス部の選手としてこの大会に出ていることも彼の口から聞いたのだ。
けれど、私が氷帝のテニス部で、マネージャーをしていることは話していない。弦ちゃんは驚いたはずだ。なぜ私がここにいるのか。なぜ氷帝テニス部のジャージを着ているのか。

「弦ちゃん背のびたね」

目を大きく開いて固まったままの彼に、気まずさや申し訳なさを感じながらも、努めて明るく言ってみる。

「ああ。……名前は、縮んだか?」
「なわけないじゃん」

大真面目な顔で縮んだか、なんて言うものだから、ふっと吹き出してしまった。
大丈夫かもしれない。部活のことを彼に話してなくて気まずいのとか、顔を合わせるのは久しぶりで会話のテンポが悪くなっちゃうかもしれない不安とか、色々。
じゃあ、頑張ってね、また電話するねと言って、さくっとここを離れよう。跡部や立海の皆さんの視線も痛いしね。

「じゃあまた、」
「名前。待て」

立ち去りたくて逸る心そのままに、踵を返そうとした。重たく鋭い弦ちゃんの声にぴたりと足が止まっても、心のほうはやくはやくと逃げ出したがる。
今は何も聞かないでと、こんなところで言えるはずもない。なに、と答える声がか細くならないよう、しゃんとしているので精一杯だ。




午後の試合も危なげなく勝って、夕方、学校へ戻るためにバスに乗り込む。一般部員は会場で解散なので、ここにいるのはレギュラーとマネージャー数人、そして監督だけだ。
マネージャーの先輩方は奥のほうにいて何やら盛り上がっている。なんとなく、人の少ない前方の席についた。座席の数には余裕があるから、荷物の多い私は二人分の場所をいただいた。重たいリュックを隣におろして、ふうと息をつく。
事前に集めたデータを見て、きっと勝てるだろうと踏んだ試合だって、油断はできない。都大会県大会を勝ち残った学校しかいないのだ。最後のポイントが決まるまで緊張はほどけなくて、体は強張っていた。試合の日はいつもこうだ。
それに、最後に弦ちゃんに投げかけられた言葉だって、試合の最中だけは忘れることができても消えたわけじゃない。頭のすみにべたりと貼り付いて、私の返事を待っているようだった。

跡部がバスに乗る。一番前に座っている監督と二、三、話して彼も座った。それが通路を挟んだ私の隣の席だったので、思わず見てしまう。もちろん、どこに座るかなんて跡部の好きにしたらいいのだけど。

「なんだ」
「や、なんでもない」

バスがゆらりと動き走り出すのに合わせて、視線を前に戻した。
疲れたと口にはしないけど、跡部だってそれなりに疲労は感じているはずだ。適度な揺れと、心地よい温度、わずかなエンジン音は眠るには最適で、出発前は賑やかだった車内が静かになっている。小さな話し声がわずかに聞こえるだけ。みんな寝たのだろう。
跡部も休むといい。学校に着くまで、眠れるなら少し寝るといい。そう思って話しかけることなく過ごしていたのだけど、しばらくして、苗字、と跡部に声をかけられた。いつもより少しかたい彼の声色に、こちらもやや緊張しながら顔を向ける。

「立海の真田と幼馴染だって言ったな」
「うん」

お昼、弦ちゃんと別れ、ジローを連れてみんなのところへ戻りながら、簡単に説明をしておいた。じろりと、説明を求める目を向けられたからだ。そんな疑わしそうに見なくなって、わたし立海のスパイとかじゃないから大丈夫だよ。そう弁解すると何故かめちゃくちゃ呆れた顔をされたけど。
またその話を引っ張り出すつもりだろうか。

跡部は一度口を閉じてから、珍しくも、言いにくそうに問いかけてきた。

「……真田とは、よく電話するのか?」
「よくはしないけど、時々?」
「時々ってどれくらいだ」
「えーどうだろ……半年に一回くらいかな」
「そうか」

電話の頻度なんて知ってどうするの。やっぱり、こちらの情報を逐一伝えているのではないかと疑っているのだろうか。

「スパイじゃないって」
「別に疑ってねえよ」
「じゃあ、なんで聞くの?」
「……」

答えに困っているのか、難しい顔をして口をつぐんでしまう。最近の跡部はこうして悩んでいる……と言うのが正しいのか分からないけれど、ハッキリとした態度を取らないことがある。何か悩んでるのと聞いてみても、別に、だとか、なんでもねえ、と返される。困っていることがあるなら力になりたい。でも、プライドが高い跡部は私に心配されるのは嫌かもしれないとも思うから、しつこく突っ込んで聞くことを私も避けていた。

んなことより。と、跡部が仕切り直すように言った。
また曖昧にして……と思いはするものの、跡部らしからぬ表情でいられるよりは、今みたいな流し目を向けられるほうがまだいい。

「いいのかよ」

主語がない。けれど、言われなくても分かった。弦ちゃんの話をした直後だから。
ーーバスケットボールは、もういいのか?
弦ちゃんの声がよみがえる。喉のあたりが、きゅうと狭くなった気がした。

「うん」

窓の外の流れていく景色を見ながら短く返事をした。探るような視線を向けられている気がする。でも、跡部はそれ以上何も聞いてはこなかった。

テニス部のみんながテニスに熱くなるように、私にも大事なものがあった。幼い私の手で扱うには少し大きかったバスケットボール。中学へ行ってもきっと続けるのだと、漠然と思っていたけれど、私は投げ出したのだ。
最後の夏、最後の大会。あのときの苦い経験を振り払いたくて、私は部活に没頭してきたのかもしれない。


2020/06/09
title by まほら

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -