ありそうでなさそうな電車事情
朝は眠いから苦手だ。
だがそんな朝の満員電車はもっと苦手だ。
都会に住む者の運命からは逃げられないから仕方ないとは思うものの、ぎゅうぎゅうに押し込まれた空間には未だ慣れない。あの小さな車体によくあんな大人数が入るものだ。
入社試験を控えているのに、その日はいつも以上に混んでいる気がした。大混雑のため、目の前で、降りたい駅で降りれずに悔やむ人の一部始終を見てしまったりした。自分もそうならないよう注意しなくてはならないと肝に銘じる。
駅に着くたび大量の人が降りては大量の人が入ってくる。はたから見るとなんて面白く不思議なサイクル。そんな中、人に押され押していると、乗り物に強い訳ではない俺は、だんだんと気分が優れなくなってくる。
深呼吸をしてみる、少しでも良くなればいいのだが、なかなか回復には繋がらない。
ぐるぐると目の前が歪んで、腹の中からあれが込み上げて来るのを感じた。
…気持ち悪い。
完全に乗り物酔いしてしまっては、止まるか座るかしないと治らない。ああ、座っている人が羨ましい。
座りたい、吐きそうだ。
いっそのことしゃがんでしまおうか、でもなんかそれも恥ずかしい。かと言ってこのまま我慢して吐いてしまうのも嫌だ。
「なぁ大丈夫?ここ座りいや」
その時突然舞い降りた救いの手。
ゆるゆると顔をあげると、自分が掴まるつり革の目の前に座っていた男性が、席を立った。俺と同い年くらいの、俺と同じくスーツを着た男性だった。
俺は相当顔を強ばらせていたのだろう、心配そうな顔で俺の背中を擦りながら座るように促してくれた。
「あ、りがとう…」
今にも吐きそうだったけれど、なんとかぽそりとそう言えた。
席を譲ってくれた男は「ええよええよ」と笑顔で返事をしただけで、後は吐きそうな俺に無理に声を掛けようとはしなかった。なんて気配りができる男なんだろうと思った。
目的の駅につく頃には吐き気もおさまりかけていて、あの男性も俺と同じ駅で降りた。
もう一度ちゃんとお礼が言いたかったし、名前、とか…も知りたかったから引き止めようとしたけれど、隙間の無い人の波に呑まれて彼を見失ってしまった。
もし入社試験に受かったら、毎日この時間のこの電車に乗ることになるだろうから、そしたら、また彼に会えるかもしれない。
何としても入社試験に合格しなければと闘争心を燃やしたことが、奇跡を起こしたのかもしれない。
「あれっ、君!」
会社の控え室に入った瞬間、声をかけられた。振り返って驚愕した。
「具合はもう大丈夫なん?」
俺と同い年くらいの、俺と同じくスーツを着た、彼がそこにいた。