桜染


※日本が女の子です。女体化が苦手な方は閲覧をお控え下さい。





太陽が顔を見せる時間が少しずつ長くなって、少しの期間強く吹く風が、急かすように背中を押して春を連れてくる。
胸いっぱいに空気を吸い込めば、長い間生きているのですが、嗚呼、春は忘れずやってくるのですねと毎年思うのです。
空気が暖かい。それと同時に、若草達は競うように一斉に頭を出し、花は我こそが一番だと言わんばかりに芳しく咲き誇る。
私は春が大好きなのです。

大好きなアーサーさんが大好きな春にやってきたのは、桜前線がもう目と鼻の先まで近づいていた頃でした。
大好きとは申し上げたものの、それはただ私が一方的にお慕いしているだけなのですが。もちろん彼にはこの気持ちを伝えてなどいませんし、彼が私の事をどうお思いなのかも聞いていません。出来るわけないでしょう。
いくら春風が私の背中を押す追い風だとしても、私は一歩たりとも動けません。下手に気まずくはなりたくない…私は今の関係を壊したくないんですよ。言い直しますと、ただの臆病者です。

アーサーさんがお花見をしたいと仰いましたので、後日2人で、近場で催される桜祭りに行くことになりました。
その日私はいつもより少し上等な着物を着て、新調したばかりの帯を締めて出かけました。桜の花の中でも五月蝿くない程度に映える淡紅の着物です。柄は季節に合わせて蝶々が飛び交うものを。

俗に言うデートというものではないのですが、2人で出かけるのです。2人で桜並木を歩くのです。舞い上がっているのが私だけでも構いません、日本女児たるもの、こういった時にはそれ相応に服装も整えるのです。

お祭りは大変混んでいました。出店が道の両脇にずらりと並び、一方では食欲を呼び起こす良い香りを振りまいては客を引き寄せ、また一方ではくじの大当たりの鐘を高らかに響かせて注目を浴びています。
欲しい物をねだる小さな子供や、桜の花を写真に収めるご老人、物珍しく感嘆の声を漏らす外国の方、お昼から日本酒に酔いしれる集団…なんとも微笑ましい光景です。

何よりも、満開の桜の花がトンネルのように道を取り囲み、上を見上げれば広がる桜色の天の空が、言葉にならない程美しい。きっと私が知っている日本語では言い表わせないでしょう。ひょっとしたら、この美しさを表すに適する日本語は無いのかもしれませんね。
風が吹けば、雪のように降り積もる花びら。散ることにより枯れ木に近づくというのに、その散る姿でさえ美しい。

私はそれを羨ましく見つめるのです。
私と桜の木、同じ"桜"という名を持ち合わせているにも関わらず、双方があまりにも違いすぎるからです。
私の髪は桜の木のように綺麗な淡い桃色ではありません。一斤染でも淡紅でもありません。深い深い闇色の私の髪の色を見て、感嘆する人などいるでしょうか。ましてやわざわざ見に訪れる人なんて。
本当に、皆から「綺麗だ」と言われる桜の木が羨ましいです。

そうやって上ばかりを見て考え事をしていたからでしょう。気が付いたら私は独りで、アーサーさんとはぐれてしまっていたのです。

「あ…アーサーさ……」

辺りを見回しても人混みの中にアーサーさんらしき人は見当たりません。人より一回り小さな私の身長なら尚更。彼の透けるような金髪だったら目立つので見つけやすいと思ったのですが。

少し離れた所からの方が見えやすいと思い、私は出店の並ぶメインストリートから外れ、桜の木と花見を楽しむ集団の敷物の間を縫って小走り、彼を探しました。されどそれでも見つからず。異国で1人にさせてしまうなんて、きっと心細い思いをしているに違いありません。彼とはぐれてからの時間と比例して、私の不安もどんどん大きくなっていきました。

「おーい」

突然背後から声を掛けられ、アーサーさんかと思ってほっとしたのも束の間、声の主は花見を楽しむ一般客の方でした。アーサーさんを早く探さなければと焦っていましたが、無視するのも失礼でしたので、声の主まで近寄っていきました。声を掛けた彼らは、5人程で敷物に腰を下ろし、酒の入って赤い顔をした中年男性でした。

「何でしょう」
「お嬢ちゃん1人?俺達と飲まねーか?」
「せっかくのお誘いですが、私は人探しの途中でして。あ、外国の方なんですけれど…上等なスーツを着た金髪の方を見かけなかったでしょうか?」
「いーや?そんな奴は見てねえよなぁみんな?」

男性がみんなに尋ねると、彼らは見てないと口を揃えて言いました。

「そうですか…情報をありがとうございました」

では、と其の場を離れようとした時でした。踵を返した刹那、振袖がくんと引っ張られ制止を掛けられ振り向くと、にんまりと笑みを浮かべた彼らと目が合いました。

「きっと先に帰っちまったんだよ。だからお嬢ちゃんは俺達と飲もうぜ!な!」
「!?」

そう言ったかと思うと、今度は掴んだ振袖を強く引っ張り、強制的に座らせられ、肩に腕を回されて動けなくなりました。

「あっ…あの失礼ですが私は人探しを…」
「いーじゃねーかちょっとくらい。お嬢ちゃん何歳?可愛い顔してんなぁ」

ぐっと肩を寄せられれば、鼻をつまみたくなるようなきついアルコール臭がより近くなってくらくら。さっきから丁重にお断りしているのに彼らは聞く耳を全く持たないのです。これだから酔っ払いは嫌なんですよ。

「…離して下さい、」
「いーからいーから」

さすがに私もかちんと来て、肩に置かれた手を払い立ち上がりました。しかし今度は2人がかりで両腕を掴まれまたも逃げ出せず。いくら藻掻いても大の男2人の力には適う訳ありません。

アーサーさん…アーサーさん

気付いたら心の中で彼に助けを求めていました。アーサーさん、怖いです、助けて…助けて下さい…!何度も何度も彼の名を呼びました。じんわりと目尻に涙が浮かんだ時でした。

「てめーら!!桜に触んな!!」

彼の声が聞こえたのです。驚いて一瞬力を緩めた彼らの腕から、私を引っ張り出してくれたのです。その振動で、零れかけていた涙がぽとぽと、とブルーシートに音を立てて落ちました。
アーサーさんは私の手を引いて、早足に其の場を離れました。


賑やかな周りに反して、2人の間を静かな空気が流れていました。何から謝ればいいのでしょう。絡まれてご迷惑をかけたこと、はぐれてしまったこと、上ばかり見ていたこと、1人浮かれていたこと。
気まずくて俯いて歩いていると、ふいにアーサーさんが立ち止まり振り向きました。その表情から、まず私は「怒られる」と察知し、ぎゅっと両目を瞑りました。
ところが彼の口から出た言葉は。

「桜、大丈夫だったか…?怖かったろ…1人にしてごめん」

謝るのは私の方ですのに。そう言おうとして口を開くと、なんと嗚咽が漏れて涙が溢れ出てきてしまいました。
泣き出した私におろおろと焦るアーサーさん。ごめんなさい、ごめんなさい。貴方にそう言われると哀しいんです、同時に嬉しいんです、好きなんです。

その時、ふんわりと桜の匂いが私を包みました。背中にはがっしりとした手が回され、ぽんぽんとあやすように軽いリズムで叩いて、私は彼の腕の中へ。顔が埋まった彼の胸板からは、やはり桜の香りがしました。

ほんの数秒。すぐに彼は離れてまた歩き始めました。私も慌てて彼の背中を追い掛けます。あら、いつの間にか涙が引っ込んでしまっていて。

「アーサーさん」

名前を呼ぶと、彼は振り返りはしなかったものの、斜めを見てこう言いました。

「今日、桜、すごく綺麗だな」

ちらりと見えた彼の頬は、桜色に染まっていました。



















はて、一体どちらの桜なんでしょうか。






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