8-8:Mutually.―向かい合って、手を取り合って―
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ついに、
この時が来た。
喜びと、好奇心と、期待に胸がどきどきする。
この慣れてしまった空間ともうすぐお別れになるのかと、リンネは周囲に目を向けた。
辺り一面に広がっているのは白。
地面のようなものはなく、ふわりと浮いている状況に最初は違和感があったものだが、今では地面の感覚さえ薄れてしまった程だ。
白だけが広がる空間で、リンネは現れた人物達に向かって微笑んだ。
「こんにちは。それとも、はじめましての方がいいかな?」
ずっと傍に居た。
ずっと見守ってきた。
けれど、こうして顔を合わせて話をするのは初めてで、わくわくしてしまう。
きっと彼らは多少なりとも緊張しているだろうに、不謹慎だろうか。
「あなたが……リンネ・アーヴィングさん?」
おそるおそる口を開いたのは緑色の目を不安げに揺らしたエミルだった。
やはり緊張しているのだろう。
いつもより固い声色に、リンネは小さく笑った。
「リンネでいいよ」
優しく声をかければエミルはぎこちなく頷いてくれたが、隣に並ぶラタトスクはリンネの方を見ていない。
同じ顔でも、同じ声でもやはり別人だ。
不安げにラタトスクを見るエミルに、リンネは二人を見ながら笑みを零した。
「こうして三人で顔を合わせるのは初めてだね」
エミルと、ラタトスクと、そしてリンネ。
互いに誰よりも近い位置に居ながら、こうして顔を合わせることはなかった。
いつかは三人で話せる日が来ると信じていたが、それが実現して本当に嬉しい。
「……ずっとここに居たのか?」
重そうに口を開いたのはラタトスクだった。
彼の目は、何もない場所を見つめている。
いや、彼はきっと何も見ていないわけではない。
「うん。あの日からずっとね」
ラタトスクに取り込まれ、全てが暗闇に染まったあの日、もう終わりなのかもしれないと思った。
それでも終わりたくないと願い、祈り、次に目が覚めたのがこの空間。
おそらくラタトスクが目覚めたことにより、この空間にも何らかの変化が生じたのだろう。
詳しいことは分らない。
だが密かにヴェリウスからコンタクトがあり、それからはラタトスクの暴走を止める為にリンネもここでひっそりと行動してきた。
ラタトスクがヒトを傷つけないように、傷つかないように、そして決してリンネがここにいることを悟られないようひっそりと。
「ごめんなさい。僕達のせいで、ずっとここに閉じ込められていたんですよね」
責任を感じているのだろうか。
俯いてしまったエミルに声をかけようとしたとき、ラタトスクが口を開いた。
「だがあそこで死ぬわけにはいかなかった」
「でも、それでも僕達のしたことは許されないよ!」
あそこでもしラタトスクが死んでいたら、世界は今頃魔界の手に落ちていただろう。
それだけは避けなければならなかった。
この世界を魔界の脅威から守れるのは、ラタトスクしかいないのだから。
リンネは睨み合うエミルとラタトスクにそっと息を零した。
「そうだね。でも、ここからエミル達の目を通して世界を見るのも楽しかったよ。こんなの滅多に経験出来ることじゃないし」
確かにもどかしい思いもしたが、それでもエミル達の中にいたからこそ見えたものもある。
笑って言うリンネに、ラタトスクが呆れたように溜息をついた。
「楽天的だな」
「そうかもね」
ラタトスクに笑って、リンネは胸元に手を当てた。
全てが全てうまく行ったわけではない。
外からロイド達が協力してくれた。
マルタ達が頑張ってくれた。
けれど目の前で苦しんでいるアンジェラに、何もしてあげられなかったのが唯一の心残りだろうか。
ここからはどんなに声を上げても、彼女には届かない。
それでも、アンジェラに出来ないことをマルタがやってくれた。
マルタが傍に居てくれて本当に良かったと思う。
彼女がいなければ、アンジェラもラタトスクのことを受け入れられなかっただろう。
そっと胸元のエクスフィアを撫で、リンネは息を零した。
「だからあの日から後悔してることがあるとしたら、ちゃんと話を出来なかったことかな。あの日、あたしがちゃんとラタトスクの気持ちを考えて、あたしたちの想いを伝えられなかったから、アンジェラ達も苦しまなかったのにって」
あの日、もっと言葉を選んでいれば。
しっかりラタトスクを説得できていれば。
後悔しても遅いのに、後悔ばかりしてしまう。
「やっぱり、悪いのは僕らだ。僕らが原因で、沢山の人が傷ついたんだ。アステルだって……」
不安が伝わってしまったのだろうか。
そういえば大切なことを話し忘れていたと、リンネはエミルに安心してもらう為に微笑んだ。
「アステルなら大丈夫だよ」
「でも、意識が戻らないんだよね……」
俯いたエミルは固く拳を握りしめている。
あの日、リンネが守れなかったアステルは今も眠り続けている。
そのせいで、沢山の人を傷つけてしまった。
リヒターも、アンジェラも、そしてエミル達も。
リンネは自分の右掌に視線を落とした。
「あれは、あたしが原因なんだよ。あたしの蘇生術がうまく発動しなかったから。だから中途半端なまま、アステルは眠り続けてる。そろそろ起こしにいかないとね」
ぐっと右手を握りしめ、顔を上げる。
あの時は最後まで術を発動できなかったが、今なら出来るはず。
いや、必ず成功させなければ。
顔を上げた先では、エミルとラタトスクが目を丸くしていた。
「アステルは助かるのか……?」
「だから安心して」
口を開いたラタトスクに頷けば、彼は眉間に皺を寄せた。
ラタトスクもエミルも、優しい性格をしている。
アステルの命が繋がって嬉しいのだろう。
涙ぐむエミルの隣で、ラタトスクがぶっきらぼうに視線をそらした。
「だったら、さっさと起こしに行けよ」
「そうさせてもらうね」
リンネがここに居たのは、ラタトスクの暴走を防ぐため。
そのラタトスクが世界を滅ぼさないと分かった今、ここにいる必要はない。
リンネにも、会いたい人がいる。
直接この目に映したいものがある。
自分の身体で触れて、触れて貰いたい。
自分の口で話したいことがあって、自分の耳で聞きたいことがある。
やっと、会える。
触れることが出来る。
話すことが出来る。
そう思うと嬉しくて嬉しくて、口元が綻ぶのを堪え切れない。
「ごめんなさい。謝って許されることじゃないけど、取り返しのつかないことをしてしまったんだって分かってるけど……それでも」
だが、エミルはまだ責任を感じている。
許されないと思いつつ、許して欲しいと思っている。
エミルは優しい少年だ。
気にしないわけがない。
「謝らないでよ。あたしも悪かったんだし」
「違う!リンネは何も悪くないよ!」
叫ぶエミルの声が空間にこだまする。
何て声をかければいいのだろう。
何て言えば、エミルは過去に縛られず前を向いてくれるだろう。
言葉を探して、けれどうまく見つからなくて。
リンネは一つ一つの想いを形にするように、ゆっくりと口を開いた。
「あの日から色んなことがあったね。嬉しいことも悲しいことも、沢山。そうでしょ?」
あの日見えなかったものが見えるようになった。
精霊・ラタトスクとして扉を守っているだけでは見えなかったものが、沢山。
一人の人間として過ごしてきたからこそ、みえたもの。
良い思い出ばかりとは言えないが、それも含めて彼にとっていい経験になったと思う。
それはリンネも同じだ。
芽生えた想いを撫でるように、リンネはそっと胸元を撫でた。
「あの事件があったからこそ、エミルが生まれた。それにあたしも、ここにいて大切なことが分ったから」
「大切なこと?」
首を傾げるエミルに頷いて、リンネは右手を差し出した。
みんなで、前に進む為に。
「だから、ここから新しく始めようよ」
過去は変えられないが、未来は変えられる。
ラタトスクがその可能性を示してくれた今、未来は明るい。
差し出した手とリンネの顔を交互に見つめるエミルの隣で、ラタトスクが眉間に皺を寄せた。
「盟約を結べってことか」
「二人が良ければね」
「盟約?」
ラタトスクは察してくれたようだが、エミルの方は知らないらしい。
不安げにリンネとラタトスクを交互に見ている。
「精霊との契約みたいなもんだよ。契約みたいな拘束力はないがな」
「簡単に言えば、お友達になりましょうって約束することだよ」
「友達に?」
「困っていたら助ける、嫌がることはしない……みたいな感じかな」
ラタトスクの言葉を補い、簡単に説明すればエミルも分かってくれたらしい。
盟約と言うと難しく考えてしまうが、その本質は極めて単純だ。
エミルが感心してると、ラタトスクがリンネの右手を取った。
そして言葉と共にマナを紡ぐと、指先からあたたかなマナが流れてくる。
これが、ラタトスクのマナ。
痛いほどにあつくて、けれどどこか優しいマナ。
「これで、いいのかな?」
その熱が和らいだのは、エミルが右手を重ねてきた時。
ラタトスクとよく似たマナは熱よりも柔らかさの方が強く感じられる。
これが、エミルの持つマナなのだろう。
二人の持つマナを全身で感じるようにリンネは目を瞑り、ゆっくりと開いた。
「ありがとう。これで、安心できるよ」
もうラタトスクが暴走することはないだろう。
彼等はこの世界を、この世界に住む人を愛しているのだから。
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