8-7:Growth.―嬉しくて、寂しくて―
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イセリアを通れば騒ぎになるから、とゼロスの提案によってアンジェラ達はイセリアの聖堂近くに降りた。
目の前には、少し前に上った聖堂へと続く階段。
訪れたのはそれほど昔ではないのに、懐かしく感じてしまうのはあれから色々あったからだろうか。
柔らかな日差しを受ける聖堂は、初めて来たときと全く変わらない。
当然のことだが、と考えているとしいながそっと溜息をついた。
「コリン……」
「コリンって誰の名前なんですか?」
覇気のない声にエミルが振り返れば、しいなは顔を上げた。
自分でも言葉を零したことに気付いていなかったのか。
しいなは軽く瞠目してから頷いた。
「あたしの友達の名前だよ。メルトキオで作られた人工精霊さ」
「とてもかわいい肉球の持ち主でした……」
「……うむ。そうだったな」
しいなが顔を上げれば、プレセアとリーガルが視線を落とした。
精霊、という言葉に少なからず興味を持ったのだろう。
「しいなは召喚を使えるんだもんね。今も一緒にいるの?」
マルタが何気なく問えばしいなの表情が曇った。
何か空気を察したのだろうか。
マルタが首を傾げると、しいなはそっと胸元に手を当てた。
「……今はもういない。心の精霊ヴェリウスに生まれ変わったんだ」
その言葉に、表情に、エミルとマルタが息をのむ。
触れてはいけない所に触れてしまったと感じたのだろう。
ごめんね、と俯くマルタにしいなは気にするなと言わんばかりに優しく目を細めて首を横に振った。
感傷に浸るのはマルタらしいが、アンジェラとしては生まれ変わった、という言葉が気になる。
「人工精霊が心の精霊に?そんなことが可能なの?」
「理屈はよく分らないんだけどね」
言ってしいなは頭をかいた。
精霊が生まれ変わる、なんて信じられない話だが世界は未知で溢れている。
アンジェラの知らないこともまだまだ沢山あるだろう。
「これから会いに行く……精霊……」
ぽつりと呟き、エミルは聖堂を見上げた。
心の精霊、ヴェリウス。
人工精霊コリンの生まれ変わり。
リンネを救う唯一の手段。
こうしていることも彼女は見ているのだろうか。
今までずっと、エミルの内側から見守っていたように。
「そうさ。だからちょっと懐かしいね」
「ヴェリウス……。僕と同じ精霊…」
しいなも聖堂を見上げ、目を細めた。
隣に並ぶエミルは今、何を想っているのだろう。
何を考えているのだろう。
じっと見上げていたエミルに、声をかけたのは先頭を歩いていたロイド達だった。
このままではおいて行かれてしまう。
それに、リンネと会うためにはエミルの協力が必要不可欠なのだ。
ロイド達に促され、階段を上りきった所で聖堂から出てくる人影が見えた。
「ロイド!ロイドじゃねえか!」
「親父!ただいま」
工具箱を抱えたダイクの姿を見つけると、ロイドが嬉しそうに駆け寄っていった。
今日も聖堂の修繕を行っていたのだろう。
肩にかけていたタオルで額の汗を拭い、駆け寄ってきた息子の頭を撫でた。
「……おう、よく帰ってきたな」
くすぐったそうに肩をすくめるロイドはどこか嬉しそうだ。
こうしてみると、本当に彼は普通の少年に見える。
少し頭が悪くて、でもまっすぐで素直な少年。
血の粛清以降、ロイドは父親にも一切連絡をせず、消息を絶っていた。
きっと息子を心配していたことだろう。
「あともう少しだけノイシュを頼むよ」
「わかった。おめぇは何も心配しないで自分のやるべきことをしっかりやれ。それが一人前の男ってもんだ」
「ああ!」
ダイクが強く肩を叩けば、ロイドは胸を張って頷いた。
だが親子が交わした言葉はそれだけ。
今まで何処で何をしていたのか、何故連絡をしなかったのか。
聞きたいことは山ほどあるはずなのに、ダイクは何も聞かない。
言葉を交わさずとも、通じているものがあるのだろうか。
「……うらやましいな。ロイドとダイクさんの関係。僕には……作れなかった」
二人の様子を見て、悲しげに俯いたのはエミルだった。
血が繋がっていなくても、親子としての絆を紡ぐことは出来ると見せつけられて複雑なのだろう。
自分は、叔父に虐げられ続けていた。
良好な親子関係なんて築けなかった。
顔を上げようとしないエミルに、ロイドは小さく笑みを零して歩み寄った。
「お前にその気があるなら、今からだって間に合うさ」
「え?」
静かな足音にエミルがゆっくりと顔を上げる。
その緑の目に語りかけるように、ロイドは穏やかに言葉を続けた。
「諦めなければ、何でも出来る。……本当はそうじゃないことがあるってのも分かってるぜ。でも……だからって諦めたら駄目なんだ」
静かな声で、ロイドは強く左手を握りしめた。
ロイドは一見普通の少年のように見えるが、彼の功績は普通の少年には成せない偉業。
世界統合という偉業を果たすまで、数々の困難があったことだろう。
理想を描き、打ち砕かれ、それでも彼らが前に進み続けたからこそ今がある。
それは彼が言う通り、諦めなかったからだろう。
その強さは誰もが持つものではない。
少なくとも、諦めずに進み続けるなんてアンジェラには出来なかった。
静かに語ったロイドの目は、眩しい程の光を湛えていて、アンジェラは思わず目を細めた。
「ロイドは強いね」
エミルもそう感じたのか、そっと目を細めて頷いた。
だが当のロイドはというと、くすぐったそうに頭を掻いてぐるりと周囲を見渡した。
視線の先には、決して楽ではなかった旅の中で彼を支えたであろう仲間たちがいる。
「なんか、よくそう言われるよ。でもさ、俺が本当に強いんだとしたら、それをくれたのは親父やみんなだ。だから俺も、自分の強さを誰かにあげたい」
ロイドの言葉に、仲間達が頷いた。
世界を変えた人の言葉とは、こんなにも響くものなのだろうか。
心強い言葉に息をのんでいると、ロイドは年相応の少年らしく笑った。
「もちろん、エミルにもな!」
眩しい笑顔に、エミルが息をのむ。
アンジェラはロイドをよく知らない。
今まで何度も顔を合わせたが、ロイドは一言二言残すだけで多くを語らず立ち去っていった。
その為、ロイドについては謎が増えていくばかり。
仲間達からも話は聞いていたが、それでも特別な人だという印象はなかった。
今目の前にいる彼の、ふとした瞬間に見せる表情は年相応の少年のもの。
だが時折垣間見せるこの真っ直ぐな言葉や想いに、不思議と力が湧いてくる気がするのは何故だろう。
「……みんながロイドを庇った気持ちが、分かる気がする」
だが、ロイド本人はその不思議な力に気付いていないらしい。
首を傾げるロイドに、エミルは体の力をぬくように息を吐き出しながら言葉を続けた。
「僕はロイドみたいにはなれないかもしれないけど、ロイドと知り合えてよかったよ」
「俺は俺、エミルはエミル。みんな違うから必要なんだろ。そのためにもヴェリウスに会おう」
そう言ってロイドはまた先頭を歩き始めた。
やはり、リンネのことが気になるのだろう。
少し早目の歩調についていくと、アンジェラは軽く息をはずませながら階段を昇りきった。
「懐かしいな」
「そだね。ここで神託を受けて、世界を再生する旅が始まったんだもんね」
ぽつりと言葉を零したロイドに、隣に並んだコレットが頷く。
その澄んだ瞳で、彼女達は何を見てきたのだろう。
何を感じてきたのだろう。
聖堂を見上げる穏やかな表情に、エミルも同じように聖堂を見上げた。
「そうなの?」
「……色んなことがあったな。まだそんなに時間がたった訳じゃないのに、なんか……すごく昔のことのように思えるよ」
聖堂を見つめるロイドの目には何が映っているのだろう。
この、世界再生の始まりの場所で。
「それだけ大変な旅だった、ということでしょう?」
アンジェラも聖堂を見上げ、そっと目を細める。
決して楽な旅ではなかったはずだ。
特に、世界を救う為に死ぬことを運命づけられたコレットにとっては。
だが彼女は今、生きてここにいる。
仲間達と共に四千年間続いた理不尽な世界の仕組みに抗い、そして世界を変えた。
そんなこと、アンジェラにはどうあがいても出来そうにない。
「でも、楽しいことも沢山あったよ」
それなのに、コレットは何でもないような顔をして笑っている。
辛いことも苦しいことも乗り越え、今ここに居る幸せを噛み締めるように。
「強いわね……」
自然と、言葉が零れていた。
アンジェラから見ればコレットもロイドもまだまだ子供。
だが彼らはアンジェラにはない強さを持っている。
やはり、彼らは世界統合の英雄たちなのだ。
「なんか、変な感じ……」
ぽつりと呟いたマルタに、誰となく振り返る。
マルタの視線の先にいるのは、小首を傾げたコレット。
瞬きを繰り返すその表情はとても可愛らしくて、笑みが零れる。
マルタも小さく微笑んで、ぐるりと周囲を見渡した。
「私……。大樹暴走を引き起こした神子と仲間を絶対許さないと思ってた。なのに今、その人たちとこうして一緒に旅してる」
「……ごめんね」
「ううん。違うの。私、わかってなかったんだ。神子たちにも神子たちの人生があるって」
申し訳なさそうに俯くコレットに、マルタがやんわりと首を横に振る。
パルマコスタを旅立ったマルタには、神子たちに対して憎しみがあった。
だが母を奪われても、故郷を廃墟とされても、マルタはコレット達の人柄を信じ、憎しみを昇華した。
それも、コレット達とはまた違う強さだ。
赦し、認めることは難しくて苦しい。
アンジェラには出来ないことを、マルタは簡単にやってのける。
いや、本当は簡単などではなかっただろう。
それでも彼女は自分で考え、悩み、受け入れて前に進もうとするからコレット達のことを認められたのだろう。
それも、アンジェラにはない強さだ。
マルタはそっと息を吐き出して胸に手を当てた。
「……過去を生きて、今がある。ママを殺すためだけに突然現れたんじゃないんだって」
「人は誰も自分の物語の主役です。自分以外の存在は、突然現れた脇役のように感じられてしまうのでしょう」
「でも、そうじゃないんだね」
テネブラエに頷いて、マルタは前を向いた。
本当に、マルタは強くなった。
驚くくらいの成長速度に、自分ひとりが置いて行かれたような錯覚に陥る。
こうしてマルタはあっという間に大人になって、いつかアンジェラよりも年老いて、いなくなる。
そんな遠くない未来を思い描いてしまって、アンジェラは小さく唇を噛み締めた。
「……それに気づくことが大人への第一歩かもしれないわね」
微笑むリフィルの表情は柔らかく、子供たちの成長を見守る慈しみに溢れている。
やはり教師は違う。
アンジェラも見習わなければと、笑みを浮かべて頷いた。
「そうね。マルタ達は、本当に成長したわ」
それはきっと、喜ぶべきことだ。
マルタの声に応えてラタトスクが目覚め、彼女を守るためにラタトスクは変わった。
マルタがいなければ、この旅はどうなっていたのか分らない。
本当に、感謝しなければ。
「やっぱりロイドもコレットも、みんなすごいね」
「私も、あんな風になれたらいいな」
だが本人達は自分のすごさに気付いていない。
聖堂へと入っていくロイド達に、エミルとマルタは感嘆の息を零していた。
当たり前のように彼らはここにいるが、今目の前にいるロイド達は歴史に名を残す英雄。
改めてそう認識させられた気がして、アンジェラはそっと息を零した。
「流石、世界統合の英雄達ね」
「ほんと、みんなすごいよね」
「ミトスだって十分凄いでしょ。勇者様なんだし」
他人事のように朗らかに笑ったミトスに、マルタも笑って頷く。
ロイド達も英雄だが、ミトスも歴史に名を残し、四千年経った今でも語り継がれる勇者だ。
だがマルタの言葉にミトスは静かに目を細めた。
「でも、僕はロイドのようにはなれなかったから」
確かにミトスは歴史に名を残した勇者だ。
だが史実と現実は違う。
誰よりもそれを分かっているミトスは、前を歩くロイド達を見つめて言葉を続けた。
「ロイドは、僕の影だと思ってたんだ」
「ロイドが、ミトスの影?」
エミルに頷き、ミトスが息を零す。
その眼はこことは違うどこか遠い所を見て言うようにも見えて、アンジェラは静かに言葉の続きを待った。
「僕が選ばなかった道の、最果てに存在する者。諦めずに、進み続けたもう一人の自分。それが僕にとってのロイドだったんだ」
静かな言葉と裏腹に、握りしめた拳に力が込められたのが分かる。
彼もまた、希望を抱いて全てに絶望した者。
「後悔、しているの?」
「そうだね。だから、僕は生きなきゃいけないんだ。彼女に報いるためにも、この世界の為にも」
短く問えば、ミトスは迷うことなく頷いた。
マルタも強い子だとは思うが、ミトスもまた違う強さを持っている。
ロイドもコレットもミトスも、皆がそれぞれ違う強さを持っている。
羨ましくて、でもそんな彼らの傍に居られることをほんの少しだけ誇りに思う自分もいる。
眩しいなと口元を緩めれば、エミルが小さく微笑んだ。
「やっぱり、ミトスは強いね」
「僕は強くないよ。ここに来るまで何度も間違って、沢山の人を傷つけてしまったから」
首を横に振り、ミトスは苦笑した。
そして視線を落としたのは自分の掌。
勇者と呼ばれるにはあまりにも小さく、頼りなくさえ見える掌を握りしめミトスは顔を上げた。
「命ある限り、誰だって間違うことはあるんだ。でも、そこから目を背けちゃいけない。過ちは正せるんだ。自分に、そういう気持ちがあればね。僕はそう教えて貰った」
ミトスが絶望の底から這い上がれたのは、ロイド達がいたから。
そして這い上がったミトスが、今度はエミル達に手を差し伸べてくれている。
悲しみや憎しみが負の感情となり連鎖するように、人の優しさや温かさも連鎖していくのかもしれない。
ミトスは絶望したとは思えないほどの綺麗な目で、まっすぐエミルを見つめた。
「だからエミル、逃げちゃだめだよ。辛いなら辛いって言っていい。どうしても逃げたくなったら、誰かに救いを求めてもいい。一人で向き合えないなら、みんなで向き合えばいい。君は、一人じゃないから」
「ありがとう、ミトス」
ミトスの優しさと強さに、エミルが笑みを浮かべる。
人は一人でも生きていけると思っていたのに、一人じゃないということはこんなにも心強い。
はにかんだエミルに、ミトスは肩をすくめて笑った。
「なんてね、僕にこんな偉そうなこと言う資格はないんだけど」
「そんなことないよ!すごく、頼もしい」
「でも僕がラタトスクを裏切って、傷つけて、ラタトスクも人を信じられずに傷つけた。痛みや悲しみは、連鎖してしまうんだね」
慌てて首を横に振ったエミルに、ミトスは静かに目を閉じた。
四千年前、ミトスはラタトスクとの約束を破り私利私欲のために世界を利用した。
あの一件がなければ、ラタトスクも人を憎まなかっただろうか。
アステルも、未来を奪われることもなかっただろうか。
そんな思いが過ったが、もう今更ミトスを恨む気にもなれない。
彼を恨んだ所でアステルの未来を取り戻せるわけではない。
それに何より、アンジェラ自身がミトスに救われたこともあるのだ。
今更彼をどうこうしようとは思えない。
「だったらここで終わらせよう。今の私達なら出来るでしょ」
「そうだね、マルタ」
アンジェラが思考を巡らせている間に、マルタ達は既に答えを出していた。
やはりマルタ達はすごい。
いつの間にか頼もしくなった子供たちに、アンジェラもそうねと頷いた――――
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