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7-5:Declaration.―慮外な言葉、待ちわびた言葉―

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 屋敷を出て、道具屋へ向かう。
必要物資はある程度リフィル達も調達してくるだろうが、アンジェラも持っておいた方がいいだろう。
必要なものを手早く購入した所で、アンジェラは辺りを見渡した。
作戦決行までまだ時間がある。
せっかく珍しい場所に来たのだから、辺りを散策もしておきたい。
ミズホの里に足を踏み入れる機会など、一生に一度あるかどうかなのだから。
 歩き始めると、石の人形を見つけてアンジェラは足を止めた。
赤い涎掛けのような布を巻いた石像の前には、食物と水が置いてある。
供物か何かだろうか。
独自の文化を持つミズホらしい。
苔が付いているところを見ると、かなりの年代もののようだ。

「アンジェラ……」

 観察していると、背後から心細げな声が聞こえてきた。
実際、不安なのだろう。
アンジェラはいつものように微笑んで振り返った。

「どうしたのマルタ。不安なのかしら」

優しく声をかけても、マルタは微かに俯いたまま。
やはりまだ罪悪感は拭えないのだろう。
小さな拳を握りしめ、マルタがゆっくりと口を開いた。

「本当に……私はここにいていいの?」

予想通りの言葉に、思わず笑ってしまう。
だが彼女にとっては真剣な悩み。
アンジェラはマルタを不安にさせないように微笑んだ。

「当たり前でしょう。総帥は貴女が持つラタトスク・コアを狙っているのに、近付くのは危険だわ」

「でも、コアを孵化させるには私が必要でしょ?」

顔を上げたマルタの目は揺れている。
必要だと言えば彼女はついてくるだろうか。
だが、とアンジェラは首を横に振った。

「コアは総帥から取り返して、ここに持ってきてから孵化させればいいわ」

それが難しいことをマルタもよく知っているのだろう、眉間に皺が寄る。
アルタミラを奪還し、コアを取り返すのが今回の目的。
だがブルートはヴァンガードの総力を持って全力で阻止しようとするだろう。
全面対決となれば、力加減など出来ない。
もし殺すようなことになるとしたら、そんなことはマルタにさせたくない。
ブルートが殺されるところを見せたくない。
そして、手を下すことになるとしてもリフィル達にさせてはならない。
恨まれるのはアンジェラ一人で十分だ。

「アンジェラは、幹部だから行くって言ってたよね……だったら、創設者の一人である私だって、」

「貴方はお父様と本気で戦えるの?」

はっきりと言葉にすれば、マルタの肩が震えた。
父親想いのマルタがブルートと戦えるわけがない。
それでも言葉にしなければ、彼女は同行すると言いかねない。
アンジェラは口を噤んだマルタに息を零し、言葉を続けた。

「コアに心を狂わされた総帥には、話し合いなんて通用しないわ。そうなったとき、力づくで貴方はお父様からコアを奪えるの?お父様を傷つけることが出来るの?」

「それは……」

「大丈夫よ。コアを取り戻して孵化させて、総帥を正気にしたらヴァンガードも解散。そしてラタトスクを目覚めさせれば、世界は平和になるわ」

再び俯いたマルタにアンジェラは歩み寄って頭を撫でた。
もうこれ以上、マルタに何も背負わせてはならない。
今までずっと目を逸らしてきたが、これ以上逃げるわけにはいかない。

「これは、悪夢のようなものよ。もうすぐ全てが終わって、全てが元通りになるわ。あなたの役目は、エミルと一緒にみんなを信じて待つことよ」

マルタを悪夢へ巻き込んだのはアンジェラ自身。
ブルートにコアを渡したのはアンジェラとリヒター。
血の粛清を発案し、ブルート達ヴァンガードに決行させたのもアンジェラ。
それを自分のせいだと思い込んでいるのがマルタ。
もう彼女を苦しみから解放させなければ。

「二人共、ここにいたんだね」

 あれからずっと探し回っていたのだろうか。
微かに肩を上下させるエミルにアンジェラは微笑んだ。

「暫く、マルタのことをよろしくね」

だが、エミルは頷かず視線を逸らすだけ。
やはり彼もマルタ同様逃げることに負い目を感じているのだろうが、ここでエミルにも不安になられては困る。
なんとか丸め込もうとしたとき、マルタが口を開いた。

「エミルも……これでいいと思う?」

「え?」

「パパを捕まえてもらって……ヴァンガードを解体させて……そしたらラタトスク・コアを目覚めさせて……」

エミルに向けられた視線が徐々に下がっていく。
言葉も徐々に小さくなり、最後には聞こえなくなってしまった。
やはりまだ納得していないのだろう。
俯くマルタにエミルはそっと眉を寄せた。

「……マルタは、本当にそれでいいの?」

「いいに決まっているでしょう」

言葉を詰まらせるマルタの隣で、はっきりと言い放って睨むようにエミルを見つめる。
ここまで追い込まれた以上、マルタの気持ちを尊重することは難しい。
アンジェラ達に出来るのはマルタを傷つけないように安全な場所に隠し、この戦いを終わらせることだ。
 だがエミルはアンジェラに怯まず、優しい目でマルタを見つめた。

「だったら、どうしてそんなに悲しそうな顔をしてるの?」

「じゃあ……他にどうするの?」

他に方法なんてない。
マルタを隠し、その護衛という形でラタトスクであるエミルも隠す。
そして世界統合の立役者と共に、アルタミラを奪還する。
これが最善の策なのだ。

「マルタ……お父さんと話をしなくていいの?」

 優しいエミルの優しい声に、マルタが肩を震わせながら首を横に振る。
話が出来るなら、あの時既にしている。
それが出来なかったから、マルタの言葉はコアによって狂ったブルートには届かなかったから、ここまで逃げてきたのだから。

「今の総帥はコアの影響で正気を失っているのよ。話し合いなんて出来る状態じゃないわ」

アンジェラが腕を組み、ため息まじりに睨めばエミルは首を横に振った。

「話せないのと、話そうとしないのは違うと思う」

柔らかな態度だが、緑の視線は強く前を見ている。
確かにそうかもしれない。
けれど、と口を開こうとした所で、マルタが勢いよく顔を上げた。

「……パパは私の話なんて聞いてくれない!エミルも見たでしょ!パパの事!」

「だけど、それじゃマルタ達はなんのためにヴァンガードを抜けたの」

「なんのためにって……」

語調を強めるエミルに、マルタがたじろぐ。
困惑する空色の瞳をまっすぐ見つめながら、エミルは言葉を続けた。

「マルタはヴァンガードの……お父さんのやり方が許せなかったって言ってたじゃない。自分もヴァンガードの一員だったのに、肝心なところは人任せなの?それでいいの?」

良いわけがない。
そう言いたげにマルタはエミルを強く睨み、自分の胸を示しながらエミルに詰め寄った。

「じゃあエミルは私にパパと戦えっていうの!?」

「そうじゃないよ。話してみようよ!」

エミルの力強い言葉に、マルタが息をのむ。
彼はマルタの望みを叶えようとしているのだろう。
例えそれがどんなに危険なことでもマルタが望むなら、と。
何も言えないマルタに、エミルは更に言葉を続けた。

「一度や二度、うまく行かなかったからってどうして諦めるの?マルタとブルートさんは本当の親子でしょ?誰かにお父さんを捕まえてもらって、それで終わりなの?その後も二人はずっと親子なんだよ?」

「……っ」

マルタが唇を噛み締め、視線を逸らす。
このままでは二人がアルタミラに行ってしまう。
なんとか気持ちを固めて貰おうとアンジェラはエミルを睨んだ。

「親子でも、分かり合えないこともあるわ。それがコアによって心を壊された人なら尚更よ。血の繋がりは絶対じゃない。あなたも分かっているでしょう?」

「そうかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない」

それでもエミルは揺るがない。
マルタと父親の絆を信じて疑わない。
話せば分かるなんて、心が通じるなんて、そんなものはただの綺麗事だ。
コアに狂わせられた人間に話し合いなんて通じない。
憎しみや怒りは、簡単に人の心を変えてしまうのだから。
ラタトスクへの復讐の為、笑顔を失ったリヒターのように。
アンジェラは組んだ腕に力を込め、吐き捨てるように言葉を放った。

「いい加減なことを言わないで!今がどういう状況か分かっているの?コアが奪われれば全てが終わるのよ」

「終わらせない。コアもマルタも、僕が守るから」

 力強い光を宿した目に、思わず息をのむ。
リヒター相手に負けたことがある。
デクス相手に苦戦した。
ブルートに全く歯が立たなかった。
ただでさえ力で劣るこちらには、余計な感情を挟むべきではない。
それなのに、どうしてだろう。
彼の言葉には不思議な力があって、山ほどあるはずの反論が出てこない。
口を噤んだアンジェラに、エミルは自分を落ち着かせるように大きく息を吐き出し、マルタに手を差し出した。

「勇気は、夢を叶える魔法だよ。僕は……それで友達が出来た。仲間も出来た。だから――僕の勇気、マルタにあげる」

エミルの言葉に導かれるように、マルタの視線が上がっていく。
マルタの目にはまだ不安が残っている。
それでも、彼女はこの手を取るだろう。
大好きなエミルの手だから。
大好きなエミルが力を貸してくれるから。
大好きなエミルが勇気を分けてくれるから。
そうすれば、前に進めるから。

「アルタミラに行こう、マルタ。あそこにはリーガルさんもしいなもいる。二人は僕たちを助けてくれたんだよ。それに……お父さんとも話さなくちゃ」

「……エミル……」

うっすらと目に涙を浮かべたマルタの右手が静かに動き出した。
何とかして止めなければ。
そう思うのに、消えてしまった言葉が出てこない。
 じっと二人を見守ることしか出来ない中、ミズホの人間が駆け寄ってきた。

「大変だ!ヴァンガードが襲ってきた!今、里の入口でみんなが侵入を防いでる!あんた達は逃げろ!」

 男の言葉にマルタとエミルが息をのむ。
もうここまで追手が来るとは、少しヴァンガードの力を甘く見ていたかもしれない。
耳をすませば、確かに入口の方から騒がしい音が聞こえてくる。
リフィル達が戦っているのだろうか。
溜息をついていると、エミルとマルタが頷きあって入口の方へ駆けていくのを見てアンジェラは慌てて声を上げた。

「待ちなさい!貴方達がここに居ることが知られれば、隠れる場所がなくなるのよ!」

「だったら隠れなきゃいいだけの話だ!」

振り返った彼の目は赤い。
ずきりと胸が痛むのを感じながら、アンジェラは話が通じそうなマルタを見た。

「マルタ!」

「っごめん、アンジェラ!」

だがマルタも足を止めない。
足の速い二人にアンジェラが距離を詰められるわけもなく、ついにマルタ達は入口に辿り着いてしまった。
入口でヴァンガードと戦っていたのはミズホの民とリフィル、ジーニアス、そしてプレセア。
まさかこんなに早くここを嗅ぎ付けられるとは予想外だ。
このままでは、マルタ達が身を隠す場所を失ってしまう。

「くっ……!もはやこの里も放棄せねばならないか」

 数で勝るヴァンガードにおろちが顔をしかめた。
この数では、一人一人の行動を把握するのは難しい。
今頃この場所を報告しに、何人か兵が走っていると考えていい。
ミズホの里よりも安全な場所がどこにあるだろう。
人目につかず、叛乱に巻き込まれず、身を隠せるような場所は。
 アンジェラ達、というよりマルタ達が来ることが予想外だったのだろう。
戦いの中、こちらを振り返ったプレセアが息をのんだ。

「エミルさん!ここは私たちに任せてイガグリ老のところへ!」

だがその隙を逃すほどヴァンガードも愚かではない。

「危ない!」

テネブラエが声を上げるが、その背中に向かって剣が振り下ろされる。
反応は出来ているが、彼女の大きな斧では間に合わない。

「里には入れさせねぇぞ!」

息をのんでいると、ラタトスクがヴァンガード兵の腹部に一閃を浴びせる。
そして剣を担ぎ、兵を蹴り吹き飛ばした所でまるで己の存在を示すように声を上げた。

「次はどいつだ!」

肩に担いだ剣を振り上げれば、ヴァンガードが何人かざわめいた。
エミルの事は知っているのだろう。
 斬りかかってくるヴァンガードを軽く蹴散らすラタトスクを視界に入れながら、アンジェラはマナを紡いだ。
もうここまで派手に動かれては逃げるのも難しい。
せめて目撃者だけでも減らさなければ。

「烈風燕破!」

衝撃波を叩きこみ、兵を吹き飛ばした所でマルタは身体を捻りスピナーで薙ぐ。
奮戦しているが、数で押されているために一息つく暇もない。

「滅びよ、愚かなる咎人。虚空を曲げし冥王の剣にてその身を劈け――ネガティブブレード!」

群がっていた兵に向け、闇の剣を突き刺す。
半球状の空間に閉じ込められた兵は苦しげな声を上げていたが、術が収束する頃には声を上げる者はいなかった。
とはいえ、まだ辺りはヴァンガード兵で溢れている。
次の詠唱に入れば、ラタトスクが兵を斬り伏せながらマルタに近寄った。

「……次から次へときりがないな」

 溜息をつきながらもラタトスクは手を止めない。
兵の剣を受け流すと、その背に向けて刃を落とした。

「初めて会った時も、お前は狙われてたな」

「エミル!思い出したの!?」

振り返ったマルタの背後でヴァンガードが剣を振りかざす。
すかさず距離をつめ、一閃で沈めたラタトスクはマルタに背を預けるように剣を構えた。

「あれからずっと、お前は逃げ続けてる。ラタトスク・コアを目覚めさせれば、ヴァンガードは何も出来ないと思っていたからだ」

「それは……」

「だが、ソルムのセンチュリオン・コアはブルートが持っている。もうブルートから逃げてラタトスクを目覚めさせることは出来ない」

目を逸らすマルタにラタトスクが言葉を続ければ、マルタは押し黙った。
あれでは隙だらけだと内心溜息をつきながらも言葉を交わすことなく、アンジェラは術を放つ。

「刎ねろ、凛然たる水流――アクアレイザー!」

マルタ達の近くにいたヴァンガード兵を吹き飛ばし、アンジェラは矢を放った。
マルタの心は確実にアルタミラへと、父親と戦う方に傾いている。
それだけは阻止しなくては。

「ソルムのコアは私達が必ず持ち帰るわ。コアは戻ってから孵化させればいいでしょう」

「お前は本当に自分のやり方が正しいと思っているのか?」

「当然でしょう。身を隠した方がコアもマルタも守れるわ」

アンジェラはラタトスクに睨まれながらも、ふらつきながら立ち上がってきた兵の足に向けて矢を放つ。
横から斬りかかってきた兵はラタトスクが倒してくれたが、この乱戦では矢だけでは凌げそうにない。
やはり自分は術に徹しようと、アンジェラは再びマナを紡いだ。

「だったらなんでマルタはあんな顔をしてるんだよ」

アンジェラは答えない。
答えられない。
術を放つために、マナを紡いでいるから。

「お前はマルタを守ってるんじゃねぇ。理屈を押し付けてるだけだろ。ここで逃げることがマルタの為になると、本気で思ってるのか?」

いや、違う。
心のどこかで、自分の言動を否定しているからだ。
それがどんなに非効率的な方法でも、彼女の望みが叶うのだから。
だから言い返せない。
それでも、このまま黙っていたくない。
黙っていれば肯定とみなされてしまう。

「貫け、烈々たる炎の神槍――フレイムランス!」

上空から落ちた炎の槍が地面に深く突き刺さり、爆風が頬を叩く。
これでもうかなりの数が減った。
あとはリフィル達とミズホが何とかしてくれるだろう。
赤く燃える兵たちを見ながら、アンジェラは横目でラタトスクを睨んだ。

「貴方に何と言われようと構わないわ」

「それでマルタが後悔することになってもいいのか?」

「貴方はどうしてそこまでマルタと父親を戦わせたいの?あの子をそんなに苦しませたいの?」

 辺りの安全を確認しつつ、アンジェラはラタトスクに向き直った。
彼と出会った時、最初から感じていた胸の痛みは徐々に引いてきているが、彼と正面から向き合うと嫌な記憶が甦る。
あの時と同じ色の目、けれどあの時とは違う落ち着き払った色。
張り詰めた空気を察したのかマルタが何か言いたげだが、ラタトスクは力を抜くように息を吐き出した。

「戦わせたいわけじゃねえよ」

「だったら何が目的なの?」

好戦的な彼にとって、戦いは呼吸をするようなもの。
だが全ての人間が彼のように戦いを楽しむわけではない。
寧ろ戦いを恐れる者の方が圧倒的に多いだろう。
戦う相手が肉親なら当然、刃は鈍る。
マルタみたいな、父親想いの子なら尚更だ。

「マルタはお前が思うほど弱くねぇよ」

「強い弱いの話じゃないわ。あの子を危険に晒すことに必要性を感じないの」

「俺が守ればいい話だろ」

 さらりと答えるラタトスクに、アンジェラは息をのんだ。
あの日、あの時、人間を虫けらと嘲笑った残虐非道な精霊が、人を守ると言っている。
あの日、あの時、人を根絶やしにしろと命じた魔物の王が。
その正反対な言葉に、思わず嘲笑が零れた。

「貴方が守る?それこそ無理な話でしょう。貴方に何が守れるのよ」

全てを奪ったのは、貴方の方なのに。
その言葉だけは飲み込んで、アンジェラは笑う。
守るなんて言葉を信じられるわけがない。
だがラタトスクは笑うことなく、アンジェラの目をまっすぐ受け止めていた。

「マルタと、マルタの守りたいもの全てだ」

 思いがけない言葉に、息がつまって心臓さえ止まった気がした。
ラタトスクが変わりつつあるのは分かっていたが、こんなことまで言い出すとは誰が予想しただろう。
彼は本当にラタトスクなのだろうか。
アンジェラから全てを奪った残虐非道な精霊なのだろうか。

「マルタ、お前はこの先も逃げ続けるのか?」

「私は……」

 ラタトスクの視線がマルタに向けられる。
出会った頃とは違うその優しい視線に、俯いていても気付いたのだろうか。

「勇気は……夢を叶える魔法……」

呟くような声は小さく、けれどどこか力強さも感じる。
ただそれだけで彼女が決意してしまったと分かってしまい、思わず息が零れた。

「私、もう一度パパに会いたい」

ゆっくりと顔を上げたマルタは、ラタトスクに向かって頷く。
その表情にラタトスクは満足げに口元を緩めたが、駆け寄ってきたジーニアスは声を上げた。

「マルタ!?だけどヴァンガードはマルタが持ってるラタトスク・コアを狙ってるんだよ」

「駄目よ。行かせられないわ」

 戦闘を終えたジーニアスが息をのみ、リフィルも首を横に振る。
マルタ達もアルタミラに行くとなると、作戦も一部変更になるだろう。
心配げな二人に、マルタは申し訳なさそうに苦笑した。

「ごめんね。アンジェラやみんなが私のことを心配してくれてるって、分かってる」

今までずっと、彼女は誰かに助けられてここまで旅を続けてきた。
最初に手を貸したのはテネブラエとアンジェラ。
マルタはテネブラエの助言でラタトスク・コアを盗み出した。
旅をしながらアンジェラが魔術の使い方を教え、ラタトスクの騎士であるエミルに守られてきた。
ここにいるリフィルやジーニアス、コレットとミトスに命を救われ、リーガルとしいな、そしてプレセアもここまで道を切り拓いてくれた。
彼らには感謝してもしきれない。
 多くの視線を身に受けながら、マルタは言葉を続けた。

「だけど……私……。今まで逃げてるだけで何もしてなかった」

「マルタさんはラタトスクを目覚めさせようとしていました」

「それは結局ヴァンガードを間接的に止める手段でしかなかったんだよ」

プレセアの言葉に、マルタが首を横に振る。
悔しげに俯き、拳を握りしめる姿は痛々しくも見える。
親に甘やかされて育ったヴァンガードのお姫サマだった彼女が、父親に反発するには大きな勇気が必要だったはずだ。
あの頃の彼女には何の力もなかった。
アンジェラもマルタには何も出来ないと思っていた。
それなのに彼女は父親を助けたい一心でコアを盗み、ラタトスクを目覚めさせ、コアの孵化に貢献している。
マルタはもう十分頑張ってくれた。
彼女が一番の被害者だというのに。

「……それでも、止めようとしたことに変わりはないわ」

 だから、もうこれ以上傷つかなくていい。
安全な場所で、待っていればいい。
マルタがいなくてもコアは孵化できる。
ラタトスクであるエミルさえいれば、何とかなる。
それなのに、何も言えない。
アンジェラの葛藤を他の何かに感じたのか、顔を上げたマルタは懸命に笑みを作っていた。
心配させまいとしているのだろう。
その健気さに胸の奥が痛んだ気がした。

「私……本当はパパと向き合うのが怖かったの。変わっちゃったパパから……逃げてただけ」

「……今は怖くないの?」

リフィルの言葉にマルタが小さく笑う。
怖くないわけがない。
眉間に皺が寄るのを感じながら、アンジェラはぎゅっと手を握りしめた。

「無理しなくていいのよ」

無理をしてほしくない。
それなのに、本当のことが言えなくて彼女を危険に巻き込もうとしている。
ここまで来たら言うしかない。
口を開けば、マルタは困ったように笑った。

「やっぱり怖いけど……でも……私、勇気をわけてもらったから」

 しっかりと顔を上げ、彼を見たマルタの目は落ち着いているようにも見える。
大好きな父親との戦いを決意したとは思えない程、穏やかに。
だがその瞳の奥には先ほどまでの迷いはない。
彼女はもう、決意してしまったのだ。
マルタの出した答えに満足したのか、ラタトスクも穏やかに微笑んだ。
あんな表情が出来たのかと、驚くほど優しく。
ややあって静かに目を瞑った彼が大きく息を吐き出すと、次に開いた目は緑色になっていた。

「……エミル。それにもう一人のエミルも……ありがとう」

 ラタトスクはエミルの記憶を持っているが、エミルはラタトスクの記憶を持つことは出来ない。
それでも、マルタの表情に全てを悟ったのだろう。
しっかりと頷いて、マルタに微笑んだ。

「……もう一人の僕もマルタに何か言ったんだね」

エミルに頷き、マルタはしっかりと顔を上げると一人一人と視線を交わした。
もうマルタは止められないだろう。
諦めに似た感情を胸に抱いていると、最後にアンジェラを見たマルタが大きく頷いた。

「私……私もアルタミラに行かせてください。私、大切なことを忘れてたから」

 連れていきたくないという気持ちはある。
誰もがマルタをアルタミラに連れていく危険性をよく分っている。

「……どのみちここにマルタがいることは知られてしまった。俺は連れて行ってもかまわないのではないかと思うが?」

控えめな、けれど背中を押すような、おろちの声に反論の声はない。
里に侵入してきたヴァンガードは全て倒したが、あの数を考えると今頃逃げ帰った兵が制圧失敗の報告をしているはずだ。
隠れ里とはいえ、場所が知られてしまえばどうしようもない。

「私も……そう思います。私たちでマルタさんを守りましょう」

最初に頷いたのはプレセアだった。
ジーニアスもすぐに頷いたが、その眼は不安そうにリフィルを見ている。

「姉さん……どうなの?やっぱり反対?」

「あら、どうして私が反対だと決めつけるの」

「それじゃあ!」

目を輝かせる弟に小さく息を零し、肯定を示してから横目で見たのはマルタではなく、エミル。

「……本当は……あなたをおいて行きたかったのだけれど」

「え?」

首を傾げるエミルに、リフィルは何でもないわと笑った。
エミルを置いていきたかった、ということはやはり彼女もエミルが何者か気づいているのだろう。
詮索を避けるように、リフィルはマルタに視線を向けた。

「マルタ、私たちと行きましょう」

「あ、ありがとうございます!」

 嬉しそうに頭を下げたマルタがこちらを見る。
アルタミラ行きに一番反対していたのはアンジェラだ。
叱られるとでも思っているのか、マルタの目は少々不安げだ。
先ほどまでの威勢の良さはどうしたのだろう。
思わずため息をつき、アンジェラは肩をすくめた。

「止めても無駄なんでしょう?下手に無茶されるより、目の届く所で無茶してもらう方がましよ」

つまり、一緒に連れていくと言えばマルタはエミルと顔を見合わせて嬉しそうに笑った。
ここで反対すればマルタ達はどうしたのだろうと考え、思わず笑ってしまう。
この状態なら仮にうまく丸め込んでどこかく匿ったとしても、勝手にアルタミラに来てしまうに決まっている。
それなら監視の意味も込めて同行して貰った方が楽だ。

「話は決まったようだな。ではマルタは貴殿らに任せる。後ほど、アルタミラの前で落ち合おう」

それだけ告げるとおろちは煙と共に消えていった。
里の所在がヴァンガードに知られた今、やるべきことは山積みだ。
それが頭領不在の今なら、尚更。
まさか、ヴァンガードは頭領であるしいなが不在の時を狙って来たのだろうか。
彼女がそうへまをするとは思えないが、十分に警戒してアルタミラに向かうべきだろう。
 皆の考えがまとまった所で、エミルが口を開いた。

「世界中で一斉発起したヴァンガードに何か打つ手はないのかな?」

「王立軍は全軍を挙げて事態の打開に努めているはずです」

国を乱す反乱分子を王立軍が見過ごすはずがない。
今頃、制圧に向けて動き出しているだろう。
プレセアの説明に、エミルの目が輝いた。

「なら、アルタミラへ王立軍が来るってことも期待していいの?」

「いいえ。そうさせないための一斉発起よ。分散した戦力では、ヴァンガードの本拠地となったアルタミラへの接近すらおぼつかないでしょうね」

だがリフィルが首を横に振れば、エミルは項垂れた。
いくら王立軍とはいえ、その規模には限りがある。
せいぜいテセアラ領の暴動を鎮めるので精いっぱいだろう。
テセアラの王立軍は、テセアラを守るために作られた組織。
陸の離島であるアルタミラに王立軍の援護は期待できない。

「……やっぱり、中からヴァンガードを崩壊させるしかないってことか」

頼れるのは自分達だけ。
固く拳を握りしめたマルタにプレセアがしっかりと頷いた。

「はい。そして、今、それができるのは」

「僕達だけ」

エミルが短く言えば、空気が変わった気がした。
状況は決して優勢とは言えない。
数では圧倒的にヴァンガード側が有利だ。
しかも相手はこちらが必ず乗り込んでくると分かった上での策を講じてくる。
アンジェラ達は劣勢に立たされているが、逃げ場はもうない。
戦うしかないのだ。

「そういうこと。さ、アルタミラへ急ごう!リーガルたちが心配だよ」

ジーニアスの言葉に、アンジェラ達は頷いた。
そして準備のために歩き始めるマルタ達の背を追いながらそっと息を吐く。
マルタとブルートを戦わせたくない。
コアを孵化させれば正気に戻るとはいえ、戦いになれば力加減が出来るとは約束出来ない。
安全にコアを孵化させられなければ、ブルートを誰かが手にかけることになる。
そうなったら……

「私の役目でしょうね……」

言葉を零して、自分の掌を見つめる。
他の誰かにブルートを討たせるのは簡単だが、それでは誰かが恨まれてしまう。
もしブルートを討つしかなくなったら、誰かがマルタに恨まれるとしたら、それは全ての災厄を招いた者が背負うべきだろう。
アンジェラは強く手を握りしめ、顔を上げた――――




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