6-06:Terror.―鼓舞と逃避―
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雷の神殿の前で、エミルの足が止まった。
最初に訪れたときと何一つ変わらない神殿の中からは、常に雷鳴が響いてくる。
だがその音に何の反応も示さないということは、彼が足を止める原因は他にあるということ。
敵は何も雷やヴァンガードだけではない。
俯いたエミルは大きなため息をついた。
「また、門番の人たちに酷いことされるかな……」
先日、乱暴されたのを思い出したのだろう。
動かないエミルに、マルタが笑みを浮かべた。
「許可証もらったんだから大丈夫だよ」
「う、うん……」
励まされても、顔を上げたエミルの表情はまだ不安げだ。
それでも歩き出そうとする所は以前より成長しているが、この調子で大丈夫だろうか。
あの一件で警備体制も少しは変わっているなら、以前と同じように門前払いは避けられるだろう。
そう口を開こうとしたとき、マルタがそっと右手を出した。
「エミル、手出して」
「え?う、うん……」
何をするつもりなのだろう。
首を傾げながらも出したエミルの右手を、マルタが左手で取る。
そうして右手を添えたかと思うと、エミルが肩を揺らした。
「い、痛い痛い!」
よく見れば、マルタがエミルの手を捻っている。
何をしているのだろう。
マルタはエミルの反応にそっと息を零し、微笑んだ。
「……ね、痛いでしょ?エミルはここにいるってことだよ」
「う、うん……」
エミルが躊躇いがちに頷く。
やはり、サイバックでの話が気になるのだろう。
自分が消えるかもしれないと言われて、平気なわけがないのだから。
だがマルタの意図が掴めないのか、彼の口元は引きつっている。
そして手を離そうとしたエミルにマルタは笑みを深めると、右手をそっとエミルの手に乗せて両手で優しく包み込んだ。
「私の手、あたたかい?」
「うん……」
小さく、けれどしっかり頷き、その手のぬくもりを感じるようにエミルがゆっくりと息を吐き出す。
徐々に緊張感の抜けていくエミルに、マルタは元気よく頷いた。
「私もここにいるってこと。エミルの傍に。だから、そんな消えちゃいそうな顔しないの!」
力強いマルタの笑みに、エミルの頬に朱がさす。
マルタより一回り大きな手がその小さな手を握り返すと、マルタも応えるように握り返したのが分かる。
もうアンジェラが何も言わなくても大丈夫だろう。
安堵の息を零していると、マルタの優しさに先ほどまでの不安も溶けて消えていったのか。
マルタの手を握り返すエミルはとても幸せそうだった。
「マルタ……ありがとう……」
「あの、」
「テネブラエ、邪魔しちゃだめよ」
不満げなテネブラエに、アンジェラは口元に人差し指を当てて微笑む。
センチュリオン・コアがすぐ近くにあるかもしれないというのに、いつまでもこんな所にいたくないのだろう。
その気持ちは分かるが、もう少しくらい見守っていたい。
いつまでもこうしていられる訳ではないのなら、尚更。
共に過ごせる時間が残り僅かなら、少しくらい二人の時間を作ってあげてもいいだろう。
じっと見つめれば、テネブラエは多少の不満を目に宿しつつも何も言わなかった。
「本当、見せつけてくれるねぇ」
「若いな」
が、さすがのマルタ達もこの視線に気づかないわけがない。
しいなやリーガルと目が合ったマルタは、顔を赤くして首を横に振った。
「そ、そんなんじゃないです!私は、エミルが元気なかったから」
「大好きなエミルには、笑っていて欲しいものね」
「もう、アンジェラ!」
からかえばマルタは顔を真っ赤にして叫んだ。
隣ではエミルも恥ずかしそうに視線を逸らしている。
可愛らしい二人だと小さく笑って、アンジェラ達は神殿へと足を踏み入れた。
辺りに人気はなく、聞こえるのは自分たちの足音と雷鳴だけ。
周囲を警戒しつつ進めば、薄暗い神殿内にはいくつもの雷が落ちていた。
唯一違ったのは、横暴を働いた騎士達が倒れているということ。
真っ先にエミルが走り、マルタ達もそれに続く。
落雷に打たれたのかと思ったが、これだけ避雷針が立っている中、それはないだろう。
だとすれば、とエミルが助け起こそうとする騎士の甲冑に赤い染みが付いているのを見つけ、アンジェラは遺体をじっと観察した。
「しっかりしてください!」
エミルが声をかけても反応はない。
血痕が付着しているのは首元。
甲冑の僅かな隙から斬りつけたということは、犯人は手練れの剣士だろう。
魔物はこんな殺し方はしない。
「…死んでいるようです」
「……そんな……」
青ざめたマルタが両手で口元を押さえる。
血を見る限り、襲撃されてからまだそう時間は経っていない。
「一体誰が……」
動かない騎士を横たえ、エミルが拳を握りしめる。
あれだけ乱暴なことをされたのに、彼らの死を嘆いているのだろうか。
もう一人の彼なら騎士たちを一瞥し、コア探しに向かっただろう。
リーガルはエミルの肩をそっと叩き、立ち上がると通路の奥を見つめた。
「ここにコアがあることを考えると、それを狙う者……」
「ロイド……?」
「まさか!」
息をのむエミルに、しいなが顔をしかめる。
ロイド・アーヴィングならこんなことはしないだろう。
だとすれば、答えは一つしかない。
「なら……ヴァンガードかも……」
俯くマルタの目は、うっすらと涙で滲んでいた。
自分の父親が、己の目的の為に人々を傷つけている。
そのことが悲しくて悔しくて堪らないのだろう。
「……マルタ。辛いかもしれないけど……」
エミルが声をかければ、マルタは軽く目元を擦った。
顔を上げた彼女の目には涙は浮かんでいなかったが、必死に耐えているのだろう。
軽く呼吸を整えて、首を横に振った。
「ううん。私はヴァンガードがやることに反対だし、パパを止めたいんだもん。辛くなんてない。ただ、こうして命を落としてしまった人に申し訳なくて……」
再び視線が下がり、空色の目が息絶えた騎士に向けられる。
ヴァンガードは日に日に凶悪化していく。
そのきっかけを作ったのはアンジェラ達だが、アンジェラの手を離れた今でもコアやリヒターの手によって力を増し続けている。
アンジェラ達がコアを持たせ、心を狂わせたブルート総帥の手によって。
「そうだね。酷いやつらだったけど、死んでいいわけじゃない」
しいなが頷いて騎士達を見つめる。
横暴な騎士達だったが、命を奪われるほどのことはしていない。
理不尽といえば、理不尽だ。
重い空気の中、雷鳴だけが轟く。
このまま立ち止まれば、ヴァンガードにコアを奪われてしまう。
ややあって、エミルがゆっくりと口を開いた。
「僕、この人達を埋葬してあげたいです。このままなんて……」
「だが、ヴァンガードが来ているかもしれないのなら、一刻の猶予もない。今はこのままにしておくしかないだろう」
リーガルの言う通りだ。
今アンジェラがすべきことは、死者を弔うことではない。
「辛いかもしれないけれど、ヴァンガードがこの奥にいる以上、放置すればまた犠牲者が増えるわ」
今のヴァンガードは目的の為なら手段を選ばない。
人の命を奪うこと、邪魔者を斬り捨てることに対して心を痛めることはない。
アンジェラ達の言葉にエミルは騎士たちを見て固く拳を握りしめ、ゆっくりと立ち上がった。
「そうですね。……すみません」
エミルもこの状況が分らない程馬鹿ではない。
こと切れた騎士たちにそっと目を伏せ、踵を返して歩き始めた。
「……あたしはつくづくここに縁があるみたいだねぇ」
ぽつりと零し、しいなが前に踏み出すがいつもの覇気がない。
エミルも普段と違うしいなに気づいたのだろう。
どこか弱弱しいその背中に、リーガルに視線を向けた。
「……しいなさん、元気ないですね」
この中でしいなを最もよく知っているのは、嘗て共に旅をしたリーガルだ。
何か心当たりがあるらしいが中々口を開かないところを見ると、言い辛いことなのだろう。
歩を進めながら、リーガルはゆっくりと口を開いた。
「しいなは雷の精霊ヴォルトとの契約を、一度失敗しているのだ……」
「えっ」
「ミズホの民の四分の一が犠牲になるという大事件でな。その事件の影響で、しいなはミズホ――故郷でも孤立していたらしい……」
息をのむエミルに頷いて、リーガルはそっと息を吐き出した。
四分の一といえば、単純計算でも一世帯に一人は犠牲になったようなもの。
雷の精霊とはそれほど契約が困難なものだったのだろうか。
「よく契約出来たわね」
そんな事件があればトラウマにもなるだろう。
大切なものを奪われて、また失うかもしれないものに立ち向かう。
それはきっと生半可な覚悟では出来ない。
「彼女は世界を救うために苦しみや悲しみ、恐怖を乗り越え、ヴォルトと契約した。そういう意味では、君やマルタの気持ちがもっとも分かるのは、しいなかもしれぬな……」
静かに息を吐き出し、リーガルの青い目がしいなの背中を見つめる。
よく落とし穴に落ちたり、感情的だったり、見ていて不安になるときもあるがやはり全ての精霊と契約した召喚師だ。
芯が強いのだろう。
やはり彼女もロイドの仲間、世界統合の立役者なのだ。
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