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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -
6-05:While.―もっと近く、もっと傍に―

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 階段を下りていくと、広間に出た。
かなり奥まで来てしまったが、辺りには何もない。
もうほとんどの部屋は見て回ったが、書物を積んであるような所はない。
騎士団にも追いつめられ、逃げるように撤退したからだろう。
中には食べかけの食糧にカビが生えているものも転がっていた。

「……この辺りでもないな」

 リヒターの声にも、溜息に苛立ちが混ざる。
もっと早く見つかると思ったのだろう。
苛立たしげに部屋を出た所で、エミルが口を開いた。

「リヒターさん!」

だがリヒターは相変わらずエミルの存在を無視し続けている。
無視するくらいなら、最初から同行を許さなければよかったのではないだろうか。
そうしないのは、リヒター自身がエミルが何者か確証を持てていないからか、それともエミルが何者か認めたくないからか。

「リヒターさんってば」

無言で歩くリヒターに、エミルが何度も声をかける。
アクアが何とかしろと言わんばかりにアンジェラを睨んでくるが、ここは敢えて無視しよう。
リヒターが成長したエミルと関わることでどうなるか見てみたい。

「リヒターさんっ!!」

「聞こえているっ!」

 遂に耐えきれなくなったのだろう。
エミルの声に続いて、リヒターの怒声が砦に響く。
その声に一瞬たじろいだエミルだったが、微かに唇を噛み締めると挑むようにリヒターを見据えた。

「……じゃあ、どうして無視するんですかっ!!」

 尤もな疑問に、リヒターが目を逸らす。
きっとリヒターは答えない。
いや、答えることは出来ないだろう。
眉間に皺を刻み、口を固く引き結ぶリヒターにエミルは続けた。

「リヒターさんが言ってくれたんですよ!人の顔色ばっかりみて暮らしていたら駄目だって」

射抜くように緑の瞳がまっすぐリヒターを見つめる。
そこに、出会った頃のようにいつも怯えるエミルの姿はない。
自分の意見を主張し、拒絶されてもなお歩み寄ろうとするエミルの姿があった。
『ラタトスクの騎士』としての旅で、彼は強く大きく成長した。
そして、そのきっかけを与えたのはリヒターであると言っても過言ではない。
彼から貰った言葉で、エミルは前に踏み出したのだから。

「自分の殻に閉じこもっていたら、何も変わらないって。僕、考えました。その言葉の意味をずっと……」

その言葉も、エミルがリヒターにもらったもの。
伯父と向き合うことの出来なかったエミルに、リヒターが言ったこと。
エミルは視線を合わそうとしないリヒターを見つめながら言葉を続けた。

「なのに、あなたは一人で殻に閉じこもって僕を存在しないみたいに扱うんですか!?」

「アンタね!何も知らないくせに、勝手なこと言わないで!」

「僕がアステルさんに似てるってことですか?それなら知ってます!」

アクアの反論にエミルが頷くが、分かったつもりになっているエミルに苛立っているのだろう。
更に反論しようとした所でリヒターが振り返った。

「もういい」

 その視線は、まだどこか遠い所へ向けられているような気がする。
彼自身、まだ心の整理が出来ていないのだろう。
心配げなアクアが見守る中、ゆっくりと息を吐き出したリヒターの視線がエミルに向けられた。

「……エミル。悪かった。俺がお前を無視したのは、アステルに似ているからじゃない」

「じゃあどうして……」

今まで、リヒターはエミルを気にかけいたのは、彼がアステルに似ていたからだろう。
 出会った頃のエミルは臆病で、何もできない子供だった。
だからリヒターはエミルに沢山の言葉を与えた。
アステルのように、強くなってほしかったから。
だがアステルのようになってきたことを、自分がきかっけを与えたことをリヒターは後悔しているだろうか。
いっそのこと、関わらなければと思っているだろうか。
 リヒターは真っ直ぐに向けられる視線をしっかりと受け止めながら、ゆっくりと口を開いた。

「――……お前が俺についてきても、お前が望むようなラタトスクに関する何かが明かされるわけじゃない。それでもいいか?」

答えてくれると思わなかったのだろうか。
先ほどまでの怒気はどこへ行ったのかと思えるほどの穏やかな声に、エミルは目を丸くしながらも頷いた。

「え……あ……はい……」

エミルが歩み寄ればリヒターは踵を返した。
それは拒絶というより、先を急いでいるように見える。
ここに入ってずいぶん経つ。
リヒターとしても、早く用事を済ませて帰りたいのだろう。

「なら、一緒に行こう。だが、これでお前と行動を共にするのは最後だ」

「ど、どうしてですか!」

 突き放すような言葉に、エミルがリヒターの顔を覗き込む。
必死なエミルに眉間に皺を寄せながらも、リヒターはエミルを見つめた。

「この用件がすめば、俺はラタトスク・コアを奪うことになる。お前はそれを許せるのか?」

「そんなの駄目です!」

今は一緒にいられても、最終目的が違うことに変わりはない。
そのことを再認識したのだろう。
埋めたくても埋まらない溝に俯くエミルにリヒターは目を細めた。

「……そういうことだ。元通り、敵同士に戻る。分かったら行くぞ」

 歩き始めるリヒターにエミルが手を伸ばしたが、その手は触れる前に垂れた。
触れれば届く距離でも、届かないものがある。

「……リヒターさん」

ぽつりと呟くような声は、リヒターに届くことなく消えていく。
恩人に近づきたくても、彼はエミルを遠ざける。
いくらエミルが努力しても、溝は埋まらない。
アンジェラがハーフエルフでマルタが人間であるように。
リヒターにとって、ラタトスクは憎むべき敵なのだから。

「ごめんなさいね」

「どうしてアンジェラが謝るの?」

 何故か零れた言葉に、エミルが首を傾げた。
どうして謝罪されるのか分らないのだろう。
答えられなくて、アンジェラは曖昧に笑った。
どうして謝ったのか自分でもよく分らない。
行きましょう、と先を促してアンジェラは歩き出した。
このままでは本当において行かれてしまうだろう。
もうすぐ砦の捜索も終わってしまう。
限られた時間なら大事にしたい。
少しでも傍に、一歩でも近くリヒターの傍にいたい。
 足早に進めば、最下層の広間でリヒターとアクアが足を止めていた。
待っていてくれたのだろうかと思ったが、様子が違う。
アクアは目を輝かせてリヒターの手元を見ていた。

「リヒターさま、これみたいですね」

「ああ、これでようやくノートンのバカが売り飛ばしたものが見つかったな」

探し物の深海文書が見つかったのだろう。
アンジェラにとっては見つかってしまった、と言うべきだが。
リヒターが持つ古びた本を見て、エミルが眉をひそめた。

「どういうことですか?」

「ノートンはギャンブルで作った借金を埋めるために、学術資料館の資料を売りとばしたんだ」

振り返ったリヒターが眉間に皺を寄せながら、埃を払う。
貴重な資料をこんな埃まみれにされて腹を立てているのだろう。
溜息をつきながらリヒターは本を脇に抱えた。

「それが発覚しそうになって、俺に助けを求めに来た」

「それがラタトスク様となんの関わりが……」

「直接的に関わりがあるとは言ってない」

疑問を口にしたテネブラエに、リヒターが鼻を鳴らす。
やはり話すつもりはないのだろうが、深海文書を手に入れた今、リヒターと行動をするのもこれが最後になる。
心残りを作るなら、いっそのこと玉砕してしまった方がいい。

「ノートンとは何の取引をしているの?」

借金のことは既に知っている。
疑問なのはリヒターが何故ノートンと取引しているのかだ。
以前もラタトスクと間接的に関わりがあるようなことを言っていたが、結局の所どうなのだろう。
問いかければ、リヒターは口の端を上げた。

「事実を話した所で、お前は俺を信じるのか?」

「信じるわよ。貴方が全て話してくれるなら」

にっこり微笑めば、リヒターはアンジェラを鼻で笑った。
この顔は信じていないのだろう。
予想していたこととはいえ少し寂しくて、アンジェラはそっと手を握りしめた。

「よく言う。俺は言ったはずだ。ラタトスクに関われば命がないと。信じているなら何故、まだ旅をしている」

こちらを見るリヒターの目は鋭い。
闇の神殿でのことを言っているのだろう。
だがアンジェラとて、ここまで来て引き下がるわけにはいかない。
リヒターが全てを明らかにしない限り。

「貴方が隠し事をしているからよ。それを見極めるまで、私はエミル達と旅を続けるわ。そうすれば、こうして貴方と会えるでしょう?」

にっこり微笑めば、リヒターが眉間に深い皺を刻んだ。
すぐに否定しないということは、やはりリヒターは重要なことを隠しているからだろう。
口を堅く引き結ぶリヒターに微笑んでいると、アクアがアンジェラを強く睨んだ。

「ふざけないで!誰のせいでリヒター様が」

「アクア!」

 言うなと言わんばかりにリヒターが短く名前を呼べば、アクアはまだ何か言いたげにしつつも口を閉ざしてアンジェラを睨んだ。
アクアは何を言おうとしたのだろう。
ラタトスクのせいでリヒターがこんなことをするはめになった、とでも言おうとしたのだろうか。
だが妙に引っかかる。
自分は何か勘違いをしているような気がしてならない。
本当に、リヒターはただ復讐の為だけに動いているのだろうか。
 思考を巡らせていると、エミルが一歩前に出た。

「リヒターさん。リヒターさんはどうしてラタトスクコアが必要なんですか?」

真っ直ぐリヒターを見つめる目は真剣そのもの。
エミルにとって、リヒターは大切な恩人。
ラタトスクを目覚めさせなければ世界が滅ぶ。
そう信じて疑わないエミルは、ラタトスク復活を阻止しようとするリヒターの考えが分からないのだろう。
 リヒターはエミルの視線を正面から受け止め、深海文書を持つ手に力を込めた。

「お前がマルタを守るように、俺にも守るものが……失いたくないものがある」

「どういうことですか?僕で手伝えることなら、何でもします!」

必死に訴えるエミルにリヒターは僅かに唇を噛み締めて、俯き気味に眼鏡を押し上げた。
エミルの気持ちは分かるが、リヒターはエミルの力を必要としないだろう。
リヒターの失いたくないもの、と言われて真っ先に思い浮かんだのはアステルだった。
やはり彼とこの取引に何か関係があるのだろうか。
リヒターはそっと息を零して首を横に振った。

「……何でもない。お前に話しても仕方がない――いや、話すことは出来ない。……もしも、ということがあるからな」

言って顔を上げたリヒターの目は苦しげだった。
やはり、エミルがラタトスクだと信じていない……というより、信じたくないのだろう。
リヒターの答えにエミルは眉を寄せた。

「もしもって……」

「……エミル。次に会うときは敵同士だ」

「そんなの嫌です!」

 エミルが強く首を横に振るが、エミルがリヒターと敵対することを望まなくても、いずれ近いうちに戦うことになるだろう。
残るセンチュリオン・コアは雷の神殿にあるであろうトルトニスとデクスの持つソルム、そしてリヒターが従えているアクア。
トルトニス以外のコアを手に入れるためには、ヴァンガードとの直接対決以外にない。
ソルムならデクスをうまく騙せば手に入れられるだろうが、アクアだけはそうはいかない。
リヒターとアクアも全力で対峙することになるだろう。
その時は、刻一刻と迫っている。

「お前が嫌だろうと、これは初めから決まっていたことだ。おそらく……お前が生まれたときからな」

「どういうことですか!」

 だが何も知らない、何も分かっていないエミルはリヒターに歩み寄ろうとしている。
彼はリヒターのことを信じているから。
歩み寄れないと分かっていないから。
エミルの必死な目に耐えきれなくなったのか、逃げるように背を向けた。

「サイバックまでは送ってやる」

「これはアステルに関わることなの?」

この質問なら答えてくれるだろうか。
答えられなくても、多少は動揺すればそれが答えになる。
足と止めたリヒターは、静かに首を横に振った。

「……あいつは、関係ない」

「だったら、貴方の失いたくないものって何?」

リヒターにとって大切なのは親友であるアステル。
それ以外に大切なものとは、失いたくないものとは何だろう。
世界を守るなんて、そんな大それた理由とはあまり思えない。
リヒターを悪人呼ばわりするつもりはないが、リヒターにとって大切なものとは不特定多数を占めるような世界ではなく、傍にある小さなものだろう。
大切なものが世界と繋がっているなら分かるが、世界の為だけにとは違う気がする。

「今からでも遅くない」

 背を向けたいリヒターが振り返り、アンジェラを見つめる。
その怖いくらい真剣な目に思わず息がつまった。

「アンジェラ、死にたくなければラタトスクに近づくな」

まさか、アンジェラの身を案じてくれているのだろうか。
そう思うと頬が緩んだが、リヒターの言葉には従えない。

「でも、ラタトスクに近づかなければ、貴方に近づけないわ」

ラタトスクが、唯一リヒターとアンジェラを繋ぐ存在なのだから。
例えそれがリヒターにとっての敵でも構わない。
彼に会えるなら、何でもいい。

「死んでもいいのか?」

「貴方の傍にいられないくらいなら、死んだ方がましよ」

にっこり微笑めばリヒターは顔をしかめて踵を返し、外に向かって歩き始めた。
慌ててアクアがそれを追って宙を泳ぐ。
背を向ける前に、こちらを睨むことを忘れることなく。

「……結局、リヒターさんの目的は分らないままだったね」

「でも、コアを集めれば少なくとも世界が救われるわ。それがエミルの望みでしょう?」

 溜息をつくエミルに、アンジェラは肩をすくめた。
異常気象をおさめるためには、全てのセンチュリオン・コアを集めてラタトスクを目覚めさせるしかない。
それにラタトスクが目覚めなければ、マルタの額からコアはとれない。
エミルにとって、コア集めは成さなければならない大切な使命なのだから。

「でもそれでもし、リヒターさんが大切な人を失ったら……」

 もしリヒターのしていることが、アステルを目覚めさせるようなことならアンジェラはどうするだろう。
エミルやマルタと敵対し、リヒターの隣に立つだろうか。
だがアステルの為なら、何故リヒターはアンジェラに話してくれないのだろう。
話してくれれば……
そう考えた所で、アンジェラは思考を止めて歩き出した。
目的を終えた今、早くマルタ達と合流しなければ。
ざわめく胸を静かに抑え、アンジェラは遠くなるリヒターの背中に置いて行かれないよう足を動かし続けた。


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