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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -
6-04:Conceal.―偽りの過去、失った過去―

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 宿に着くと、エミルはすぐに眠ってしまった。
疲れがたまっているのか、記憶を取り戻しつつあることでエミル自身にも何か負担がかかっているのか。
マルタ達には聞こえないようテネブラエに問いかけてみたが、よく分らないらしい。
とにかく今は休ませた方がいいということで、エミルのことはテネブラエに任せ、アンジェラ達は部屋を出た。

「少し、いいだろうか」

 そう言うリーガルの目は、真剣そのもの。
エミルのことについてだろうか。
しいなはすでに了承済みなのか、彼女も真剣な表情でこちらを見ている。
二人に促され、サイバックの町を歩く。
マルタもリーガル達の様子が違うことに気付いたのか、不安げにこちらの様子を伺ってくる。
それにあえて気づかないふりをして進み、広場の片隅についた所でリーガルがこちらに向き直った。

「……エミルは、エミルではないかもしれない」

 的を射た答えに、心臓が飛び跳ねる。
それを表情に出さないように努めて、アンジェラは言葉の続きを待った。

「エミルがエミルじゃない?」

だがマルタはリーガルの言葉の真意は分からない。
不思議そうに首を傾げた所で、頷いたリーガルが言葉を続けた。

「少なくともリフィルはそうではないかと私に手紙で知らせてきた。しばらく見守らせてもらったが、確かにラタトスクの憑依だけではラタトスクモードの説明が付かないようだ」

「……リーガルの言う通りかもしれない」

神妙な面持ちで、しいなが口を開く。
何か思い当たる節があるのか、腕を組んで考え込むように何もない宙を睨んでいる。

「昔、あたしたちは仲間の体に別の誰かが乗り移る現象を見たことがある。エミルのラタトスクモードもラタトスクの力の憑依なんだろ?それにしちゃ、憑依されてる時間も長いし、その間の記憶も自分のものとして覚えてるだろ……」

ようやくリーガル達の話が理解出来てきたのだろう。
マルタの表情は段々と険しくなり、でも、と俯いた。

「でも最近エミルはラタトスクモードになったときのこと、覚えてないみたいです」

「我々の知っている憑依状態は、その間も『憑依されてる』という意識があるのだ。エミルの場合は自分だという確固たる意識があった。そして最近は記憶がなくなってきている。リフィルの予測通りだ」

流石はリフィル。
あの短時間でここまで見抜くとは。
彼女は真実に近い。
そしてこの情報を共有したしいな達も真実に近づきつつある。

「リフィルさんは……なんて?」

不安げに、マルタが問いかける。
エミルはエミルではない。
その言葉の意味を、じわじわと実感していることだろう。
リーガルは眉間の皺を深くし、その声は更に低くなった。

「リフィルは、本来のエミルが記憶喪失に陥っていると考えていたようだ。現在のエミルは、失われた記憶を自分で上書きして作り上げた架空の人格だというのだな」

「そんな筈ないです。エミルのおじさんもおばさんも、エミルをちゃんと甥として認識してたし」

「そこは私にもわからぬ。ただ、リフィルは本来のエミルは記憶ごと眠っていると考えていたようだ」

 やはり、誰もがこの壁に立ち止まるのだ。
もしエミルに家族がおらず、過去の彼を知る人物がいなかったら、エミルはエミルではないと簡単に立証できた。
だが、エミル・キャスタニエには伯父と伯母がいる。
ここまでの仮説を立てておきながら、伯父と伯母には確認をしていないのだろうか。
リーガルは考え込むように顎に手を当てた。

「それが、ラタトスクとの契約によって刺激を受けて目覚めたのではないかとな。そうでなければ、力を借りているだけなのに性格まで変わるとは思えないと」

あと一歩。
あと一歩で、リーガル達は真実に辿り着く。
たった一言、アンジェラが告げれば、彼らは真実を手に入れる。
たった、一言で。

「アンジェラ、お前はどう考える?」

 ついに向けられた矛先に、少しだけ身体が強張った気がした。
誰もがアンジェラを見ている。
寧ろ今まで何も聞かれなかった方が不思議だろう。
何と言えばいいのだろう。
正直に答えるべきか、いつものように嘘をつくべきか。
考えあぐねいていると、しいなが大きく息をのんだ。

「エミル!」

 彼女の視線の先には、うなだれたエミルがいる。
今の話を聞いていたのだろう。
項垂れるエミルは、苦しみに耐えるように垂れた拳を握りしめていた。

「……つまり……今の僕は偽物ってこと…ですか?」

「聞かれてしまったか……」

「リーガルさん!」

呟くような声に、エミルが弾かれたように顔を上げる。
緑の瞳は傷ついたように揺れ、縋り付くような視線にリーガルは苦しげに首を横に振った。

「違う、そうではない。お前もまたエミルだ。だが、記憶を失った状態で社会と向き合うために生み出された人格がお前で……」

「じゃあ、僕は何なんですか!僕は……僕はっ、」

エミルの声は震え、その体も震えている。
当然と言えば当然だ。
彼は今、自分の存在を全否定されたようなものなのだから。
エミル・キャスタニエという人間は存在しない。
記憶も、過去も、全て作られた偽りの存在。
だがどんなに辛くても、それが現実だ。
その姿は最初に会った頃よりも弱弱しくて、今にも消えてしまいそうで。
最近では頼りがいのあるようになった背中がとても小さく見えて。

「あなたはエミルよ」

 気が付けば、自然と口を開いていた。
こんなことを言って何になるのだろう。
真実から遠ざけても、いつかはきっと彼らは真実に辿り着く。
傷つくのが今か、遠くない未来かの話というだけ。
それなのに、何故か口は動き続ける。

「私は、昔の貴方なんて知らない。でも臆病で弱虫で、それでもマルタを守るために必死に強くなった優しい貴方は知ってるわ」

「アンジェラ……」

息をのんだエミルが、アンジェラを見つめる。
だが緑の目から不安も悲しみも消えない。
地下研究室ではあんなに力強い目をしていたのが嘘のようだ。
 エミルは強くなった。
それでも、自分に自信がない所は変わらない。
それがほんの少しだけ嬉しくて、けれど彼にこんな悲しげな思いをさせたくなくて。
まだ不安げなエミルに、アンジェラは微笑んだ。

「貴方がエミル・キャスタニエでなかったら、貴方の成すべきことは変わるの?全てをなかったことにするの?マルタやコアがどうなってもいいの?この世界がどうなってもいいの?」

問いかけながらも、エミルがなんと答えるかは分かっている。
俯いていても、きっと彼は首を縦に振らない。
立ち止まらない。
前に進み続ける道を選ぶだろう。

「……よくない」

予想通りの答えに、口元が緩む。
 顔を上げたエミルの目にはいつもの力強さが戻ってきていて、内心安堵の息を零した。

「ロイドのことも、コアのことも、マルタのことも、今更なかったことになんて出来ない」

いつもの調子に戻ってきたのだろうか。
彼はこれでいい。
彼は彼として、エミル・キャスタニエとして自覚して、エミル・キャスタニエとしての意志を持っていればいい。
そうすればきっとあの日の悲劇を繰り返さずに済む。
眩しいほどの光を湛えた目に、胸に小さな期待が灯るのを感じながらアンジェラは小さく笑った。

「だったら、それで良いんじゃないかしら。大切なのは、自分がどう在りたいかでしょう?大切なことを見失わないで」

エミルがエミルとして存在し続ければ、何も失わないで済む。
もう二度とラタトスクに奪われたくはない。
願いを込めて紡いだ言葉は、エミルに伝わっただろうか。
 小さく微笑んだエミルに、リーガルがそっと目を伏せた。

「すまないな。私の言葉がエミルを傷つけてしまった」

「ただ、これだけはわかっとくれ。リーガルは偽物呼ばわりしたくて言ったんじゃない」

 リーガルもしいなも、傷つけるつもりはなかったのだろう。
しいなは心配げにエミルを見つめながら言葉を続けた。

「あんたが消えてしまうんじゃないかって、心配してこの話を切りだしたんだ。あたしもリーガルも、リフィル達だって今のエミルが大事なんだよ」

「消えるってどういうこと?」

またもや出てきた不穏な言葉に、マルタの表情が曇る。
しいなはマルタに向かって頷き言葉を続けた。

「あたしたちは人が憑依されてるだけじゃなく、二つの人格が一つの身体に入ってるのを見たこともあるんだ」

「そんなことがあるんですか?」

こんなことを急に言われても驚くだろう。
しいなの話していることは、以前リーガルに聞いたことがある。
眉をひそめるマルタにリーガルが口を開いた。

「かつてリンネの身体にはリンネ・アーヴィングという人格と、別の人格が共存していた。今は別人格は消えてしまったがな……」

「どうして消えたんですか?」

「一つの身体に二人の人格は共存できないからだ。消えた彼女は、自分の意志で消滅を選んだらしい」

やはり、とアンジェラは内心頷く。
一つの体に二つの心。
精霊が創りだした存在。
それは人知を超えた存在。

「彼女なら、エミルのことも何か分かるかもしれんな」

「気になるなら、メルトキオに戻るかい?」

アンジェラとしても、出来ることならリンネに話を聞きたい。
彼女はラタトスクのこともよく知っている。
リンネなら、どうすればエミルが消えずに済むか分かるのではないだろうか。

「大丈夫です。今、大事なのはシュナイダーさんにコアのことを聞いて、コアを回収することですから」

ね、と同意を求めるようにエミルが一同を見渡す。
出会った頃のエミルなら、きっとセンチュリオン・コアなど放っておいて自分の身を優先しただろう。

「こちらにいらっしゃいましたか。シュナイダー院長がお戻りになりました」

 その時、声をかけてきたのは白衣を着た男性だった。
もう少し時間がかかると思ったが、調査の方は終わったのだろうか。
行けるのならすぐにでもシュナイダーに会って許可証を貰いたい。
だが、とアンジェラがエミルを見ればリーガルも同じ不安を抱いていたのだろう。

「行けるか?」

「はい。行きましょう」

声をかければ、エミルはしっかりと頷いた。
もう体調不良も治ったのだろうか。
歩き始めるエミル達の背を追って、アンジェラもゆっくりと歩き出した。
 あまり行きたくはないが、リーガル達がいればなんとかなるだろう。
大丈夫、と言い聞かせてアンジェラは大きく息を吐き出した。



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