3-10:Daydream.―夢と現実―
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「エミル遅いなぁ……。生煮えになっちゃうよ」
今日の夕食はシチュー。
あとは火を入れて煮込むのみという状況で、ジーニアスはため息をついた。
辺りが草原なら薪拾いにも時間がかかるだろうが、あの森には鬱蒼と樹が生い茂っている。
薪が見つからないということはありえないだろう。
「少し様子を見てくるわ。迷子になっているかもしれないもの」
可能性があるとすれば、道に迷ったということ。
立ちあがって服についた汚れを軽く払えば、マルタも立ちあがった。
「私も行く!」
「大丈夫よ。そう遠くへ行っていないはずだし、すぐ戻るわ」
元気のいいマルタにアンジェラは首を横に振る。
あまり大勢で行ってすれ違ってもいけない。
簡単に様子を見てくるだけだと説明して、アンジェラは森の中に足を踏み入れた。
完全に日が暮れた森の中は薄暗く、どこから魔物が飛び出て来てもおかしくない。
エミルも魔物にてこずって戻って来れないのだろうか。
視線を落として、エミルの足跡を頼りに森を進む。
耳を澄ませても何も聞こえないということは、ただ単に薪探しに時間がかかっているだけだろうか。
そっと息を零して近くの樹に目を向ければ、魔物の爪痕があった。
この爪痕、そしてこの辺りの生態系を考えるとスキゾズのものかもしれない。
いくらラタトスクの力があったとしても、スキゾズ相手にエミル一人では辛いだろう。
これは急いだ方がいいかもしれない。
歩調を速めて歩いていた、その時。
「――さっさと行け!」
「は、はい!」
森の奥から聞えてきたのはリヒターとエミルの声。
まさか、リヒターに襲われているのだろうか。
すぐに駆けだせば、茂みの中からエミルが現れた。
「アンジェラ!」
「エミル、今の声はリヒターよね?」
「あ、うん……さっきばったり会っちゃって」
頷くエミルを一瞥し、アンジェラはエミルが飛び出してきた茂みの奥を見た。
だが辺りを見渡してもリヒターの姿はどこにもにない。
どうやら逃げられたようだ。
アンジェラはそっとため息をつくと、エミルに向き直った。
「何か話していたの?」
「大したことじゃないよ。魔物に襲われた所を助けてもらったんだ」
「怪我はないの?」
エミルの言葉を聞き、アンジェラはエミルの姿をつま先から頭の天辺まで観察するが、当のエミルは大丈夫だよと笑っている。
この様子だと大きな怪我もなさそうだが、それにしては汗の量が尋常ではない。
「大丈夫?顔色が悪いわよ」
「そんなことないよ。僕がまた変な夢を見ただけだから」
笑って言うエミルに、アンジェラは眉をひそめた。
変な夢、とはまさか以前の白昼夢のことなのだろうか。
もしそうだとしたら……
「ハコネシア峠で見たのとよく似てたんだけど、リヒターさんに殺される夢を見たんだ」
予想通りの言葉に、アンジェラは掌に汗が滲むのを感じた。
どうして、あんな僅かな情報だけであの日の事を思い出すのだろう。
以前エミルは暗い場所で襲われる夢を見た、と言っていたがそれはただの夢。
そう思いたいのに、何故自分は焦っているのだろう。
アンジェラの動揺に気付く気配はなく、エミルは何気なく言葉を続けた。
「暗い場所で、恐い顔をしたリヒターさんが僕に武器を振り下ろして……でも、」
「でも?」
武器を振り下ろされた、その先はどうなったのだろう。
何故か声が震えそうになるのを耐えながら問いかければ、エミルは何か考えるように視線を走らせた。
「今回は少し違って、誰かが助けてくれた気がするんだ」
振り下ろされる武器……剣と斧、それを助けた何か。
じわじわと胸の奥からせり上がるものを感じ、アンジェラはそれをぐっと飲み込んだ。
これは表に出すべきものではない。
アンジェラは感情を呑み込んで、笑みを張りつけた。
「殺される夢は縁起が良いと聞くわ。気にすることないと思うわよ」
「リヒターさんにも同じこと言われたよ」
アンジェラの作った笑みに、エミルも笑った。
彼も同じことを思ったのだろうか。
暗い部屋、振り下ろした武器、それを防ぐ何か。
その何かは、もしかして…………
問いかけたその言葉を、アンジェラは呑み込んで胸の底に沈めた。
まだだ、まだ確証はない。
この言葉は、まだ口にしてはいけない。
「アンジェラは、大丈夫なの?」
考え込んでいると、エミルが心配げにこちらを見ていた。
それほど怖い顔をしていただろうか。
「何の話かしら」
いつもの笑みを作れば、エミルは視線をそらした。
何か言い辛いことなのだろうか。
じっと答えを待てば、エミルがゆっくりと口を開いた。
「……その、身体が丈夫じゃないって聞いたから」
居心地悪そうに、エミルが頭をかきながら視線を泳がせる。
何の脈絡もない言葉、言いづらそうな表情。
誰から、と聞きかけてアンジェラはそっと息を吐き出した。
きっとエミルが言い辛そうにしてるのは、言い辛い相手から聞いたからだ。
エミルがそんなことを聞く相手なんて一人しかいない。
「リヒターから聞いたのね」
「ど、どうしてそれを!?」
「分かるわよ。顔にかいてあるもの」
目を丸くするエミルの頬を指さし、アンジェラはにっこりと笑った。
隠したいならもう少しうまくすればいいのに。
彼もマルタと同じで嘘をつくのが苦手なようだが、少年らしいその不器用さは嫌いではない。
隠しごとがばれて妙な緊張が解けたのか、エミルは苦く笑った。
「無理しないでね。アンジェラに何かあったら、リヒターさんが悲しむよ」
その優しい言葉に、アンジェラはそっと目を細める。
リヒターは何を考え、エミルにどんな話をしたのだろう。
アンジェラのことを、どう思っているのだろう。
「……悲しむわけがないわ。むしろ喜ぶでしょうね」
「そんなことない!リヒターさんはそんな人じゃないよ!」
首を横に振れば、エミルが拳を作って力説してきた。
リヒターに何を吹き込まれたのか、必死な姿に胸が痛む。
もしエミルの言うことが本当だったら、どんなに嬉しいだろう。
仄かな期待を胸に抱きかけ、アンジェラは嘲笑する。
彼がアンジェラの心配なんてするわけがない。
今のリヒターにとって、アンジェラは邪魔者でしかないのだから。
「昔はそうだったかもしれないけれど……今は違うわ」
ラタトスクに全てを奪われる前なら、少しは心配してくれたかもしれない。
だが、あの日からリヒターは変わってしまった。
もし本当にアンジェラのことを大切にしているなら、血の粛清の夜もアンジェラを信じてくれたはずだ。
殺そうとしなかったはずだ。
だがあの日、リヒターはアンジェラを殺そうとした。
それがリヒターにとってアンジェラがどういう存在かを示しているようなもの。
「違うよ。だって、リヒターさんはあんなに……」
「そんなことより、早く戻らないとマルタ達が心配するわよ」
まだ何か言おうとするエミルの言葉を遮り、アンジェラは踵を返した。
これ以上慰めなんて聞きたくない。
現実は受け止める主義だ。
だから、今更悲しくなんてならない。
アンジェラは静かに拳を握りしめ、森の出口に向かって歩き出した――――
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