2-17:Demarcation.―排他と共存―

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 「それにしても地下なのにこんなに水があるなんて……」

「これって、もしかして地底湖じゃないかな」

奥に進み続けると、水路がどんどん大きくなっていく。
いや、水路と言うより河と言った方が正しいだろうか。
その奥にあったのは大きな湖。
辺りを見渡すエミルとマルタに、アンジェラは近くの水を手で掬って匂いを嗅いだ。

「微かに潮の香がするわ」

つまり、と考えながら視線を送ればテネブラも気付いたのだろう。
納得した様子で大きく頷いた。

「なるほど、分かりましたよ。シケの原因が」

「本当!?」

驚きに目を開くエミルに、堂々とテネブラエが頷く。
ここに入った時に散々説明をさせられたのだ。
今回はテネブラエに説明してもらうとしよう。

「ええ。おそらく原因は魔物同士の縄張り争いでしょう」

「そんなことで海がシケるの!?」

「はい。トマスさんは淡水系の魔物であるレモラを海でみかけたと言っていた。本来ではあり得ない事です」

言ってテネブラエはマルタとエミルを見た。
二人がきちんと理解しているか確認しているのだろう。
テネブラエは二人からの質問がないことを確認すると言葉を続けた。

「魔物はあまり生息圏を変えませんから、後天的な理由でこの辺りの海とここの地底湖が連結したのではないかと」

「ええ!?」

テネブラエの言葉にエミルが大きな声を上げる。
ここはカミシラ山地の奥深くにある。
海から程遠いこの遺跡が海と繋がっているとは信じられないのだろう。
本来なら考えられないことだが、二年ほど前、世界は大規模な地殻変動に見舞われた。
原因の一つはそれだろう。

「世界統合の影響かしら」

「それもありますが、アクアの職務放棄もあります」

「どういうこと?」

頷いたテネブラエにエミルが首を傾げる。
センチュリオンはマナのバランスを整える存在だと話したはずだが、頭に入っていないのだろうか。
内心ため息をつくアンジェラだが、テネブラエは嫌な顔一つせず口を開いた。

「海はセンチュリオン・アクアの領域。センチュリオンは自分の属性の魔物と契約の縁を結び、バランス管理をしなければなりません」

しっかりとした口調で説明するテネブラエだが、そこで一度言葉を切り。
やれやれ、と少々大げさな溜息をついて首を横に振った。

「あれがリヒターなどという男にうつつを抜かして、職務を放棄しているせいで水属性の魔物達が野放しなのでしょう。まったく、嘆かわしい」

言ってその後もテネブラエはぶつぶつと文句を言っている。
アクアにはセンチュリオンとしての自覚が足りない。
何故あんな男に従っているのか。
あいつには人を見る目がない。
属性的には何の問題もないようだが、テネブラエはよほどアクアが気に入らないらしい。
やはりラタトスクを裏切ったということが大きいのだろう。
アクアの愚痴を零すテネブラエにマルタは溜息をついた。

 「テネブラエって小姑だよね」

「うんうん」

呆れるマルタにエミルが何度も頷く。
彼もテネブラエの小姑のような態度に呆れているのだろう。
だが当のテネブラエはというと、心外と言わんばかりに二人を睨んだ。

「なんですと?」

「男なら細かいことは気にしないの!」

何も言うなと言わんばかりにマルタが強く言えばテネブラエが口を噤む。
なんだかんだでテネブラエはマルタには頭が上がらない。
何か言いたそうにしつつも、何も言わずに口を閉ざした。

 「でも、淡水系の魔物って海でも暮らせるの?」

淡水系の魔物が海に生息できるかひっかかるのだろう。
訝しげなエミルにテネブラエが頷いた。

「レモラに代表される種族は海水にも多少の耐性があると思います」

「じゃあこの湖が海に繋がってるんだね……」

納得したのか、マルタがぐるりと地底湖を見渡す。
一見穏やかに見えるが、ここに大シケの原因となった魔物がいるはずだ。
と考えた時、アンジェラは水面に湧き上がる水泡に眉をひそめた。

 「二人とも、離れて!」

声をかけると同時に水しぶきを上げて飛び出してきたのは大きなナマズに似た魔物、マニトウ。
アンジェラは即座にその場から飛びのき、マルタもその場からすぐに飛びのいた。

「うわあああっ!」

一歩遅れたエミルが頭から水をかぶりながら間抜けな声を上げると、魔物が咆哮を上げた。
巨大な口からのぞくのはきっちりと並んだ大きな歯。
あんなものに噛まれたらひとたまりもないだろう。

「あれは……マニトウ!」

驚きの声を上げながらもマルタの手にはスピナーが握られている。

「あいつは人一倍縄張り意識の強い奴です。奴なら海の種族と対立しかねない」

「ってことは、こいつがシケの原因!?」

「おそらく」

剣を抜いたエミルにテネブラエがマニトウを見据えて頷く。
気性の荒いマニトウのことだ。
このまま縄張りを荒らされて黙っているわけがない。

「うわ!く、来るよ!」

怯えながらもエミルが剣をしっかりと構えれば、彼の纏う空気が変わった。
剣を構えるエミルの背にはもう躊躇いはない。
エミルは強く地面を蹴ると一気にマニトウとの距離を詰め、マルタも一歩前に踏み出したが彼女に前に行って貰っては困る。

「マルタ、術でエミルの援護をお願い」

「え?でも」

「地の利はマニトウにあるもの。まずは私が動きを止めるわ。その後、一気に決めるわよ」

エミルと共に前に行こうとしたマルタを止めて、アンジェラは口早に説明する。
前を見れば、エミルが湖を出たり入ったりを繰り返す魔物に苦戦を強いられていた。
マルタが前に出た所で、同じように攻撃を当てられないだろう。
前で剣を振り回すエミルに状況を理解してくれたのか、マルタはすぐに頷いて詠唱を始めた。

 「さっさと消えろ!鳳翼旋!」

エミルが空中で大きく剣を振りかざすが、中々当たらない。
舌打ちをするエミルにそっと溜息をついて、アンジェラは矢を放った。

「紅蓮!」

放った矢が炎を纏うが、マニトウに刺さると消えてしまう。
それどころかすぐに矢は抜け、気に障ったのだろうマニトウの目がこちらを向いた。

「活力を分け与えよ――チャージ!」

マルタの澄んだ声が響くと、エミルの身体に光が宿る。

「瞬連刃!」

マニトウの背後からエミルが斬りかかり、大きく剣を振り下ろせば衝撃波がマニトウの背に刻まれた。

「疾風!」

傷をめがけて三本の矢を放つが、矢はマニトウの背に浅く刺さっただけで効果はない。
態勢を立て直すつもりなのだろう。
湖に逃げたマニトウにエミルが忌々しげに舌打ちした。

「ちょこまかと逃げやがって!」

「貴方みたいに、前に突っ込むだけの馬鹿じゃないのよ」

「何だと!?」

軽く嫌味を言えば、燃えるような赤い目がアンジェラを射抜く。
その目に胸の古傷が痛むが、アンジェラは軽く息を吸うと詠唱を始めた。
彼の猪突猛進な戦い方に文句を言うのは後だ。
まずはマニトウを片づけなければ。

 「緘黙させよ、絶対零度。その腕にて永久の眠りを与えん――」

意識を集中させ、氷のマナをかき集める。
足元から冷気が吹くのを感じながらアンジェラは湖を見据えた。
今のアンジェラがこの術を使えるのは一発が限度。
湖から水泡が湧き上がるのを見、アンジェラは大きく息を吸った。

「アブソリュート!」

そしてマニトウが湖から顔を出すのと同時に術を発動させる。
一瞬にして湖が凍りつき、逃げ場を失ったマニトウの吐く息が白く染まる。
完全に動きを止めることは出来なかったが、下半身が凍っただけでも十分だろう。

「砕覇双撃衝!」

動けないマニトウにエミルが剣を穿ち、衝撃波で追い打ちをかける。
これならいける。
アンジェラはスピナーで斬りかかるマルタを見て再び詠唱を始めた。

「燕舞斬!」

「ダークスフィア!」

マルタが斬りかかった場所めがけて闇を爆発させる。
だが、これで終わらない。

「いくわよ!」

「任せて!」

再び闇のマナを紡いで、マルタのスピナーに収束させる。
今度は爆発させるのではなく、スピナーを包むように優しく、そして鋭く。

「「旋風影破!」」

マルタが闇のマナを纏ったスピナーで舞うようマニトウを斬り裂くと、巨大な身体は氷を割って湖に沈んでいった。
これだけやれば十分だろう。
アンジェラは大きく息を吐き出すとボウガンをガントレットに戻した。
久々に上級魔術を使ったからだろうか。
マナの使いすぎで疲労感が身体を支配している。

 「エミル、私たちのユニゾンアタック見てくれた!?」

「ゆ、ゆにぞん?」

マルタがスピナーを仕舞い、嬉々としてエミルに駆け寄る。
やはり戦闘中のことは覚えていないのだろう。
エミルは緑色の目で瞬きを繰り返している。

「複合技の事よ。見たのは初めてかしら?」

それに気付かぬふりをしてアンジェラはにっこりと微笑む。
感想を求められて困っているのだろう。
エミルが視線を泳がせていると、水しぶきが落ちてきた。

「っ!」

顔を上げるとそこにいたのは倒したはずのマニトウ。
すぐさまボウガンに変形させようとしたが時すでに遅く。

「うわああああ!!」

「きゃあああ!!」

アンジェラは、エミルとマルタの悲鳴と共にマニトウの巨大な口に呑み込まれた。
こんな所で終わるわけにはいかない。
まだやるべきことがあるのに、遠ざかる意識は繋ぎとめることが出来なかった。


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