2-11:Deside.―趣旨と心境―

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 「何故、マルタに味方する?ラタトスクが目覚めればどうなるか、分かっているだろう」

人気のない街道に出た所で、それまで黙っていたリヒターが口を開いた。
この話をしたかったからエミルと引き離したのだろう。
背を向けたまま歩くリヒターにそっと息を零して、アンジェラは目を細めた。

「ええ。あのラタトスクが目覚めれば、人々は根絶やしにされるでしょうね」

「だったら」

「でも、それは貴方も同じでしょう?」

「俺と奴を同じにするな!」

笑って言えば、リヒターが怒声を上げてこちらを振り返った。
リヒターにとってラタトスクは憎むべき敵。
そんな奴と同じ扱いをされれば怒るのは当然のこと。
予想通りの反応に、アンジェラは目に力を込めた。

「手段も志も違っても、世界を滅ぼすことに変わりはないわ。だから私は、私なりのやり方でラタトスクを目覚めさせる」

「お前なりのやり方?」

眉をひそめるリヒターに、アンジェラは静かに頷く。
そしてあの日のテネブラエの言葉を復唱するように、言葉を紡いだ。

「ラタトスクに人の必要さを知って貰って、考えを改めさせるのよ。アステルがそう望んだように」

アンジェラの答えに、リヒターの目が揺らぐ。
いや、アンジェラの言葉というよりアステルの名に心が揺らいだのだろう。
リヒターもアステルの本当の願いが何なのかはよく分かっているはずだが、そう出来ないのはラタトスクへの深い憎しみがあるからだ。
アステルの事を思い出しているのだろうか。
口を閉ざしたリヒターだったが、眼鏡を人差し指で押し上げて笑った。

 「あのマルタに毒されたか?随分平和ぼけした思考だな」

だがリヒターの笑みは共に研究に明け暮れた時のような明るい笑みではなく、冷たい嘲笑。
いつからこんな冷たい笑みだけになったのだろうと考え、すぐに答えは出た。
リヒターからあの優しい笑みを奪ったのも、アステルのあの無邪気な笑みを奪ったのも、全てはラタトスクだ。
奴さえいなければ、こんなことにはならなかった。
奴と出会わなければ、奴さえいなければ。
湧きあがる憎しみを鎮め、アンジェラはそっと笑みを作った。

 「私、平和主義だもの」

「どの口がそんなことを言うんだ」

「この口よ」

「ああ、そうか」

人差し指で唇を指せば、リヒターは鼻を鳴らして視線を逸らした。
理由はどうであれ、こんな不毛な会話をしたのは本当に久しぶりだ。
思わず笑みを零せば、リヒターの視線が戻ってきた。
笑われたのが嫌だったのだろう。
アンジェラは笑みを浮かべたままゆっくりと口を開いた。

 「頭のネジが抜けたゆるい人間。バカみたいなお人好し。それが私達の大好きなアステルでしょう?」

親友の名にリヒターの肩が揺れる。
それだけリヒターにとってアステルは特別な存在だからだ。
再び視線を逸らしたリヒターにアンジェラは続ける。

「そのアステルの願いを、叶えたいのよ」

はっきりと告げれば、リヒターの目が揺らいだ。
少しでも動揺してくれたのだろうか。
その心を探ろうとじっと見つめていたが、リヒターは逃げるように踵を返してこちらに背を向けた。

「そのために、あのラタトスクに魂を売るのか」

今のアンジェラは完全にラタトスクの味方だと思ったのだろう。
低い声に小さく頷き、アンジェラは口の端を上げた。

「目的の為なら、こんな安い魂くれてやるわ」

アンジェラの答えにリヒターは静かに拳を握りしめた。
かつて味方すると言っておきながら、敵対するアンジェラに腹を立てているのだろうか。
憎むべきラタトスクに味方するアンジェラを憎んでいるのだろうか。

 「……ラタトスクは、お前の命を奪う」

「そうね。でも殺されないかもしれない。アステルだって、リンネだって生きているもの」

あの日ラタトスクはアンジェラ達から大切なものを奪ったが、誰も殺してはいない。
植物状態とはいえ、アステルも一応は命を繋ぎとめている。
それに、死んだと思っていたリンネもつい先日姿を現したのだから。

 「お前もリンネに会ったのか?」

振り返ったリヒターの目は微かに見開かれていた。
お前も、ということはリヒターもリンネと再会したのだろう。
アンジェラは目を細めて頷いた。

「死んだと思っていたけれど、生きていたみたいよ。あの状況でどう生き残ったかは分からないけれど。貴方は何か知らないの?」

「いや、俺もこの前湖底で会うまでは、あいつが生きていることも知らなかった」

リヒターの言葉に嘘がないのはその目を見ればわかる。
リンネの存在に驚いたのはリヒターも同じのようだ。
いや、彼女の死をその目で見たリヒターの方が驚きは大きいかもしれない。

「どちらにしろ、あいつがコアを狙っているのは確かなようだ。気をつけろ」

意外な言葉に、アンジェラは思わず目を見開いた。
今のアンジェラはラタトスクの味方であり、リヒターの敵だ。
彼にとってアンジェラは邪魔な存在でしかないのに、彼は心配してくれる。
これがかつてアンジェラを殺そうとした者の台詞なのだろうか。
理由はよく分からないが、リヒターの優しさが嬉しくてアンジェラは笑った。

「心配してくれるのね。嬉しいわ」

「今は道案内をしてもらわなければ困るからな」

そっけない言葉を残して歩き出したリヒターにアンジェラも続く。
こうして肩を並べて歩けなくなって早半年。
理由はどうであれ、また隣を歩けることが嬉しくて。
アンジェラの頬は自然と緩んだ――――









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