2-09:Study.―騎士として、人として―
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コアの気配が強くなっているとテネブラエに言われ、警戒しながら奥へ奥へと進む。
魔物の数が増えてきているのもコアの影響なのだろう。
風の強い広い通路を抜け、足元にあったスイッチを押せば大きな石造りの扉が開いた。
扉が開くと感じたのは風のマナ。
ここが最深部なのだろう。
緑色をした蓮の花のようなものの上に雫のような、蕾のような石……コアがあった。
「あ、あれ……」
「ウエントスのセンチュリオン・コアです。間違いありません」
台座に浮くコアを見たエミルにテネブラエが頷く。
背後を振り返っても、侵入者の気配はない。
この分だとコアを奪われずにすむだろうか。
だがまだ安心は出来ない。
石舞台の入り口で待っている可能性や、帰り道に鉢合わせする可能性もある。
早くコアを手に入れてここを出た方がいいだろう。
エミルが祭壇に一歩近づいたその時。
祭壇を守るかのように黒い魔物が現れた。
背に生えたのは蝙蝠のような黒い翼。
人の手とよく似た、けれど人とは違う鋭利な指先。
そして針のように尖った一本の足は、大地に着くことなく宙に浮いている。
「あれは……ツァトグ!?」
「ええっ!?ツァトグって偽の精霊でしょ?前にコレットたちが倒したんじゃないの!?」
息をのんだコレットに、エミルが振り返る。
以前聞いた話では、生贄を要求してきた偽物は二年前に退治されたはず。
アンジェラは眼前の魔物を見据え、気配を探った。
「確かに風のマナは感じるけれど……」
あのツァトグからは風のマナを感じる。
それも並大抵の魔物が持ち得ぬ強力なマナが。
これなら風の精霊と間違えられるのも納得できるが、と考えを巡らせながらアンジェラはテネブラエを見た。
「……あれはウエントス……」
「どういうこと?偽の風の精霊じゃないの?」
「姿は違います。ただ、気配はウェントスに似ている……」
マルタが振り返れば、テネブラエは眉間に皺を刻んだ。
姿の違う仲間の姿に戸惑っているのだろう。
アンジェラは視線を戻し、偽物に目を向けた。
「コアの力を得て変化した魔物という可能性は?」
「その可能性はあります」
テネブラエの答えにそう、とだけ返しアンジェラはガントレットをボウガンに変形させる。
相手が何者であれ、あのツァトグが大人しくコアを渡してくれるとは思わない。
「どうしよう。あいつがいるとセンチュリオン・コアに近づけないよ」
「力でねじ伏せましょう。それしかありません」
弱々しく後退るエミルにテネブラエがはっきりと告げる。
この状況で逃げられるとでも思っていたのだろうか。
中々剣を抜かないエミルを尻目にミトスが腰の剣を抜いた。
「そうだね。相手も僕らを見逃してくれなさそうだし」
「……ま、また戦うの?」
「こいつを倒してコアを孵化させないと、魔物はどんどん増え続けるわよ。そっちの方が危険じゃないかしら」
口元を引きつらせるエミルに笑って頷いて、アンジェラはボウガンを構える。
それと同時に偽物ツァトグがつむじ風を巻き起こし、アンジェラ達はその場から飛びのいた。
「いっそ普段もラタトスクに憑依されてれば怖い思いしなくてすむのに!」
やけくそになりながらエミルが漸く剣を抜けば一瞬にして空気が変わり、同時に胸の古傷がずきりと痛む。
最初の頃のように震えることはなくなったが、エミルがラタトスクの力に憑依される度に何故かこの傷が痛むのだ。
精神的な問題なのだろうか。
だが今はそんなことを考えている暇はない。
思考の世界に陥りそうなのをぐっとこらえて、アンジェラはマナを紡ぎ始めた。
「このやろう!」
エミルが大きく剣を振り翳して一気に振り下ろし、続いて勢いよく薙ぐ。
こんな場所で大規模な術を使えば天井や壁が崩れ、生き埋めになる可能性がある。
ここは前の二人の動きに合わせて術やボウガンで攻めるべきだろう。
「ライトニング!」
「リジェクション!」
アンジェラの放った雷で動きが止まった所に、ミトスが衝撃波で吹き飛ばす。
だが大きく吹き飛んだツァトグはその大きな羽で態勢を立て直した。
高く飛んだツァトグが両手を交差し何かの攻撃に入るが、そんなツァトグよりも高くエミルが飛んだ。
「虎乱蹴!」
エミルによって高く斬り上げられたツァトグが、またエミルによって地面に叩きつけられる。
それを追ってエミルがツァトグを踏みつけるようにして着地し、笑った。
先ほどまで怯えていたはずだが、今のエミルは完全に戦いを楽しんでいる。
ラタトスクの力とは実に恐ろしいものだ。
だが苦しげなツァトグが鋭く尖った足を振り上げれば、エミルの足に鮮血が走った。
「エミル!」
すかさずミトスがフォローに入り、マルタが治癒術を唱える。
どうやらエミルの攻撃で怒り狂ったらしい。
ツァトグが羽を広げ、竜巻を起こした。
吹き荒れる風に、さすがのミトスも粋護陣で守りに入る。
このまま防戦一方ではらちがあかない。
「ライトニング!」
素早くマナを紡いで術を放つ。
頭上に落ちた雷に、ツァトグが鋭い視線をアンジェラに向けた。
「瞬神剣!」
「穿孔破!」
その隙をミトスが見逃すはずがない。
ミトスが死角から剣を繰り出し、マルタの治療を受けたエミルがそれに続く。
これで前衛も持ち直した。
安心して後衛に専念できる。
アンジェラはそっと息を零して詠唱に入った。
「御許に仕えることを許したまえ。響けそうでん……あっ」
とその時、近くで詠唱をしていたコレットの言葉が止まる。
まさかと思い、隣を見ればコレットは恥ずかしそうに笑っていた。
「間違えちゃった。失敗失敗〜、エヘヘ……」
詠唱を間違うなどありえない。
しっかり集中していれば、こんな失敗などするわけがない。
だがこれが世界を救った神子なのだから信じられない話だ。
溜息をつけば、感じたのは違和感。
本来なら術者が詠唱を止めれば集まっていたマナも霧散して消えていく筈だが、マナは霧散するどころかどんどん集まってくる。
この力は一体何だろう。
「あれ?」
コレットが首を傾げたその時。
無数の光が雨となって辺りに降り注ぎ、足元からは桃色の光が溢れた。
降り注ぐ光はツァトグを貫き、足元から湧いてくる光はアンジェラ達の傷を癒していく。
たまった疲れを取り除くかのような光に、思わず安堵の息を零しているとツァトグの断末魔が聞えた。
「い、今の……何?」
「ご、ごめんね!また失敗しちゃった……」
マルタがおそるおそる振り返れば、コレットが何度もごめんね、と繰り返した。
信じられない話だが、今の強力な術は失敗によって発動したらしい。
今の術でエミルも正気に戻ったのだろう。
剣を仕舞った緑色の目は、怯えているように見える。
「あれが失敗なの?」
「コレットは詠唱を間違うと、今のホーリィジャッジメントを発動しちゃうんだよ」
「素晴らしい失敗ね」
溜息をつくミトスに、アンジェラは思わず笑みがひきつるのを感じた。
術を失敗して命を落とした者の話なら聞いたことがあるが、術に失敗して事態が好転した話など聞いたことがない。
しかもミトスの話によると、今の失敗は初めてではないらしい。
今まで何度か発動したらしく、その全てが偶然によるものだそうだ。
信じられない現実にエミルは口元を引きつらせていたが、やがて気を取り直してテネブラエに向き直った。
「それにしても、今の奴どうしてまた復活してたんだろう」
「元々シルフの偽者とやらは、センチュリオン・コアの暴走から生まれた怪物だったのでしょう」
そう言ってテネブラエが見たのはコレットだ。
コレットはどうして自分に視線が向けられたのか分からないのだろう。
可愛らしく小首を傾げている。
「あなた方に倒されて力を失ったものの、コアは長い時間をかけて再び怪物を生み出した――そんなところでしょうね」
だが最後まで説明されれば納得したらしい。
コレットもそっと笑みを零して頷いた。
「これで、アスカードの風の暴走は収まるかな?」
「はい。ウェントスを孵化させれば解決するはずです」
コアを見つめるマルタに、テネブラエが頷く。
何はともあれこれでセンチュリオン・コアを手に入れられるのだ。
ほっと胸をなで下ろせば、コレットが祭壇に駆け寄った。
「あれがウェントスのコアだね。取ってくる」
「あ!危ない!」
「待ってコレット。コアのことはマルタ達に任せよう」
祭壇に一歩踏み出したコレットをマルタが呼び止め、ミトスが手を掴む。
止められる理由が分からないのだろう。
コレットは不思議そうに瞬きを繰り返している。
「間一髪、といった所かしら」
アンジェラがにっこり笑えば、益々訳が分からないといった様子でコレットが首を傾げた。
そういえば大切なことを彼女には話してなかった。
少しくらい触れた所で何の影響も出ないだろうが、コアに触れないに越したことはないだろう。
「センチュリオンはコアの状態だと休眠しています。故に力が制御出来ずに暴走して魔物を呼び寄せたり自然を狂わせてしまう。それほどの存在を人間が持っていて正気でいられると思いますか?」
「え!?」
「普通の人がセンチュリオン・コアを持っていると、その暴走に巻き込まれて心が壊れてしまうんだって。だから、触らない方がいいよ」
テネブラエの説明に息をのむコレットを横目に、マルタが祭壇を上がるとコアを手に取った。
コアには触れていないが、今の話を聞いて不安になったのだろうか。
コレットはコアを見、それを両手で包み込むようにして持つマルタを見て不安げに口を開いた。
「う、うん。分かった。でもマルタは平気なの?」
「私はラタトスクの加護があるから平気。それにすぐ孵化させちゃうし」
笑顔のマルタにコレットはそっか、と頷いたが表情は暗いまま。
恐らくはマルタ以外の事が気になっているのだろう。
「さあ、マルタさま。センチュリオン・コアの解放を」
「うん。わかってる」
それに気付かないテネブラエが声をかければ、マルタは頷いて軽く深呼吸すると両手でコアを掲げた。
今までコアは目にしたことがあるが、センチュリオン・コアを孵化させるのは初めてだ。
実に興味深い。
じっと観察しているとゆっくりとコアが宙に浮き、光を放ったかと思えば緑色の球体となってマルタの手に戻ってきた。
透き通る緑色のコアの中心にはウェントスの紋章があり、紋章につき従うようにしてコアの中で光が舞っている。
「これでウェントスが目覚めました。あの者が力を取り戻せば、ラタトスクの騎士たるエミルも新たな力に目覚めるでしょう」
テネブラエの言葉に安堵の表情を見せるエミルとマルタだが、コレットは俯いたまま唇をかみしめている。
やはり彼の事が気になるのだろう。
アンジェラはそっと息を吐き出し、口を開いた。
「ロイド達の事が気になるのかしら?」
「え?」
図星をさされたのがそれほど意外だったのだろうか。
目を丸くするコレットにアンジェラは目を細めた。
「私たちには加護があるけど、加護のないロイド達が持っていれば心が壊れるかもしれない。だから心配なのでしょう?」
アンジェラ達はラタトスクのコアがある為、心が壊れることはない。
だが普通の人間がコアを持っていれば心が壊れるのはもう実証済みなのだ。
ヴァンガードの総帥、ブルートのように。
じっと見つめれば、コレットが祈るように胸元で手を組んだ。
「ロイド達、センチュリオン・コアを集めてるんでしょ?だから……」
ぎゅっと握った手は震えていた。
それだけロイドとリンネが心配なのだろう。
彼女にとって二人は幼馴染であり、かけがえのない仲間でもある。
心優しい彼女は、リンネ達がコアの影響を受けていないか不安でたまらないに違いない。
「コレット。僕たち、ロイドを追いかけてるんだ」
重い口を開いたエミルの視線は下を向いたまま。
アンジェラ達の旅の目的もロイド達の目的も同じだが、エミルはロイドを殺すと言ってルインを出てきた。
そんな旅に、まさかコレットを誘うのだろうか。
「センチュリオン・コアがどこにあるか分からないから、ロイドを追いかければその先にコアがある筈だから……」
言って言葉を区切り、エミルは顔を上げた。
「だから……一緒に行こうよ」
エミルからの誘いにコレットが息をのみ、ミトスも軽く瞠目した。
マルタもエミルの言葉に驚いているようだが、口を挟まずじっとコレット達の反応を窺っている。
また何か反論するかと思ったが意外だ。
これが本当に、つい最近まで神子を恨んでいたマルタの反応なのだろうか。
彼女の中で憎しみは消えたのだろうか。
「それで、ロイドを見つけたらちゃんと危ないってこと説明して、それで……」
懸命に訴えるエミルにコレットが笑みを零した。
不安をぬぐえたのだろうか。
彼女の表情はいつもの穏やかさを取り戻していた。
「……ありがとう、エミル。だけど……私、ここを出たらみんなとお別れする」
「どうして?ロイド達のこと捜してるなら……」
目を見開くマルタにコレットが柔らかく首を横に振る。
こんな言葉が出てくるくらいだ。
きっとコレットがエミルの誘いに首を縦に振ったとしても、何も文句は言わなかったのだろう。
「ロイド達はレアバードっていう空を飛ぶ機械を持ってるし、それがなくても空を飛べるの。だからマルタ達みたいに陸路を旅するだけじゃ追いつけないかもしれないんだ」
コレットの言うことには一理ある。
空を飛んで移動する彼らに対抗するには、同じく空を飛ぶしかない。
コレットは何も言い返さないマルタ達に頷いて、桃色の羽を出して飛んでみせた。
「だから私は私なりにロイド達を捜してみる。ほら、私、空飛べるし」
「じゃあボクもここを出たらお別れだね。ボクがコレットを守らなくちゃ」
コレットに頷き、ミトスも羽を出して笑った。
いくら世界を救った神子であるとはいえ、彼女一人では不安だがミトスがついてれば大丈夫だろう。
短い付き合いだが、彼の強さは嫌というほど感じたのだから。
「コレット……」
気丈に振る舞うコレットに、マルタが心配げに声をかける。
つい先ほどまで友達ではないと言っていたマルタだが、それは口だけで本心では違うのかもしれない。
そうでなければ、こんな風に彼女を気遣ったりしないはずだ。
だがマルタの視線を受けて、コレットの視線が徐々に下がっていく。
マルタがコレットを許したとしても、コレットがまだ自分を許せないのだろう。
コレットは俯いたまま、ゆっくりと口を開いた。
「……あのね。色々……ホントに色々ごめんなさい」
そう言って唇を噛み、コレットは顔を上げた。
空色の瞳はまっすぐマルタを見つめ、マルタもコレットの視線をしっかりと受け止めている。
「取り替えしはつかないけど、せめてできる限りのことを……」
「これ以上謝らないで!」
首を横に振り、コレットの言葉を遮ったマルタが俯いた。
口調は強いが、最初にコレットに会った時のような鋭さは感じない。
それはマルタがコレットという一人の少女と出会い、彼女から感じたものがあるからだろう。
悲しげに眉をひそめるコレットに、マルタは俯いたまま言葉を続けた。
「……そりゃ正直言うと、今だってお母さんのこととか……許せない」
大切な人がいなくなった悲しみはそう簡単に消えたりはしない。
マルタは亡き母に想いを馳せるように目を閉じていたが、自分の中で整理ができたのか、ゆっくりと顔を上げた。
「だけど……あなたを見てわかった。悪意を持ってパルマコスタを巻き込んだわけじゃないって」
「マルタ……」
微笑んだマルタにコレットが瞠目し、続いてつられるように微笑んだ。
感極まったのだろう。
コレットの空色の目はじわりと潤んでおり、それを見たマルタは笑みを深めた。
「だって、こんな天然のお人好しみたことないもん」
もうマルタにとってコレットは憎むべき敵ではなく、苦楽を共にした仲間。
だからこそ、こんな顔で笑えるのだろう。
マルタの言葉をしっかりと胸に仕舞いこむようにコレットは胸元に手を当て、大きく、しっかりと頷いた。
「ありがとう……」
「友達でしょ」
「うん!」
満面の笑みを浮かべるマルタに、コレットも満面の笑みで頷いた。
ある意味、これで全ての事件が解決したようなものだろう。
微笑ましい光景にアンジェラはそっと息を零した。
マルタがコレットに歩み寄ろうとしているのは分かっていた。
徐々に信頼関係を築いているのも分かっていた。
けれど、ここまで二人が近づくとは思わなかった。
憎んでいた相手と分かりあえるなんて思わなかった。
コレットが良い子だということは分かっている。
けれど、それでも、マルタにとって彼女は親の仇だったはずだ。
マルタの中でコレットへの憎しみが消えたのだろうか。
神子への憎しみは、憎しみではない何かに昇華したというのだろうか。
憎しみが消えるなんて、あり得るのだろうか。
「美しい光景ですね……」
「否定はしないけど……そういうところがジジ臭いって言われちゃうんだと思うよ」
微笑みあうマルタ達を見て、テネブラエが微笑みを浮かべればエミルが苦笑した。
いつまでもこんなことを考えていても仕方がない。
マルタはマルタ、アンジェラはアンジェラ。
背負うものも、抱く憎しみの強さも違う。
気持ちを切り替え、エミルの言葉に肩を震わせたテネブラエにアンジェラはにっこりと笑った。
「仕方ないわ。ジジイだもの」
何千年も生きていれば年季がかかって当然だ。
ジジイを通り越して化石となっていてもおかしくはないのだから。
「そうだね」
「!ミトスまで……!」
笑うアンジェラにミトスも頷けば、テネブラエはショックだったらしい。
猫のように耳を伏せ、大きな大きなため息をついた――――
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