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42:Eyes.[1/2]


 小高い丘の上から、街並みが見える。中央には、天高く聳える巨大な塔。それを支えるのは、街の外壁から伸びる九本の柱。まるで街全体を包み込むようにして塔を支えている。近くに火山がある影響なのか、かなり頑丈な造りとなっているらしい。それもそのはず。眼下に広がる街は、預言を取り仕切る宗教団体の総本山、ダアトなのだから。

「本当に、行ってしまわれるのですか?」

 ダアトを背に、ナタリアがアッシュをみつめる。行かないでほしいと言わんばかりの翡翠色を振り切るように、アッシュは彼女に背を向けた。

「ここから先は、俺一人で十分だ」

元々、そういう約束だった。安全な場所まで送り届ける、と。この問答は何度もあった。だが、答えはいつも同じ。止められないと悟ったのだろう。

「……御身体に、お気を付けて。貴方のご武運をお祈りいたしますわ」

足早に立ち去るアッシュの背にナタリアが声をかける。だが彼は一度も振り返ることなくその姿を消してしまった。本当は、もっとアッシュと共にいたかったのだろう。そばにいてほしかったのだろう。それでも彼女は自分の気持を押し込めて、自分の成すべきことをなそうとしている。
 そっと息をこぼしたナタリアを気にしながらも、リンネは周囲を見渡した。

「ここから、どうやって街に入るの?」

ダアトには、モースの息のかかった者も多いだろう。派閥争いがどれほどのものかは分からないか、少し前までイオンは教会でほぼ軟禁状態だったと聞く。大詠師派は決して弱くはないだろう。何か作戦はあるのだろうか。

「正面から堂々と行きましょう。流石に、公の場でイオン様を襲うような真似はしないでしょう」

ジェイドの笑みになるほど、と頷けばイオンも頷いた。世界中の人々から崇拝の念を集める導師を表立って危害を加えるようなことがあれば、非難をあびるのは大詠師派だ。街の中ほど安全な場所はない、ということだ。とはいえ、必ずしも安全であるとは限らない。決して油断はできないだろう。

「これから大佐とリンネはふたり旅になるんだよね?」

にんまり、と笑みを浮かべるアニスにリンネは頷いた。ここから先は別行動だ。アニスはイオンと共に停戦を呼びかけ、リンネはジェイドと共にマルクトへ向かいつつ、ヴァンの動向を探る。少し寂しいが、キムラスカとマルクト両国に呼びかけるには二手に別れたほうが効率がいい。ちらりと横目でジェイドを見れば、ため息混じりに眼鏡を押し上げていた。

「何を期待しているか分かりませんが、こちらはイオン様達の安全を確認した後、ダアト港からグランコクマに向かいます。陛下に報告することが山積みですからね」

「了解ですっ!大佐たちも気をつけてくださいね!何かあったらすーぐ連絡しますから」

姿勢を正し、敬礼するアニスはいつものアニスだ。明るくて、元気のいいアニス。こんな時でも、彼女はいつものペースを崩さない。さすがだな、と内心感心しながらリンネは暫しの別れとなるイオンたちを見回した。

「三人とも、気をつけてね」

「お二人も、くれぐれもお気を付けて」

 ダアトに向かう三人の背中を、リンネたちは見晴らしのいい丘から見送った。ダアトの入り口までここから一直線。三人は街の人々に歓迎されたのだろう。なにせ導師イオンの帰還だ。あたたかな声を聞きながら、ジェイドに促されてリンネは歩きだした。



 道中に会話らしい会話はなく、晴れた空に鳥の声が響き渡る。気まずい空気という訳では無いが、こんなに静かな旅は経験がない。あまりにも静かすぎて、リンネは笑ってしまった。

「なんか、アニスがいないと静かだね」

「アニスはいつも賑やかですからね」

ルークとティア。三人から始まった旅は瞬く間に人が増えて、六人の旅になった。それがまたひとり、ふたりと人数が減って今では二人旅。ユリアシティに残してきてしまったルーク達は今頃何をしているだろう。ガイとはもう会えただろうか。ぼんやりと空を仰いでいると、ジェイドが息を零した。

「本当は、彼女たちに着いて行きたかったのでは?」

 その選択肢も、たしかにあった。必ずしも安全とは言えないダアトに向かうイオン達の力になりたいと思った。けれど、リンネが彼らと共に行って、何になるだろう。イオンのように両国に声を届けるほどの力はなく、ナタリアのようにキムラスカへの影響力を持たない。二人を守るのだって、アニスがいれば問題ないのではないだろうか。それに、リンネはアクゼリュスではヴァンと行動を共にしている。それが事態を良からぬ方向に導いてしまったら。そう思うと、同行することで彼らの迷惑になってしまうのではないかと怖かった。

「……確かに、ちょっと心配だけど三人に任せておけば大丈夫かなって。それに万が一のことがあったとき、足を引っ張りたくないし」

イオンとナタリアには、その身分ゆえに利用価値がある。だが、リンネには何もない。アニスも高い身分と言うわけではないが、活路を見出す力がある。だが、今のリンネにはそれさえない。今のリンネは、何も持たないただの無力な人間だ。もし人質にでもとられようものなら、死んでも死にきれない。彼らに迷惑はかけられない。だから、一緒には行けない。

「こちらも、安全とは限りませんよ?私もいつあなたを切り捨てるか分かりませんし」

予想通りの言葉に、リンネは小さく笑う。あまりにもジェイドらしい。これなら安心できると、リンネは頷いた。

「だからだよ。ジェイドなら、躊躇うことなく切り捨ててくれるでしょ?だから、ついていくならジェイドかなって」

ワイヨン鏡窟でのジェイドの言葉は、恐らく嘘ではない。戦力として数える。リンネに、利用価値があるのなら。彼は軍人だ。感情に流されて判断を誤るようなことはしない。危険が迫ったとき、彼は大義の為にならリンネを見捨てられるだろう。そういう大局を見据えることができる人だ。けれどイオンは、そうはいかない。彼はきっと迷ってしまうだろうから。

「……変わりましたね、あなた。もう少し自分に自信のある人だと思っていましたが」

「自分の力量くらい、弁えてるつもりだよ」

言ってリンネは肩をすくめた。自信なんてものは、ない。そう見えていたのは、故郷の仲間たちに恥じないように、誇れるように生きようとしていただけだ。元々の自分はただの死にたがりで、いつだって死に場所を求めていたようなもの。償いの為ならいつだってこの命を捧げる覚悟で生きてきた。それを否定されて、大切な人たちの為に、大切な人を悲しませないために生きようと思って顔を上げて必死に前を見てきた。大切な人たちの為に強くなって、目の前の人たちを守ろうと生きてきた。

「……何を、後悔しているのですか」

 ジェイドの言葉に、空っぽの掌に視線を落とす。後悔しないように生きたいのに、自分はすぐ間違ってしまう。胸に渦巻く後悔に、リンネは静かに指を折った。

「判断を誤ったこと、無力な自分を受け入れていたこと」

 それなのに。それなのに、リンネは目の前のたった一つの命さえ救えなかった。もっと力があれば、空を飛んであの手を掴めた。鍛錬を怠っていなければ、彼らの傷を癒せたかもしれない。あの街で懸命に生きていた少年を、故郷に帰せたかもしれない。

「もっと、考えて行動するべきだった。世界が違うことを言い訳にしないで、もっと足掻くべきだった」

静かに拳を握りしめる。この世界には、マナがない。代わりにあるのは音素だ。それをもっとうまく扱えれば、今よりもっと上手く戦える。癒やしの術だってこの手に取り戻せるかもしれない。一瞬だが、羽を出すこともできた。あと少しだ。けれど、『あと少し』手が届かなくて彼を死なせてしまった。

「今更後悔しても遅いけど……でも、このまま無力なままではいられない。もっと強くなって、前に進まなくちゃ」

もう、これ以上後悔はしたくない。救える命を一つでも多く救いたい。守りたい。立ち止まる時間などないのだ。
 前を見て進んでいると、遠くに港が見えてきた。うまく船に乗れればいいが、と考えたところでリンネの足がとまった。

「そういえば、あたし身分証とか持ってないけど……船に乗れるかな?」

「ダアトの検問はゆるいですからね。乗ってしまえばどうということはありません」

はい、と朗らかなジェイドに渡されたのは一枚の小さな紙、いや。カードだった。

「これは?」

「偽造した身分証です。これで乗るのは問題ないでしょう」

並んだ文字を見る限り、リンネはマルクト軍人ということになっているらしい。肩書の横には、顔写真まである。いつの間にこんなものを用意したのだろう。流石というべきか、と考えて引っかかることが一つ。乗るのは問題ない、ということはその後はどうするつもりだろう。

「降りるときはどうするの?」

「降りるのはケテルブルクですからね。顔がきくんですよ」

「知り合いがいるの?」

「まぁ、そんなところです」

ジェイドほど名のしれた軍人なら、それくらいの融通はきかせられるということだろう。ふーん、と感心しているとジェイドが再び歩きだした。
 ダアト港は小さな港だ。活気があるとはお世辞にも言えず、小さな定期船が停泊しているだけ。ケテルブルクは、ここから北の方角にある豪雪地帯だ。雪国仕様の頑丈な船でなければならないため、船も決して多くない。運航表を見て、ジェイドは明日の日付を指さした。

「やはり、船の本数が少ないですね。明日以降でないと船は出ないようです」

「じゃあ宿を探さなくちゃね」

小さな港とはいえ、宿くらいはあるだろう。ぐるりと辺りを見渡せば、それらしき看板が一つ。同じものをみたジェイドがありましたね、と呟いた。

「宿の手配はしておきますから、買い出しも頼めますか」

手渡されたのは小さなメモ紙。アッシュとの短い旅は補給をする暇もないほど、慌ただしいものだった。ふたり旅で必要なものが減ったとはいえ、ここから先は、治癒術士のいない旅になる。準備は念入りにしなければ。
できることは今のうちにした方がいいだろう。メモを受け取り、リンネは近くの商店へ向かった。
 グミと、ボトルと、保存のきく食料。店は狭いが、必要なものは全て揃いそうだ。手早く買い物を終えて、リンネはジェイドと合流すべく宿に向かった。

「ひとつ問題が発生しまして」

出迎えてくれたのは、どこか浮かない顔のジェイド。何か問題があったのだろうか。

「もしかして、満室?」

「いえ、一部屋しか空きがありませんでした」

聞けば港に到着した人は、その多くがその日のうちにダアトに向かうらしい。数少ない部屋も既にうまっているらしく、二人部屋しか空いてなかったのだという。だが雨風しのげる場所があるなら、何も文句はない。

「ベッドで寝られるなら十分だよ」

「あなたならそう言うと思いましたよ」

肩をすくめるジェイド笑って、リンネ達は部屋に向かった。




 食事もシャワーも終えて、ベッドに転がる。夜は更けて来たが、まだ寝るには早いと、リンネは荷物の中から本を取り出した。少しずつ文字を読めるようになってきたが、文字だけでなく知らないことの方が多い。自分には足りないものばかりだ。まだまだ、知らなくてはならないことが沢山ある。そのためにも、詰め込めるだけの知識は詰め込まなくては。

「かわいらしい本を読んでいますね」

「うん、これ挿絵がかわいいんだよ」

ほら、とページを開いてジェイドに見せる。読んでいたのは、譜術の基礎に関する本だ。これが読みやすく、わかりやすい文で、先日購入したものだ。あまり大人向けでない気もするが、今のリンネにはちょうどいい。開いたページをジェイドは軽く笑った。

「子供向けの譜術の本なんて読んで、譜術士にでもなりたいんですか?」

「まだまだ知らないことが多いし、文字もすぐ読めないときがあるから勉強しないと」

こういった本ならそれなりに読めるようにはなってきたが、まだ人が書いた癖のある字はうまく読めないことが多い。それになにより、元の世界で使えていた治癒や支援の術をもう一度使えるようになりたい。体力はほぼ元通りと言ってもいいだろう。だが術に関してはまだまだ使える気配がない。癒やしの術が使えなければ、救える命も救えない。きっとまた、後悔してしまう。

「ジェイドは、ほとんどの属性を扱えるんだよね」

「えぇ、少しばかり人より優秀なので」

「そっか、やっぱりすごいね」

あっけらかんと笑うジェイドに、リンネは教本片手に立ち上がった。

「どこへ?」

「ちょっと練習してみようって思って。外に行ってくるね」

練習するなら、屋外の方がいいだろう。術の暴発、ということもある。……もっとも、今のリンネではマナに代わる力、音素を上手く集められず術の発動に至ったことはないのだが。FOFなどであれば、属性を付与させた技を使える。だがジェイドやティアのようにゼロから何かを生み出すことはまだできない。

「そもそも、譜術とは何か、わかっていますか?」

かけられた問に思考を巡らせる。それはこの世界には来た頃に教えてもらい、本の最初にも書いてあることだ。

「フォンスロットから音素を吸収して、譜を唱えることで様々な現象を引き起こすこと……だよね?」

「ではフォンスロットから音素を吸収させるための条件は?」

「主に使われるのが響律符。フォンスロットは人体でいうツボのようなもので、それを刺激することでフォンスロットを活性化させることが可能、です」

何故そんなことを聞くのだろう。いや、違う。これはジェイドがリンネを試しているのだろうか。きちんと勉強しているかどうかを。

「響律符はお持ちですか?」

「前にイオンからもらったネックレス型のがそうだよ」

言ってリンネは教本をベッドに置き、服の下にあるネックレスを取りだして外した。そういえば、見せるのは初めてかもしれない。チーグルの森でイオンにもらったネックレスは、常に肌身離さず身につけている。リンネの響律符をじっくりと観察し、ジェイドはゆっくりと口を開いた。

「これは、譜術向きのものではありませんね。身体能力向上の効果が高いようです」

「見ただけでわかるの?」

響律符は、石に譜が彫り込まれている。見る人が見れば、その譜で判断出来るのだろう。流石だなと感心していると、ジェイドが顔をあげた。

「音素とは何ですか?」

「全ての物質に含まれる音の信号、です。全ての生命、物体には固有の音があり、その振動数に同じものはありません」

「では、音素の種類を述べてください」

なぜこんなにも質問攻めにされるのだろう。これではまるで、

「第一音素は闇、第二は土、第三は風、第四が水、第五は火、第六は光……って、ジェイド?」

「何か?」

「なんか授業みたいになってるのは気のせい?」

そう、学校の授業だ。いや、それよりも濃厚な補習に近いかもしれない。流石に意図が掴めなくて、こちらから質問してしまうのは許してほしい。おそるおそる問いかければ、ジェイドは眼鏡を押し上げてリンネのベッド……その上にある教本を一瞥した。

「譜術は、そんな絵本片手に習得できるものではありませんからね」

「教えてくれるの?」

「足手まといになりたくないのでしょう?」

「ありがとうございます、ジェイド先生!」

嬉しくなって、ジェイドの手を握る。こんなにありがたい申し出はない。ジェイドのような術師に教えてもらえるなら、教本の何倍も勉強になる。目を見て礼を述べれば、近いです、と笑顔で拒絶されてリンネは大人しくベッドに腰掛けた。授業には机と椅子が必要だが、この狭い部屋にはサイドテーブルどころか椅子さえない。お互いのベッドに向かい合わせで腰掛ければ、膝が触れてしまいそうな距離だ。姿勢を正して待っていると、ジェイドはリンネの教本を手に取り、ぱらぱらとめくった。

「……先生、なんて立派なものではありませんよ」

一通り本に目を通したジェイドは、本を閉じると無言で本を自分のベッドに投げた。ここから先は、本を見るなということだろうか。ジェイドはどんな授業をしてくれるのだろう。ごくりと生唾を飲み込んで、リンネは背筋を伸ばした。

「では、先程の続きを。七番目の音素はご存知ですか?」

「第一から第六の音素が結合したもので、特定の属性を持たない音素、です」

「惜しい。正しくは、プラネットストームによって記憶粒子と第一から第六音素が結合してできたもの、です」

すみません、と小さく謝るも、ジェイドは気にした様子はない。

「音素を操るには素質が必要です。例え第一音素の譜術を扱いたくても、その音素に対する素質がなければ習得はできません。譜術の習得には、己の素質を知ることが必要不可欠です」

そのことは、教本にも書いてあった。

「初心者向けの譜術練習用の響律符を身につけるのが一般的なんだよね」

だが、その響律符もすぐに効果が得られるわけではない。身体に馴染むまで何ヶ月もかかる場合があると聞く。フォンスロットを無理に開けば身体に負担がかかる。練習用の響律符を探し、身につける。それだけでも時間がかかるうえにそこから数ヶ月。時間はかかるが、堅実だろう。ジェイドなら、譜術練習用の響律符を入手する方法を知っているだろうか。

「他に方法がないわけではないんですがね」

「一般的じゃないってことは、何らかのリスクがあるの?」

本に載っていないのなら、何かしら理由があるのだろう。あの意地の悪い笑みを見る限り。足を組み、ジェイドは手を組んだ。

「正解です。知りたいですか?」

「もちろん。ジェイド先生なら教えてくれるでしょ?」

ここまできて教えない、なんてことはないだろう。頷いて促せば、ジェイドは口の端を上げた。

「人体最大のフォンスロットはどこかご存知ですか?」

「えっと……」

フォンスロットは体内のいたる場所にある。手、足、胸。場所によってフォンスロットの大きさは違う。術の発動のしやすさなら手や胸だろう。だが、そうではなかった……ような気がする。それは意外な場所で、

「眼、ですよ」

とんとん、とジェイドがこめかみの辺りをつつく。思わず息をのめば、ジェイドは笑みを深めた。

「ここにかるーく刺激を与えるんです。特殊な術でね。そしてフォンスロットを刺激することで音素を取り込みやすくする」

「眼を刺激して大丈夫なの?」

「刺激する側が少しでもミスをすれば失明の可能性があります」

そんな危険性の高いもの、教本に載せられるわけがない。納得の理由だと頷いて、リンネは疑問を投げかけた。

「それって、ジェイドでもできるの?」

この方法は一般的ではないとジェイドは言った。練習用響律符を手に入れるより、その術を扱える人間を探す方が骨が折れそうだ。それが目の前にいてくれたら。期待を胸に問いかければ、ジェイドの眉間に小さな皺が寄った。

「……失明のリスクは怖くないのですか?」

「それをするのがジェイドなら、ミスなんてしないでしょ?」

この世界で、ジェイドほどの術師をリンネは知らない。にこりと笑みで返せば、ジェイドは大きく息を吐き出した。

「この方法は、開いたフォンスロットから素早く音素を取り入れる必要があります。そこで最も吸収、放出された音素があなたと最も相性がいい音素ということです」

ジェイドの腕は信用している。だが、未熟なリンネにそれができるかだ。折角ジェイドが頑張ってくれても、リンネがそれをできなければ全て無駄になる。だが、少しくらい試す価値はあるだろう。

「勿論、眼球に直接激痛を受けながらですよ。あなたにそれができますか?」

激痛なんてものは問題ない。そんなのはただリンネが耐えればいいだけだ。怯んでいるとでも思われたのだろうか。だとしたら心外だとリンネは真っ直ぐジェイドを見つめて頷いた。

「やらせてください」

返ってきたのは長い、長い、ため息。何か準備が必要なら、無理強いはできない。何せ先を急ぐ旅の途中だ。だがもし今できるのなら、これから先の旅でもう少しみんなの役に立てるかもしれない。いや、立たなければならない。このまま無力なままでいたくない。強くなりたい。守りたい人を守れるように。救いたい人を、救えるように。

「では、はじめますか」

「ここでいいの?」

立ち上がったジェイドに、肩を軽く押されて座らされてしまう。危険な術なら、外で発動させた方がいいのではないだろうか。首を傾げれば、ジェイドは首を横に振った。

「ここは港ですからね。第四音素の影響を受ける可能性がありますから」

水辺には第四音素が集まり、火山などには第五音素が集まりやすい。なら、水も火もないこの部屋には、一体なんの音素が集まりやすいのだろう。

「この部屋なら突出した音素はありません。なので、属性をみるにはうってつけかと。音素の取り入れ方はわかりますか?」

「なんとなくわかるけど、座ったままでいいの?」

「ええ、立っていられないでしょうからね」

それほどの激痛、ということだろう。立って倒れる可能性があるなら、座っていたほうがいいだろう。この部屋は狭い。倒れる方向を間違えばジェイドや家具を傷つけてしまうかもしれない。なんとなく申し訳ないが、ジェイドがこの方が良いのなら大人しく座っていよう。頷けば、ジェイドの手がリンネの目元近くに伸ばされた。

「可能な限りで結構ですので、目を瞑らないようにお願いします。では、いきますよ」

返事をした、刹那。

「っ!!」

眼を切り裂かれるような痛みに、息がつまる。思わず目を瞑って、気づけば背中を丸めていた。瞼の裏に、星が散る。目を開けているように言われたのに、目を閉じてしまうとは情けない。目は開く。目は見える。まだやれる。大きく揺れる肩を深呼吸でなだめてから、リンネは顔を上げてジェイドを見つめた。

「ごめん、もう一回やってもらっていい?」

「正気ですか?」

この痛みなら次はもう少し耐えられる気がする。お願い、と頼み込めばジェイドは顔をしかめた。

「あなたがそれでいいのなら」

呼吸を整えて、ジェイドの指先を見つめる。まずは目を瞑らないように、しっかり目を開ける。そして開いたフォンスロットから、音素を取り入れる。落ち着いて手順を確認してから、お願いしますとリンネは歯を食いしばった。

「いきますよ」

ジェイドの指先が光を帯びると、同時に目に激痛が走る。拳を握りしめ、奥歯を噛みしめる。これくらいの痛みで躓くわけにはいかない。ジョンの、アクゼリュスの人々の痛みはこんなものではない。もっと痛かったはずだ。辛かったはずだ。痛みに耐えて、その先に感覚を研ぎ澄ませる。これで終わりではないのだから。光が消え、リンネは強張っていた身体から力をぬいた。

「ごめん、まだできる?それ、」

「無理しなくていいですよ。これは禁術一歩手前のものですから」

「でも、もう少しで、つかめる気がするの。お願い!」

まっすぐ、まっすぐジェイドの指先をみつめる。

「そう何度もしては身体に負担がかかります。次で最後にしますよ」

これが、最後。生唾を飲み込んで、煩い心臓を宥める。恐れはない。恐れがあるとしたら、このまま無力な自分でいることだ。
 ジェイドの指に光が灯る。痛みが走る。そして広がる、視界ではないなにか。マナとは違う、この世界に溢れる旋律のような流れ。大きく息を吸って、手を伸ばすように感覚を広げる。ある、ここに、いる。リンネの探していたものは、いつだってすぐ傍にあった。

「癒やしの、旋律――」

脳裏に浮かんだ言葉を、静かに紡ぐ。その言葉に呼応するように、光がリンネを包んだ。痛みは、もうない。

「これは……」

「成功した、と……思うんだけど」

おそるおそる、顔をあげる。ジェイドは今の現象をどう思ったのだろう。おそるおそる、問いかければ眼を丸くしたジェイドと目があった。成功するとは思わなかったのだろうか。ジェイド、と声をかければ、彼はゆっくりと眼鏡を押し上げた。

「治癒術、ということは第七音素の素質があるようですね。おめでとうございます」

そのほほえみに、力が抜ける。これでみんなの役に立てる。強くなれる。誰かを守れる。救える命が増える。まだ、戦える。

「よかった……」

溢れた言葉と共に、視界が閉ざされる。ジェイドの言う通り、ベッドに座っていて良かったとぼんやり思いながら思考が闇に落ちた――――




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