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36:Despair.[1/2]


 瞼の裏で、何かがきらめく。頭が重く、体が鉛のように固く動かない。それでも脳裏のよぎる最後の光景に、リンネは重い瞼を押し上げた。焦点が定まらず、視界がぼやける。大きく息を吸って吐き出せば、なんとなく聞き覚えのある声が聞こえた。

「……気が付きましたか?」

うん、とひとまず頷いて声の主を見る。段々と霧が晴れるように輪郭が見えてきた。金色の髪に、凛とした品のある声。

「大丈夫?」

続いた声はティアのものだった。どれくらい気を失っていたのだろう。状況を聞かなければ。頷いて起き上がろうとしたところで、先程の金髪の女性に止められた。

「安静にしていなさい!動いてはまた傷が開きますわ!」

その気迫に押され、再び横たわる。医療従事者なのだろうか。おとなしく指示に従うリンネに、女性は満足げに頷いた。その目はエメラルド。白と青の軽装だが、その顔立ちにはやはり見覚えがある。こんな場所にいるわけがないのに、とそっと眉を寄せながら口を開いた。

「ナ、ナタリア…さま……?」

「ええ。気分はいかがですか?」

何故ナタリア殿下がここにいるのだろう。青いドレスではなく、動きやすい服装によく見れば背中には矢筒がある。戦いの心得があるのだろうか。だが、彼女の同行はインゴベルト陛下に却下されたはず。ルーク達の状況状況が全くわからない。
 寝ながら見えるのは重暗い色の空。青いはずの空は、瘴気の色に染まっている。夕暮れの空でもなく、夜の空でもない。こんな暗く、不安を煽るような空を見たことがあっただろうか。辺りには瘴気が立ち込め、異臭を放っている。あの地震のせいだろうか。それにルークたちの姿が見えない。みんなは、ヴァンは、アクゼリュスは、どうなったのだろう。

「何が……どうなってるの?」

リンネの口から溢れたのは不安。ただ、不安だけが胸を渦巻く。状況が知りたい。何もわからないまま寝ているわけにはいかない。そっと頭に触れれば傷は塞がっているようだった。ティアが治療してくれたのだろう。

「今はガイ達が辺りを見に行っているけれど…」

「動いては、」

「お気遣い、感謝いたします。ですが今は少しでも状況を把握したいのです」

止めようとしたナタリアの手をやんわりと押し返し、リンネは身体を起こした。まだ少し頭がくらくらするが、動けないほどではない。周囲に視線を走らせ、見つけた姿達に思わず顔がほころんだ。

「みんな、無事だったんだね」

「私達は、ね」

 その含みのあるジェイドの言葉に、眉を寄せる。改めて辺りを見渡して、そうして倒れている人影に気づいた。慌てて駆け寄ろうとして、ティアを見る。けが人が近くにいたのなら、ティアなら必ず治療するはずだ。そのティアが小さく唇を噛み締め、小さく頭をふった。この世界の術も万能ではない。できることには限りがある。治療しないのではない。できないのだ。そして、傍らに横たわる人々は治療ができない人。もう、手の施しようがないということ。この世界でも、死者を蘇らせることはできないのだ。

「大佐、どうでしたか」

ティアの問に、ジェイドは首を横に振った。後ろにいたガイやルークの顔色もよくない。そっと息を零し、ジェイドが眼鏡を押し上げた。

「ティアがあの譜歌を詠ってくれなければ、私たちも死んでいましたね。あれがユリアの残した譜歌の威力か……」

 あのとき聞いた子守唄、あれがリンネたちを守ってくれたのだろう。あれがなければ、

「……助かったのは私たちだけなのですね」

かすかに震えるナタリアの言葉に、リンネは拳を握りしめた。あそこにいたのはリンネ達だけではない。救いを求める人々が大勢いた。けれど、ここにいるのはリンネ達だけ。他に、生存者はいない。

「それじゃあ……アクゼリュスは…」

「言葉にしなければわかりませんか?アクゼリュスにおいて現地住民の生存はありません。地形も大きく変わっています。アクゼリュスは、消滅しました」

ジェイドが浮かべたのは嘲笑。それでも彼がこの状況に憤りを感じているのはわかる。先程までこの街には多くの人々が生きていた。生活していた。瘴気に倒れるもの、瘴気に倒れたもののために働く者。そんな中でも穏やかに生きようとしていた人々、それを助けようとしていた医療従事者達。
 ぎゅっと、胸が押しつぶされる。辺りを見渡して、それでも見えるのは亡骸と泥のような瘴気の海。あの強く生きようとしていたアクゼリュスは、もうここにはない。ティアはぎゅっと唇を噛み締めた。

「……取り返しのつかないことになってしまったわ。守りきれなかった……」

 重い、沈黙が流れる。何故こんなことになってしまったのだろう。どこで間違えたのだろう。誰もが皆、アクゼリュスを救うためにこここまで来たはずなのに。
 脳裏に、世界再生の光景が蘇る。これでは、あの時と同じだ。大樹の暴走。世界を救うために行動して、結果として世界に大きな傷をつけた。街一つが津波に飲み込まれ、消えた史跡や傷ついた街がある。あの時と何も変わっていない。想いはどうであれ、街が一つ消えて、多くの命を奪ったのは確かなのだから。ぎゅっと握った拳に力がこもる。目の奥が熱くて、痛い。どうして、同じ過ちを繰り返してしまったのだろう。

「う……ぅ」

「誰かいるわ!」

 聞こえた声に、ティアが声を上げた。誰かいる。子供の声だ。今にも消え入りそうな声だが、はっきりと聞こえた。ふらつきながらも立ち上がれば、瘴気の海に沈みかけた小さな木板が見えた。

「父ちゃ……ん……。痛いよぅ……父ちゃ……」

「ジョン!」

小さな背中に覆いかぶさるのはパイロープだった。あの地震の中、子供を守ろうとしたのだろう。あのとき息子を抱き上げた大きな手は動かない。意識がないのか、それとも。だがそれを判断するには、ここからは遠すぎる。

「お待ちなさい!今助けます!」

飛び出そうとしたナタリアをティアが手を掴んで止める。振りほどこうとナタリアが大きく手を振り、ティアが声を上げた。

「駄目よ!この泥の海は障気を含んだ底なしの海。迂闊に入れば助からないわ」

「ではあの子をどうしますの!?」

「ここから治癒術をかけましょう。届くかもしれない」

それではだめだ。二人の会話を聞きながら頭の隅でつぶやく。なんとか二人をあそこから引きげなければ。要は瘴気に触れずに行けばいいのだ。あの距離なら飛べる。飛んでいけばいい。大きく息を吸って、一歩踏み出す。気負うことはない。いつものように、手を伸ばすように、足を伸ばすように、意識を背中に、その先に伸ばす。ただ、それだけ。

「リンネ!?」

背中に熱が走り、身体が宙に浮く。そのまま意識を前に持って行けば飛べる。はず、だった。だが突如走る背中の痛みに身体が地面に、瘴気の海に引き込まれる。

「危ない!」

手を引かれて、そのまま後ろに倒れ込む。寸でのところで瘴気の海に落ちるのは避けられたらしい。誰が助けてくれたのだろうと振り返りかけたところで、ガイが声を上げた。

「おい、まずいぞ!」

「いかん!」

静かに、二人の乗った板が傾いていく。

「母……ちゃん……助……け……父ちゃん……たす……け」

「ジョン!!」

虚ろな目が、リンネを見た。助けなければ。とっさに立ち上がりかけた手を、また引かれる。振り返ればジェイドが静かに首を横に振った。振りほどこうにも掴まれた腕が強くて動けない。助けなければ。故郷に帰りたいと願っていた少年を、母に会いたいと言っていた少年を。寂しさを耐えて、それでも強くあろうとした少年を。彼を守ろうとした父親を。助けなければ。そのために、リンネはここにきた。瘴気に包まれた街を、人々を救うために来たのだ。だから、救わなければ意味がない。意味がない、のに。

「手遅れです」

息が詰まる。否定できない。ジェイドの言うとおりだ。リンネにはティア達のような癒やしの術が使えない。空を飛んで、助けにいくこともできない。どれもできたはずなのに、どれもできない。なんて無力なのだろう。どうして、こんなにも無力になってしまったのだろう。術が使えない自分が情けない。飛べない自分が情けない。ただ瘴気の海に沈む親子を見送るだけしかできない自分が、嫌で嫌でたまらない。
 悲鳴を上げる力もないのだろう。静かに、静かに音もなくジョン達が沈んでいく。うつろな目にごめんね、と呟いてリンネは胸元を握りしめた。
 空気がまた、重みを増す。辺りは一面の瘴気の海。ここも、ジョン達のように沈むのだろうか。そうなったら、次は自分たちの番だ。

「ここも崩れちゃうの!?」

「タルタロスに行きましょう。緊急用の浮標が作動して、奇跡的にもこの泥の上でも持ちこたえています」

悲鳴に近いアニスに、ジェイドが冷静に立ち上がった。

「タルタロスは無事だったんだね」

決して楽観はできないだろうが、それでも少なからず愛着があるものが無事なのは嬉しい。そっと息を零したリンネにジェイドは口の端を上げた。

「いつまで無事かはわかりませんが、ね。それでもここにいるよりはましでしょう」

いくら軍艦とはいえ、瘴気の海を航海したことはないらしい。そうだね、と頷いてリンネも立ち上がった。身体は重く、胸の奥が痛い。だがここで座り込んでいても状況は変わらない。
 行きましょう、と踵を返すジェイドに誰もが続く。リンネも続かなければと軽く息を吸って、瘴気の海に向き直った。亡くなったのはジョンだけではない。多くの人々がこの瘴気の海に沈んだのだろう。リンネはいつかの追悼式典でそうしたように静かに十字をきって、手を組むと祈りを捧げた。それが今の無力な自分にできる、唯一のことだった。







 タルタロスが、ゆっくりと動き始める。目を瞑れば、ゆるやかな風がリンネの髪を揺らした。それは大海原を往く船と何ら変わりもない光景だ。だが船首から見える景色は、どこまでも続く障気の海と空。一体、何がどうなっているのだろう。ここから西に行けばユリアシティという街がある、らしい。だがこの世界の地理に疎いリンネはともかく、誰もそんな街を知らないという。何故かこの状況を理解しているらしい彼女は、この障気の海についても知っているようだった。嘘をついているとは思えないが、にわかには信じがたい。疑心暗鬼になってしまうのは、状況が状況だからだろう。あのジェイドでさえ、この状況に多少なりとも動揺しているらしかった。それでもティアの言葉を信じたのは、言葉の真偽よりあの場所から脱出することを優先させたかったからだ。もちろん、リンネはティアの言葉を信じている。それでも今の状況を考えれば決して気が抜ける状況ではない。
 ジェイドが艦橋から戻ってくれば、色々と詳しく聞けるだろう。今はただ、ティアの言葉を信じて西に進むしかない。大きく息を吐き出して、リンネは障気の海をみつめた。

「怪我の具合はどうだ?」

「大丈夫だよ。色々と……ごめんね」

 ガイの声に顔を上げて、けれどそっと俯いた。心配をかけて、迷惑もかけた。許されるようなことではないが、今はただそれしか言えない。そっと拳を握りしめるリンネに、ガイは首を横に振った。

「君が謝ることはないさ」

またごめんね、と出た言葉にガイは困ったように小さく笑った。何も守れず、何も救えなかった。何が起きたか分からず、何もできない。悔しくて哀しくて、苦しい。馬鹿な自分が、嫌で嫌でたまらない。それでもガイの前でそれを吐き出せば、彼を困らせる。それだけは理解しているつもりだ。大きく息を吐き出して、リンネは唯一解決できそうな疑問を口に出した。

「そういえば、どうしてナタリア様がいるの?」

 バチカル城の謁見では彼女も同行を申し出ていたが、父である国王陛下に強く止められていた。一国の姫君とあればそう簡単に城の外に出ることは叶わない。にも関わらず、彼女は動きやすそうな軽装でガイ達と共にいる。あの格好ならば、旅人を装うことも容易いだろう。

「まぁ……色々あってな。陛下に内緒でついてきちゃったんだよ」

言って肩をすくめるガイに、ここに来るまでの苦労が垣間見えた気がした。一国の姫君が秘密裏に同行したとしたら、彼の気苦労は相当なものだろう。そういった気配りができるのはガイしかいない。お疲れ様、と労って視線を送れば、その噂のナタリアと目があってしまった。どきりと心臓が跳ねたリンネにも気付かず、ナタリアが微笑みを浮かべてこちらに歩み寄ってくる。反射的に姿勢を正せば、彼女は綺麗な指先を己の胸にあてた。

「ご挨拶が遅れてしまいましたわね。私、ナタリア・ルツ・キムラスカ・ランバルディアと申します。どうぞ気軽にナタリアとお呼びください」

きれいな人だ、と思った。見るからに貴族然としている。そう思うと同時に、リンネは軽く膝を曲げて頭を下げた。

「リンネ・アーヴィングと申します。こちらこそご挨拶もできず、治療のお礼も」

「そう畏まらないでいただけます?今はただのナタリアとしてここにいますの」

落ちてきたのは、不満げな声。顔を上げれば、整った眉が寄せられていた。無自覚かどうか分からないが、先程の挨拶一つにしても綺麗な所作から品格がにじみ出ているのだ。畏まらない方が無理がある。助けを求めて向けた視線に、ガイは大きくうなずいた。

「そういうわけだ」

「……わかりました。ごめんなさい、ナタリア」

彼女がそう望むのなら、それが最善なのだろう。満足気に頷いたナタリアにリンネも姿勢を正した。が、それでも自然と少し見上げる形になる。思ったより身長が高いようだ。ルークとあまり変わらないような気もする。
 そっと肩の力を抜いたリンネに、ナタリアは両手でそっと手をとった。

「あなが無事で、本当によかった……」

包み込まれた手が優しくて、息をのんだ。あの場で、アクゼリュスで多くの人々が一瞬にして命を奪われた。その中には、ジョンのように助けたくても助けられない命があり、目の前で失われた命も多かったはずだ。零れ落ちる命の中、彼女が唯一救えた命がリンネなのだろう。
 ナタリアも、同じだ。きっとアクゼリュスを救うために、危険や周囲の反対をおしきってここまで来たのだろう。その結果がこれだ。この障気の海に何もかも飲み込まれてしまった。

「……申し訳ありません。先遣隊としての役目を、何一つ果たせませんでした」

握られた手を、そっと握り返す。少しでも気を緩めれば、涙がこぼれそうだった。救いたかった。助けたかった。ここにいる誰もがアクゼリュスを救うために力を尽くしていた。けれど残ったのは自分たちの身体と障気だけ。街は消え、人々はこの泥の海に消えた。なんて、やるせないのだろう。肩書も身分も、何もかもが今は無力で無意味だった。

「さて、そろそろご説明をお願いできますか」

 船首に戻ってきたジェイドの表情はかたい。赤い目が射抜くのは、ティアただ一人。ジェイドの言葉に、すべての視線がティアに集まる。アクゼリュスが消え、気づけば周囲は果てしなく続く障気の海。誰もが困惑する中、ティアは比較的冷静だった。目指す場所を知っている彼女は、ここがどこなのかきっと理解している。

「行けども行けどもなにもないが、ここは地下か?」

なかなか口を開かないティアに、ガイが口を開いた。だが、地下にしては明るく、広すぎる。ガイもここがただの地下ではないことはわかっているのだろう。疑問に、ティアは小さくうなずいた。

「ある意味ではね。あなたたちの住む場所は、ここでは外殻大地と呼ばれているの。この魔界から伸びるセフィロトツリーという柱に支えられている空中大地なのよ」

流れたのは、沈黙。そんな話、聞いたことがない。殻と呼ぶには、リンネたちが旅した大地はあまりにも広すぎる。信じられないが、ティアが嘘を言っているとは思えない。

「意味が……わかりませんわ」

最初に口を開いたのはナタリアだった。彼女も困惑しているのだろう。眉を寄せ、細い声を絞り出したナタリアに、ティアは障気に覆われた空を見上げた。

「昔、外殻大地はこの魔界にあったの」

「信じられない……」

小さく零し、アニスが力なく首を横に振る。こんな話、すぐに信じられるわけがない。そんな反応も予想済みだったのだろう。ティアは説明を続けた。

「二千年前、オールドラントを原因不明の障気が包んで、大地が汚染され始めた。このときユリアが七つの予言を詠んで、滅亡から逃れ、繁栄するための道筋を発見したの」

「ユリアは予言を元に、地殻でセフィロトを浮上させる計画を発案しました」

言葉を結んだのはイオンだった。ユリアといえば、ローレライ教団の始祖。イオンが知らないわけがない。彼の言葉にティアの言葉も信憑性を増す。二人がそう言うのなら真実なのだろう。改めて空を見上げるが見えるのは障気に曇った空だけ。この先に大地があるとは思えない。一体、リンネたちはどれぐらいの高さから落ちたのだろう。

「それが外殻大地の始まり、か。途方も無い話だな……」

大きく息を吐き出して、ガイが背中を手摺に預けた。腕を組み、今の話を頭の中で整理しているのだろう。ええ、とイオンが頷いた。

「この話を知っているのは、ローレライ教団の詠師以上と魔界出身の者だけです」

「じゃあティアは魔界の……?」

息を呑むアニスに、ティアが静かに頷く。少しずつ状況は分かってきたが、疑問も問題もまだまだ山積みだ。

「……とにかく僕たちは崩落した。助かったのはティアの譜歌のおかげですね」

「何故こんなことになったんです?話を聞く限り、アクゼリュスは柱に支えられていたのでしょう?」

「それは……柱が消滅したからです」

ジェイドから目をそらし、イオンは目を伏せた。

「どうしてですか?」

疑問を投げかけるアニスに、イオンはちらりとルークを見た。ひとつ、また一つと視線がルークに集まっていく。その視線は温かいものではない。注がれる視線にルークは頭を振った。

「……お、俺は知らないぞ!俺はただ障気を中和しようとしただけだ!あの場所で超振動を起こせば、障気が消えるって言われて……!」

「あなたは兄に騙されたのよ。そして、アクゼリュスを支える柱を消してしまった」

「そんな!そんなはずは……」

ルークの声は震えていた。ルークは利用されてしまったのだ。ヴァンはルークからの信頼を利用し、ルークだけが持つ力を利用した。

「それで、超振動の力を……」

「ヴァンはルークに、パッセージリングの傍に行くよう命じましたよね。柱はパッセージリングが作り出している。だからティアの言う通りでしょう。僕が迂闊でした。ヴァンがルークに、そんなことをさせようとしていたなんて」

「それを言うなら、あのときまでヴァンの傍にいたあたしに責任がある。何も、気づけなかったから」

今となって後悔しても遅い。ヴァンはルークを利用し、アクゼリュスを消滅させた。だが、一体、何のためにそんなことをしたのだろう。何故、アクゼリュスがこんな目に合わなければならなかったのだろう。リンネが静かに拳を握りしめ、唇をかみしめれば、ジェイドはため息混じりに眼鏡を押し上げた。

「……せめて、事前に相談して欲しかったですね。仮に障気を中和させることが可能だったとしても、住民を避難させてからでよかった筈ですし……。今となっては言っても仕方のないことかもしれませんが」

「ごめんなさい。あのとき、ちゃんと引き返していれば……」

あのとき、無理にでもあの場を離れるべきだった。流されるがままに進んではならなかった。後悔しても遅い。後悔は何も産まない。それでも悔やまずにはいられない。至らぬ点が、数多くある。握った拳が痛くて、けれどそれ以上に胸が痛い。顔を上げられなくて、足元を睨むしか出来ない。なんて無力で、愚かなのだろう。

「いえ、あなたは何度も引き返そうと言ってくれた。それを聞き入れなかったのは……」

悔やみの滲む、イオンの声。リンネが顔をあげれば、イオンは目を伏せた。

「僕らです。あなたを責めるつもりはありません。あなたを責めても、アクゼリュスは……」

アクゼリュスは、戻らない。イオンが首を横に振り、足元を睨んだ。選ばなかった道を想像したところで、アクゼリュスが消滅した事実は変えられない。それでも、もしも、と考えずにはいられない。あのとき引き返していれば。あの船の上で、ヴァンの動向に何か気づいていれば。後悔は山程ある。

「そうですわね。アクゼリュスは……消滅しましたわ。何千という人間が、一瞬で……」

「お、俺が悪いってのか……?」

ルークが、小さな声を震わせる。突き刺さる視線に耐えられなかったのだろう。ルークは赤い髪を振り乱すように強く首を横に振った。

「……俺は、俺は悪くねぇぞ。だって、師匠が言ったんだ……。そうだ、師匠がやれって!こんなことになるなんて知らなかった!誰も教えてくんなかっただろっ!俺は悪くねぇっ!俺は悪くねぇっ!!」

困惑した叫びに、胸が苦しくなった。ルークも被害者だ。何も知らずに利用されてしまった。彼の言葉に嘘は何一つない。ヴァンが指示をした。それが障気を中和し、アクゼリュスを救う方法だと囁いて。ルークもアクゼリュスを救うために行動したにすぎない。苦しい胸を押さえつければ、ジェイドがルークに背を向けた。

「……大佐?」

「艦橋に戻ります。……ここにいると馬鹿な発言に苛々させられる」

その声は今まで聞いたどの声よりも低い。落ち着いた態度だが、隠されることのない苛立ちが滲んでいる。ルークの態度は見方を変えれば無責任と感じてしまう。

「なんだよ!俺はアクゼリュスを助けようとしたんだぞ!」

ルークが言葉を投げるが、ジェイドが振り返ることはなかった。小さな舌打ちを残して、ジェイドは船橋に戻っていった。空気が重く、苦しい。消えた背中を睨むルークに、ナタリアが静かに歩み寄った。

「変わってしまいましたのね……。記憶を失ってからのあなたはまるで別人ですわ……」

静かに伏せられた目には失望が伺える。もう、これ以上話したくないのだろうか。ナタリアの靴音はゆっくりと遠ざかる。空気が、重みを増していく。ルークは投げられた言葉達を振り払うように、強く頭を振った。

「お、お前らだって何もできなかったじゃないか!俺ばっか責めるな!」

「あなたの言う通りです。僕は無力だ。だけど……」

「イオン様!こんなサイテーな奴、ほっといた方がいいです」

アニスに手を引かれ、イオンが引っ張られる形で去っていく。目に見える心の距離が遠い。大切なものが、音を立てて崩れていく気がした。

「わ、悪いのは師匠だ!俺は悪くないぞ!」

障気の海に渇いた叫びが響き渡る。応える声はない。ルークは悪くない。けれど、それを言葉にするのは何か違うような気がして憚られる。何も言えず口を噤めば、翠の目は救いを求めるようにガイに向けられた。

「なあ、ガイ、そうだろ!?」

けれどその目は悲しげに細められ、

「ルーク……あんまり幻滅させないでくれ」

肯定の言葉はなく。踵を返したその背に、伸ばしかけた手が力なく落ちた。

「少しはいいところもあるって思ったのに……。私が馬鹿だった……」

その横をティアがすり抜けるように通り、また一人遠ざかる。ルークはきつく唇を噛み締め、その肩を震わせた。

「……ど、どうしてだよ!どうしてみんな俺を責めるんだ!」

「ルーク……」

かける言葉が、見つからない。リンネが溢した声にルークは声を震わせた。

「お前も、俺が悪いって思ってるんだろ!?俺は悪くねぇのに!!」

「思えないよ。だって、あたしは何もできなかったから」

首を横に振って、拳を握りしめる。リンネに彼を責めるつもりはない。リンネにとって、ルークは被害者だ。ヴァンに利用され、傷つけられた一人の少年だ。責めるのは、とリンネは痛む胸を握りしめた。

「あの時まで、ヴァンの一番近くにいたのはあたしだったのに……何も気付けなかった。何も、できなかった」

今思えば、あの船に乗っていたのはみなヴァンの息のかかった者たちなのだろう。そんな事にも気付かず、リンネはヴァンを信じてしまった。なんて、愚かなのだろう。結局、自分はその程度の存在でしかない。いくら貴族の根深い確執をみても、嘘偽りだらけの社交界に身を置こうとも。それは全てゼロスがいてくれたからこそ、生き残れたようなものだ。だから、一人になればこんなにも弱く、無力だ。

「……そうだよ……。そうだよ、お前……何やってたんだよ!何もできなかったじゃねぇか!」

「ごめんね。ほんと……何やってたんだろう、あたし」

情けなくて、嘲笑が溢れる。馬鹿な自分が心底嫌になる。もっと、考えるべきだった。言葉の裏に隠されたものを見抜けなかった。

「ご主人様、リンネさん、……元気だしてですの」

「だ、黙れ!お前に何がわかる!」

小さな声に、ルークが声を荒上げる。強い声にミュウは耳と目を伏せながら小さな手を握りしめた。つぶらな瞳には、涙が滲んでいる。

「ボクも……ボクのせいで、仲間、たくさん死んでしまったから……。だからご主人様の気持ち……わかるですの」

「お前なんかと一緒にするな!お前なんかと……」

震える声に共鳴するように、ルークの声が震える。顔をそらしたのは涙を隠すためだろうか。
こんなことになるなんて、誰が想像しただろう。あの日、バチカルを旅立ったのはアクゼリュスを救うためだ。それなのに、どうしてこんなことになったのだろう。リンネたちは、ただ、

「アクゼリュス、助けたかったね」

そう、願っていたずなのに。




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