一歩と無限



千歳が求めているような不思議な生き物なんていないよ。って何回も言っているのに千歳は今日も裏山へ行く、俺を巻き込みながら。数歩先を歩く千歳の左手は俺の右手をひいていて。


「千歳、俺帰りたいんだけど。」
「そぎゃんこと言わんと、俺とのデートば思いなっせ。」
「…裏山で?」


ははっと笑った千歳は引いていた俺の手を離して振り返った。楽しそうなのは結構だけど、俺は楽しくない。生憎都会育ちの俺は山道など歩いた事がない。そりゃ千歳とかテニス部も田舎育ちってわけじゃないんだけど、千歳みたいに頻繁に裏山へ来たりはしない。慣れた足取りの千歳との距離は徐々に大きくなっていく。

今すぐにでも不思議を探しに俺を置いて奥へ行ってしまいそうな背中に待ってと言うわけでもないし、手をつなぎ直して欲しいって言うわけでもない。
寧ろ、足を止めた。俺が此処までついて来た理由ってただ千歳に手をひかれたからってだけ。手が離れた今、俺が森の奥へ行く意味も千歳の後を追う理由もないわけだ。

止まった俺の足、前へ前へ歩いていく千歳の足。


「……」


夕暮れに染まり始めた山の中、1人で居るのはさぞかし怖いだろう。でも立ち止まった事に気付かれない以上、俺は此処から動かないし呼びもしない。

千歳、試しても良い?

俺は動かないから、此処にいるから。千歳の大きな背に近づきもしない、声もかけないから。それでも気付いて。此処にいるから手をつないで帰ろう。
我儘を許して、と心の中で謝ってしゃがみ込んだ。膝と額をぶつければ視界は真っ暗で、少しホッとする自分がいる。
暗闇の視界、瞳の感覚が鈍くなる代わりに耳の感覚が鋭くなっていく。離れた所にいる千歳の足音が遠ざかっていくのが聞こえてきて、ジンと寂しさが背後から迫ってくる。背中が寒いよ、千歳、足早すぎだよ…


「慎?」


規則正しいリズムで動いていた足音がなくなって、かわりの音と言わんばかりに俺の名前が呼ばれた。
気付いてくれた、顔を上げてみれば千歳が俺の方を振り向いていて。距離にして50メートルほど、俺が立ち止まったことに驚いた顔しながら慌てて走ってきた。
目の前まで来て土も汚れも何も気にしないのか膝をついて、顔を覗き込みながら俺の肩に両手を乗せて。大きな体を俺に合わせて小さくしているその姿が、優しくて。


「どぎゃんしたと?」
「…千歳は足、早いなって。」
「なんね、言わんと分からんとよ。言いなっせ。」
「うん…千歳、帰ろうよ。疲れたから。」


嘘だけど、そう言うことにしといて。
「慎、疲れたと?」と信じて聞いてくるから小さく笑いながら何も言わず頷く。体力的には何も疲れていないのにね、しいていうなら千歳が俺に気付くかっていうしんぱいで疲れたよ。言わないけれど。言えないけれど。

そっと俺の腕を取りながら立ち上がった千歳に釣られて俺も立ち上がる。木々の隙間から見える空は若干色を朱に染め始めていて。帰るのには丁度良い時間だろう。

優しく笑いながら歩き始めようと今まで歩いてきた方を見た千歳の横顔を見たら、心がきゅうと寂しくなった。理由なんか分からない、たまにあるんだ。きっと好きすぎてどうしていいのか分からないからだと思う、だから袖を引っ張った。


「慎?」
「手、貸して。千歳は足早いから。」
「…良かよ。」


俺の耳が赤いのは、木々の隙間から降り注ぐ夕陽のせいにして。
俺よりも随分と大きな掌に、俺の掌を重ねた。恋人つなぎではないけれど十分満足できる。きゅうと寂しくなった俺の心に千歳の掌の暖かい温もりが伝わってくる。それだけで幸せなんだ。それだけで…。


「俺は香車だったとね。」
「…なにそれ。」
「将棋の駒ばい。」


歩幅を合わせてくれているのか、行き道の様に千歳が数歩前を歩くのではなくて本当に横に並んで同じ歩幅で歩いていく。
きょうしゃ?初めて聞いた。将棋の事なんか何も知らない、王様と歩っていう弱い駒のことしか知らない。首を傾げてみせれば、空いている千歳の手が俺の頭を撫でた。


「今度、一緒に将棋ばせんね?」


そう言われても、俺は何も知らないよ。と断るにはその誘いは魅力的で。「ルール分からないよ」と断らずに曖昧に返した。遠回しに教えてって思いを込めて。伝わるのかは分からないけれど、俺に気付いた千歳ならば気付いてくれる気がする。

2人で笑いながら歩いていると、あっという間に裏山を抜けるまであと50メートルほどの距離まできていた。俺の歩幅に合わせている分、行きよりも時間はかかっているはずなのにとても短く感じられて。名残惜しい気もしたけれど、そっと手を離れ離れにさせた。

さぁ帰ろうか、と千歳を見れば、千歳の唇はなにか言おうと口を開いた所だった。


「香車は、前に何マスでも進めるったい。足が早かけんね。」
「……あぁ、だから千歳は香車なの?」
「慎は歩だったとね。」


歩は前に一マスしか動けんたい。俺も一マスずつ動くけん、慎、一緒に歩きなっせ。






一歩と無限






そうだね、千歳がゆっくり歩けばいいんだ。
悪戯に笑えば離れ離れになった掌同士が、また繋がった。

指と指をからめる、離れにくい恋人繋ぎは俺達の想いすらも繋げてくれればいいのに。
もっと千歳が好きなものを俺も理解しよう、側にいられるように置いていかれないように。


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コンピュータソフトvsプロ棋士、最後の方だけ見たのですが
将棋の奥の深さを思い知りました。
相変わらずの熊本弁の不安定感、本当に申し訳ないです。

2013,04,22

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