一噛み、それで
蛇は良いものだ、音もなく静かに歩を進めていくことも盲目的なその瞳も鋭い牙に潜ませた毒も。
チロチロと覗かせる舌は厭らしさの欠片も見せない、むしろ生きていくために舌を出していると分かれば敬ってしまいたくなるほど愛おしさが湧き上がる。
別に、俺は爬虫類マニアじゃないよ。蛇ちゃんかわいいー大好きー…なんて言いたいわけじゃないんだ。じゃなんで蛇のことこんなにも褒めているのかっていうと、羨ましいから。
「おら、次はねぇぞ。」
「それ前にも前の前にも言っていたよ。」
体育あるっていうのにジャージ忘れた、一か月に二回はやってしまう常習犯の俺。だってジャージ持ってくるの面倒くさい。
お蔭で体育の先生とワンツーマンで生徒指導室へ行くこと3回、「やる気がないのか?」と毎回聞かれるたびに「そうかもしれないですねー」と適当にやり取りを交わした。確かに俺は体育嫌いだけど、ジャージ持ってくるの面倒くさいけれど。
もう一つは、目の前にいる男のせいなのかもしれない。宍戸亮、俺と一年の時に同じクラスだった友達。
長い髪をバッサリ切って男らしさが増したこの友人は何かと面倒見がいい、始めてジャージを忘れた俺を見て「貸してやる」と言って大きなジャージを貸してくれた。そしてこうとも言ってくれた、「次も忘れたら俺のところに来い」と。
「貸したくないなら借りないけど。」
「…言い方変える、次こそは自分のジャージを持って来いよ。」
「忘れなかったら苦労はしないでーす。」
甘やかされている、きっと特別。そうと感じるようになったのはいつからだろう。
どこから調べているのか知らないけれど、体育がある日がばれているようでいちいちメールがくるのだ…意地悪なことに学校に着くころにだ。
俺が家にいる時にメールしてくれよー、とは思うけれど確認してくれるだけ文句なんて言えない。そして見事に忘れている俺が悪い。そして返事はいつも同じで「忘れた」。
借りに宍戸のクラスへよれば、わざわざ教室の前でジャージを持って待ってくれている宍戸がいて、目が合えば笑ってくれる。ちょっと嫌味を言われつつだけど。
これで特別じゃないなら、どうすればいい?
体に合わない宍戸のジャージを着て、袖と裾を折り、胸に『宍戸』と刺繍されたジャージのせいでクラスメイトに「おーい宍戸」と体育の時間限定で苗字を書き換えられる。教会で誓い合ったわけでもないのに、役所に届をだしたわけでもないのに。
それが、くすぐったくて心地よい。
「お前、もうちょっとしっかりしろよ。」
「努力する。」
いつの間に。
いつの間に宍戸という人が俺の自己世界で存在を主張するようになったのだろう。それも核心にとても近い場所で。
気づいたら傍にいたんだ、音もなく背後を取られたみたい。瞳はいつだって、俺の顔を見てくれる。見つけたら嬉しそうに笑ってくれる。そしてジワリジワリ、俺の核心の色を変化させていくその毒。
がやがや、通り過ぎていく生徒たちの声が遠く彼方に感じる。なぜかいつもとは違う空気を肌は感じとってしまい、ついつい口からはみ出てしまった言葉ポロリ。
「宍戸はさ、俺がジャージの刺繍のせいで「宍戸だ」ってからかわれていて気分悪くないの?」
「はぁ?」
「お前の兄弟扱いされているのが、こんなバカな奴で嫌じゃないの?」
出来が悪い人間だとは自負している、それと同じ枠にくくられるのは苦しいものだろう。宍戸はテニス部でもかなりのものなんだろう?なら俺なんかと並んじゃダメだよ。
そういう虐めにあっているわけじゃないけれど、からかわれてはいる。今のところ宍戸には直接的な被害がないにしろ…いつしかその時はやってくるだろう。
俺に優しくっても嫌なことは嫌だろう、それこそ蛇のように残酷なほどに獲物をぱくりと丸のみするのかもしれない。獲物って俺だけど。
でもね蛇はこんなにも優しい笑みを浮かべてはくれないよな、というか蛇はこんないい匂いがするジャージを着たりしないよな。
「別に。てか兄弟じゃなくていいぜ。」
「…ペット?犬の一員?」
蛇は良いよね、生きるのに精一杯。俺も精一杯だけど、宍戸はもっと精一杯らしい。そりゃそうか、生きているんだし。
早く着替えないと袖を折る時間が足りなくなってしまう、分かっているけれど宍戸の笑顔が俺の脚を縫いとめる。それとも足に毒が回ってしまったのかもしれない。それどころか借りたジャージを持つ手も動かないし視線も逸らせない。クラクラしそう、いっそ窒息させておくれ。
もうすぐチャイムが鳴るのか、人通りが減ったのを感じた。それと同時に宍戸がフッと笑いながら息を吐き出したのも感じた。
「なんなら、嫁にでもなるか?」
固い男の、冗談にしても酷い冗談。
あれ、宍戸は自分の毒で酔ったのか?それとも酒がいっぱい注がれた瓶の中で一眠りしたのか?
「…いいよ。」
ならその毒に酔いたいとなると、この返事しかできなくなるわけだ。
チロチロ、他の存在を見つけ出すため覗かせる舌で俺のかさついた唇に潤いをくれないだろうか。
夏が終わりそう、苦しかった夏が。でも終わらないものがある、むしろ始まってしまいそうな何かがある。
俺の返事に宍戸は、流石に想定外、と瞳を丸くさせ口を小さく開いて俺を見た。そのまま数秒、動くところと言えば瞬きを続ける瞼くらいで。このまま体育の時間が終わるのを待ってもいいな、なんて。
「…冗談だ、ばーか。」
なら、どうして唇は弧を描き頬は赤く染まるの?どうして俺の頬を撫でる手はこんなにも優しいの?冗談だったとしても、俺の体に毒は回る一方。きっともう血清もなにもかも間に合わない。
一噛み、それで最後
「冗談じゃねーけどよぉ…。」
なんであんなこと言っちまったんだよ俺、激ダサどころじゃねーよ。
別に嘘なんか言ってねぇ、だからこそなんで冗談だなんて思わず口にしちまったんだ。しかも「いいよ」なんて言ってもらえたくせによ。
てか「いいよ」ってなんだよ、「いいよ」って。俺の嫁だぞ、本当にいいのかおい。軽いノリだったにしても結構マジな顔して言いやがって、笑い飛ばしてくれねーともうどうしていいのか分かんねぇじゃねーかよ。
俺の苗字が刺繍されたジャージを着ているんだと思えば、どういうわけか幸福感を感じられた。まるであいつが俺のものになったみたいな…そんな、曖昧かつ夢みたいな幸福感。
厄介な毒を患ったもんだ、こんなの治せるわけねぇ。いや、治せたとしても治さねぇ。いつの間に毒を注ぎ込まれちまったんだろうな、苦しくてしょうがねぇよ。あんなとぼけた性格して牙は鋭いなんて卑怯にもほどがある。
「あー…マジで、」
なんで冗談だ、なんて言ったんだよ俺。
そして毒は体を巡っていく。
「宍戸がめっちゃ項垂れとるんやけど。」
「な、なんか失敗したとか言っていてさっきからあんな感じで…。」
「あーん?失敗ぃ?練習始める前から何に失敗したってんだよ。」
「ジャージがどうとかこうとか…俺もよく分からなくて。」
「…あぁ、なんか分かってもうた…不憫なやっちゃ。」
「やっぱ本音だったとか後付したら激ダサだよな…。」
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しゃー(「・ω・)「
九月Clap没。
蛇とかなんか考え方がアレかと思って
没にしてしまった。
そして
シリアスなんだかよくわからない。
2014,08,22
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