肺を空にしてあげたくて
慎先輩の隣に立つのはとても難しい。
まず一個上の先輩であるという事。それからテニス部じゃない事。あと宍戸さんと仲が良い事。それに色んな人に好かれている事。えと俺以外にも色んな人が慎先輩を好きな事。まぁ色々重なりすぎている。
でも決定的な恋人とか慎先輩が片思いをしているとかじゃないから、相手が宍戸さんであろうと誰であっても負ける気なんかなかった。
いつも宍戸さんが話している所にお邪魔して一緒に話したりとか、たまたまを装って廊下ですれ違いざまに挨拶したり、お昼もジュースを買いすぎたとか意味わからない事言って宍戸さん達もだけど一緒したり。
俺は俺なりに頑張ったはずですよね?
でもどうだろう。
「…」
「秘密だぜ?」
頬をほんのり赤に染め夕陽を背に可愛らしく人差し指を弧を描く唇に当てている貴方が眩しい。
慎先輩の秘密を知りました。とてもとても可愛らしい秘密でした。
「恋心」と言う名の秘密を。
どうして?聞きたかったけれど口が動かない。さっきのさっきまで初めての二人きりでの下校だってコッチが頬を染める側だったのに、今は染めた頬の色を元に戻すどころか青ざめていると思う。
どうしようもないほど動揺して足が動かなくなった。立ち止まってしまった俺に「こんなこと言ってゴメンな」と笑みを深める貴方が、そう俺は好き。愛している。
でもこの思いは?どうなるの?
負けないって振り向かせるって一生懸命だった想いは、何処へ行ったのだろう。何百年と生きた大木の様に太く大きな誓いだったのに。それを折るのは慎先輩のそんな一言で済んでしまって。
「本当はさ誰にも言わないつもりだったんだ。」
(ならどうして、)
「でもやっぱ、1人で悩むのは良くないなって…」
(だからって俺に、)
「ほら、長太郎は俺の話しとか悩みなんでも聞いてくれるじゃん。」
(無邪気に死刑宣告をするの?)
綺麗だ、真っ暗な俺の頭の中に花咲く慎先輩の姿が綺麗で綺麗で。それがもうこれから先俺に向けられていたとしても、俺の後ろにいるだろう慎先輩の片思い相手に向かって行くなんて。
耐えきれない。
重々しく俺は息を吐きだした、このまま黙っていたら慎先輩に心配されてしまう。重いとはいえ一応は恋心なのだ、慎先輩に笑ってほしくて笑い返した。
「勿論、なんでも言ってください。」
「本当?」
憎いです。
「えぇ、俺と慎先輩の仲ですから。」
貴方の心を奪った人も、
「ありがと、長太郎!」
俺を好きになってくれない慎先輩も、
憎い、憎い。
家に帰るのが随分と遅くなってしまった。中学生なのに9時を回るってどういうことなの?と怒る両親に笑ってご飯はいらないとだけ言い、顔も見せずに真っ直ぐ階段を上って自室へ。どさっと鞄を床に置いてベットに大の字で倒れ込んだ。
おぼえて、いない。
慎先輩と別れた後を。肩にかけたテニスバックの重みも、足枷をつけられたような重い足取りも、そして体中に浸透していったはずの感情も数時間の間からっぽで。何をしていたんだろう。ぼやぼやとした自分の頭が気色悪い。
「…シャワー、浴びよ。」
人生最初の恋がこんな形で粉々になってしまって、来ないでほしいと願っていた人生最初の失恋がこんなにも怖いものだったなんて思うわけないじゃないか。
でも、これで慎先輩が幸せになるのなら、俺は、おれは…。
「そんな綺麗なら苦労しないよ。」
着替えを持って自室を出た、制服のままなのも気にしないで足を進める。あとで怒られるかもなんて考えを放棄して今はただ慎先輩の事ばっか考えたくて。バスルームで制服を脱いで、ふと、気付いた。
ワイシャツ、きたない。
あれ、ネクタイも、きたない。
あれ、ズボンも、きたない。
「なんだっけ…これ。」
何かで汚れた制服。一応替えの制服があるんだけど少しショックだ。気に入らない、どうしてか分からないけれどソレが気に入らなくて籠に投げ入れる。勢い余って籠が倒れてしまったけれど直すのは後回しにした。
扉を開いてお湯をだそうと手を伸ばした、けれど、俺はそこで鏡を見て絶句した。
「……」
胸辺りに何かがこびりついていた。赤黒い何かが。
どうにもワイシャツの汚れが染みてしまった様だ、それほどまでに酷く汚れてしまったのに何故なにも覚えていないのか。
なにも?本当に?
「なにも、」
なにしてた、さっきまで何をしていた?
「さっきまでは、」
どこで、何をしていた?
「……っふ、ふふふ、」
慎先輩が幸せになるのなら、なんて何処で覚えた甘い優しい言葉なんだろう。
そんなの俺の中には無かったくせに。
あるのは自分が幸せになるためだけの感情、行動、思考。
渡さないって決めたんだ、負けないって決めたんだ。絶対に負けない。
明日の朝、会えたとして。貴方はどんな顔をしてくれるのかなんて趣味の悪い事を考えれば顔が歪んでいく。慎先輩の前ではした事のない笑顔。
思いだせた、やっぱり覚えていた。ほらさっきまではそう、
「俺、慎先輩が思っているより汚い後輩です。」
キュッと心地の良い音と合わせて流れてくるお湯を身に受ければ落ちていく罪の汚れ。
排水溝へ流れていく様を見て、水と汚れと一緒にあの人も流れて行った気がした。
そのまま俺の事も流せてしまえたら、どれだけ慎先輩が幸せになったのだろうか。
でももう引くに引けない、此処まで来たんだ。自分のために此処までやった。最後まで負ける気がしない。
それなのに、やっぱり心のどこかでは慎先輩の首を締めてあげたくなった。
慎先輩が愛した人の所まで、連れて行ってあげたくなった。
「慎先輩…。」
肺を空にしてあげたくて
瞼の裏に、ゲームオーバーの文字が浮かび上がった様な気がした。
ゲームは始まったばかりのはずなのに。
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こういう暗い話は落ちが明るくないと上手くいかない罠。
おわっとけ。
2013,04,15
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