今日は寝てなきゃ駄目だよ、でもよくなからなかったら明日も寝てなきゃ駄目だよ、安静にしててね、ちゃんとお水飲んでね、出かけちゃ駄目だよ。 睫に涙を溜め、ソーニャは不安げな声で似たようなことを繰り返していた。それを熱に浮かされた頭で聞くミックは、独り言のように「うるせーな」と呟く。彼の言葉は彼女に届かず、彼女の言葉もまた彼には届かなかった。 ソーニャが彼女なりの気遣いの台詞を一通り連ね終えると、部屋は彼の苦しげな息遣いのみで満たされる。虚ろに天井を見つめているミックを確認し、ソーニャがひとまず席を外そうとしたそのときだった。今の今まで寝ていたとは思えない勢いでミックが身を起こし、ベッドから足を下ろす。それから驚いて言葉が出ないままのソーニャを突き飛ばすと、覚束無い足取りのままドアに向かった。先ほどまでミックの額に乗っていたタオルが、所在無いようすで二人の間に落ちている。
「ちょっ…み、ミッくん!? どこ行くの!?」 「虫、とり…」 「そんな、ミッくん熱が、」 「……」
すっかりソーニャを無視する形で、ミックがドアノブを捻る。頭はグラグラと沸騰するようなのに、背中は氷水が伝い落ちるようにゾクゾクと冷えた。目的を果たしたい一心で意識の内に閉じこもろうとするミックの耳に、ソーニャの鋭い声が飛び込んでくる。
「ほんと、なにっ、なにしてんのミッくんてば!!安静にしてなきゃ駄目だよ!!」
悪寒に支配されている背中に叩きつけられた、怯えるでも慌てるでも照れるでもない、怒りの声。振り返る。ソーニャが自分自身の熱で温まった顔をミックに向けて、両手を胸の前で強く握り締めていた。必死そうな顔を、意図的に睨む。彼女は揺らがなかった。ミックの意識とは関係なく、喉からゼイゼイと掠れた音が漏れ続ける。それを彼自身、鬱陶しく聞いていた。頭から溢れ出した熱が顔を燃やす。燃やし、尽くす。
「…ミッくん!?」
ふと、ソーニャの声が遠退いていった。体中の神経という神経がすべて麻痺していき、上下左右の感覚を失う。ミックが己の状況を自覚したのは、満身創痍のソーニャによってベッドに戻されたときだった。頭の中で展開を巻き戻したミックが覚えたのは、熱病より重い、悔恨。
「だから、寝てなきゃ駄目って、言ったのに…」
そう息も絶え絶えに言いながら、ソーニャが弱々しい手つきで濡れタオルをミックに近付ける。
「…っらね!!」
ぱしっ、と乾いた音を立てて、ソーニャの手からタオルが落とされた。ミックは彼女に抗議させる暇も与えず、布団を頭まで被る。
「出てけよ」
微動だにできないでいるらしいソーニャに、ミックは冷たく言い放った。ソーニャは一本しかない糸を切られた小さな蜘蛛の子のように頼りない調子で、もごもごと言葉を探している。
「じゃ、あの…、お、お大事に」
迷ったわりに結局ありきたりな台詞を零して、ソーニャは静かに部屋を出て行った。 布団の中に浮かべる、昨日の彼女。彼自身で温もったごく小さなプラネタリウムで、ソーニャが瞳をきらきらさせながら話していた。それはそれは見たこともないくらい綺麗な蝶々が、森にいるということ。そしてそれを見たいということ。ソーニャの喜ぶ姿を見てみたくて、たまには、笑わせてあげたくて、だからどうしても捕まえに行きたかったのだ。 ミックはスクリーン――布団の内側をもう見なくていいように、ぎゅっと強く目を瞑った。それでも今度は、瞼の裏がソーニャの笑顔と、さっきの必死な顔を映し出す。新芽色のふわふわした髪も、潤みがちな双眸も、甘い匂いでさえ鮮明すぎた。
「…くそっ……」
ミックは相変わらずゼイゼイと鳴る自分の喉に苛立ちながら、布団の端をギリリと握った。
無勇病
ーーーーー 直列さんありがとうございました(*´;ω;`*)
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