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少女は壁に阻まれる(3/3)


からんとグラスの氷が揺れるのにつられて、ストローが右から左へ移動した。メロンソーダが入った汗をかいたコップの外側に雫がゆっくりと伝った。まるで己の冷や汗のようだ。
呼び出された真昼のカフェは落ち着いており、呼び出した張本人と私の2人しか客はいないようだった。呼び出したというより、歩いているところを拉致られここに連れてこられたのだが。
真っ黒なスーツに包まれたその人は、テーブルの中央に封筒を滑らせた。もとの薄さよりも10cmほど厚みがある。
視線を封筒からゆっくり上げた。
「これは?」
「手切れ金です。好きに使ってください。」
「なんの?」
察しの悪い私にその人は大袈裟な溜息をついた。そんなの決まっているだろとでも言うように。
「悟様とはもう関わらないでいただきたいのです」
その人は眉を上げて、瞳孔を開いた目で、圧を込めて言う。名乗らずとも、風貌からこの人はあの許嫁の使いなのだろうとようやく察せた。
「ちょっと待ってください。悟は反対してますよ」
「もう決まったことなので」
私は前のめりになって抵抗の意思を示したが、有無を言わせぬ口振りで言葉は遮られた。男は立ち上がり、スーツを整えた後、伝票を取った。
この人を追いかけても状況は変わらないと判断し、去る背中を呆然と見つめていた。
その場に取り残された私の脳内は、情報が纏まらず自問自答を繰り返していた。
もう決まったって何?
悟は話付けてくれたよね?
どういうこと?
私の疑問は止め処なく溢れ、慌てて携帯を開いた。電話帳を開き、悟に電話をかける。
数コール鳴った後、非情にも不在を告げるアナウンスが流れた。
今日の悟の予定は聞いていない。いつも聞かないし。
高専に寄れば会えるだろうか。



「あれ?白雪さん?辞めたんじゃなかったの?」
「え?」
高専の事務室に入れば、同僚が私をみてぽかんとしていた。
そして突然の解雇通達。
「辞めてないけど…」
「あれ?割り振りから名前消えてたからてっきり…」
日常が非日常へと変わる焦燥に足がぴりついた。
私の知らないところで、誰かが動いている。
このままじゃ、悟と離れ離れにされてしまう。
「悟は?」
「五条さんなら遠征任務って言ってたけど…」
「そんな…」
「顔色悪いよ?大丈夫?」
そう言いながら背に手を伸ばしてきた同僚に私は首を力なく振った。大丈夫ですと漏れた言葉は思ったより弱々しかった。

覚束ない足取りで、夕日が沈む帰路を歩いていれば、横に真っ黒なBMWが近づいてくる。避けようと脇に寄れば、少し先で停車した。
なんだか嫌な予感がして、私はくるりと踵を返した。が、遅かった。
踏み出そうとした足は動かせず、何かによって背を引っ張られた。
「久しぶりやな」
義姉さん。と。聞きたくもない声がかかる。
「なんで…」
「連れ戻しにきたんや。父様が煩くて煩くて。」
人を馬鹿にしたように笑うその顔に、嫌でも過去が蘇る。
「嫌だ」
私は身を捩るが、何かの術式によって抵抗できないようにされていた。せめてもの抵抗で愚弟を睨みつけると、おー怖。と全く怖くなさそうな反応が返ってくる。デジャヴを感じた。

「杏子!」
聞き慣れた声に顔を上げると、悟が民家の屋根に立っていた。なんでここがわかったのか、遠征任務はどうしたのか、手切れ金はどうしてなのか、聞きたいことは山ほどあったが、その姿を見ただけでひどく安堵した。
私とは対照的に、うわあ。と嫌悪を滲ました愚弟の声が漏れる。
すとんと私の目の前に降りてくると、近くでみた悟の顔にも焦燥が浮かんでいた。
「どういう状況?説明しろ」
凄む悟に、愚弟はやれやれと肩を竦めた。
「見ての通り姉弟仲良くやってたんですよ」
「姉弟で縛りプレイ?」
ばちんと背中に衝撃が走ると、体が動かせるようになった。悟が取っ払ってくれたらしい。
私はその隙に術式を発動しようと印を組んだが、その手を悟に掴まれた。
どうしてなのか、眉をひそめると、悟は何も言わなかった。今すぐこのムカつく顔を恐怖に陥れたかった。あの日のように。
「嫌だなあ。遊んでたんですよ。ね、義姉さん」
口元だけ笑みを浮かべ、目を細めて義弟が言う。大嘘つきに、私は大げさなほど首を横に振った。
「勘当したんだから、もう付きまとうのもやめて」
「五条家からのお達しや。杏子を幽閉しろってな」
「は…?」
信じられない言葉に私は震えた。五条家ってことは、悟が?
「悟…?」
「んなもん出してねえよ」
悟の眉間の皺が深くなる。じゃあ一体誰が。
「ふーん。悟君以外婚約には賛成派が多いみたいやけど。しゃーないな」
そう言い残して愚弟は車に乗り込んだ。悟がいては分が悪いと判断したのだろう。黒いセダンは闇に消えていった。

私は、街頭に照らされた広い背中に額を寄せた。
「どうしよう…大事になっちゃった」
「…」
「手切れ金渡されて、補助監督辞めさせられて、その上悟までいなくなったら私…」
ずびと鼻水を啜る。一番は悟に会えなくなることが、どうしようもなく胸が痛い。考えただけで涙が止まらなくなった。
悟は何も言わず一点を見つめたままだ。何か考え込んでいるのだろうか。
さっき、皆が婚約に賛成していると言った。悟もその言葉に揺らいだのだろうか。私はいらない子なのだろうか。
ただ、悟が口を開くのを待った。

「怖い思いさせたな。ごめん。」
悟はやっとこちらを振り向き、私の頭を抱え込んだ。その温もりが冷えた夜風を遮ってくれる。
「ううん。悟がいれば全然怖くない。」
「…まさかここまで外堀埋められてるのは想定外だった。関わるなってあれだけ釘刺したのに。」
私を抱き込む腕に力が入った。悟のあずかり知らぬところで、どうやら事が進んでいるのだろう。私もお父様に同じようなことをされたからわかる。
多分この嫌がらせは終わらない。
「とりあえず、婚約は破棄させる。そんでお前の籍を高専に戻してもらうようにするから」
「ねえ悟…」
そんなのいたちごっこだ。それに悟のコネクションがないとこの世界にいられない私は、酷く異端だ。
私が舐められ続ける限り、悟が呪術界にいる限り、この手のことは終わらない。
「一緒に逃げよう?」
「は?逃げるってどこへ」
「ずっと遠く。日本じゃなくて、世界でも、宇宙でも。」
「本気で言ってる?」
「うん。本気。すっごく本気」
食い入るように返答すれば、悟は黙り込んだ。
きっと悟ならこの案を断るだろう。自分でも馬鹿なことを言っているとわかるから。
だから、悟はこんな私と別れて、ひかれた道を歩いた方が幸せになれる。
最初から叶わない恋だったから。少しでも夢を見られて良かった。
それでも潔くいられず、最後まで判断を悟に委ねるのは、ずるい女だ。

「…お前がそうしたいなら、いいよ」
「え!?」
私は驚きのあまり、くるまれている中から抜け出し、悟の顔を見た。
ひどく穏やかな諦念をまとった表情は、相も変わらず綺麗だった。
苦渋の決断をした表情には見えず、さもそれが当たり前だと。
「なんでそんな驚いてんの?」
「そんなこと言うの…悟じゃない…」
「はあ?」
だって、悟は呪術界を背負っていて、悟に守られている私みたいな人もいるわけで、そんな人を、悟は見捨てるなんて、考えられなかった。
「だめだよ、そんなの…フってよ、私のこと」
そうぽつりと零すと、悟は綺麗な顔を歪めた。面倒くせぇと顔に書いてある。
「あのなぁ…」
深く息を吐きだすと、悟はその場にしゃがんで顔を伏せた。
「お前が一番大事で、助けたくて、他のこと全部どうでも良くなるくらい好きなんだけど」
お前のために全部捨てる覚悟はあるつもり。と、思っていたよりも重い返答が返ってきた。この重さは重力に換算したら何Gだろうと、この場にそぐわないことが頭を過る。
私も悟にあわせてしゃがめば、控えめにふわふわの頭に手をのせた。
悟がこんなに思ってくれていると知れたのは、冥途の土産にしてはお釣りが返ってくるほどだ。私にはもったいない。
「ありがとう悟…でも、ここが潮時なのかも」
ごめんね。と。