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月まで逃避行 (8/8)


夜風は涼しいが、早朝になればなかなかの暑さが部屋に充満していた。暑苦しさに目を開ければ、窓から薄明かりが差し込んでいた。その光に淡く照らされた彼女の顔に頬が緩む。朝はなかなかお目にかかれない寝顔を手の甲で撫でた。起きた時に傍にいるだけで安心する。上層部への鬱憤も抑えきれなければ、任務で八つ当たりの如く等級以上の力を奮っていた。それが愛する人の寝顔を見るだけでおさまるのだ。この愛しい微睡みが永遠に続けばいい。

「……うみ!!!」
叫びながら勢いよく起き上がった曜に一瞬驚いたが、すぐに冷静さを繕い上体を起こした。曜の横顔を窺えば寝ぼけ眼でぼうっと一点を見つめている。俺は寝起きで叫ぶヤツを初めて見た。

「起きた?海行くよ」
「まだ着いてなかった…」
うわーんと首に抱きついてきた。そんなにショックなのか?それほど夢の中が楽しかったのか?
「いい夢見れたみたいだね」
背中に手を回し耳元に囁けば、腕の力が入り無言ですりと頬擦りされた。
「ずっとここにいたい」
悟と2人で。段々と聞こえないくらい尻すぼみになったが、この距離ではハッキリと耳に届いた。本人はそんなこと無理だとわかってて呟いたのだろうが、滅多に聞かない本心からの我儘だった。だから、脳裏に次世代の術師の卵たちが浮かぼうが、家やしがらみがどうでも良くなるほど叶えたいと思ってしまった。だって、小さい頃のお前もそう言ったから。救えなかった幼い時とは違う。今は俺がいるんだから。

「なーんてね。早く海いこう」
口を開こうと息を吸えば、捲し立てるような曜の声に遮られた。無理に明るく取り繕って、いつもの曜のように。ゆっくりと顔を離され向き合うと、笑顔を向けられた。その瞳を真摯に受け止めて口を開いた。
「僕はいいよ。このまま逃げても」
俺の言葉に一瞬見せた暗澹たる眼差しが、さらに動揺を誘う。伏せられた瞳には光が遮断され、黒だけが広がっていた。
「ううん、帰る。海行って、ちゃんと帰るよ」
睫毛が上がり、大きな瞳に光が入った。また瞬間見えた本心が暗幕の後ろに隠れてしまった。


分厚い幕は徐々に開けていければいいと、燻る気持ちと共に俺は車を飛ばした。
海岸沿いを走っていると、曜は窓に張り付いて食い入るように眺めていた。それはあの日見た少女の横顔と重なり、珍しく抱いた苦衷にかぶりを振って前を見た。

曜に腕を引かれるまま砂浜に踏み込み、その手に視線を辿れば昨日返した指輪が日に当たり光っている。最後に海に行ったのは、星漿体の任務以来だと思い出す。昨日は焦っていて感じなかった感傷的な気分にさせられ、目を細めた。潮風が吹き半歩先を行く曜の髪が揺れる。突風が麦わら帽子を攫い、ゆらゆら遠くへ舞っている。お互いしばらく呆然と眺めていたため、反応が遅れた。先に反応した曜が、まずいと手を離して駆け出した。海面へ着地した帽子は、今度は波に攫われていく。曜は波打ち際に立ち尽くしていた。帽子と似合っていた白いワンピースが静かに揺れている。

「ごめん、僕が取り損ねた。」
取ってこようと無限を張り、水面に足を踏み出そうとする。しかしそれは曜の力によって阻まれた。
「大丈夫。無限使ったら目立つよ」
こちらに微笑みを向けながら言うわれ、遮断されていた外野の音が響いた。何も言わない俺を不思議に思ったのだろう、曜はこてんと首を傾げた。咄嗟に口元に笑みを浮かべて口を開いた。
「じゃあ泳ぐ?」
「あり!」
水着も時間もないけどねー!とあっけらかんと言いながら回した腕に体重をかけてきた。帽子を取る気も、泳ぐ気もないようだ。
こうなったのも全て俺のせいだなあと、ここに来てからの事に思いを巡らす。任務失敗と似たような後悔を感じた。

「夢で、見たかもしれない」
「なにを?」
ざぷんと波に消えそうな声を何とか掬う。
「悟と小さくなった私。」
普通は残らない記憶が残っていたことに、少し吃驚する。それは俺だったからなのかと勝手に期待が浮かんだ。

「救ってくれてありがとう」
「僕はなにもしてないよ」
力なく笑えば、曜はううんと首を横に振った。
「あの時逃げればよかったって、悟を後悔させないから。」
一生忘れられないだろう言葉と共に笑顔を向けられ、時が止まる。固まった俺の頬を両手で包みこみ、唇が触れた。ただそれだけなのに、頭の奥が痺れた。
慰められることなんて滅多にないし悪い気はしなかった。ずるいよな、いつもそうやって埋まらないものを埋めてくれる。俺の方がお前に救われているし、どうかその眩い笑顔が曇ることなく健やかであってほしい。
「僕って幸せ者だね」
そう言って頬の手を掴み、しっかり握りしめる。揺れる大きな瞳から唇へ視線を落とし、さらにまた口付けた。
潮風にお互いの香りが混ざる。この時だけは二人だけの世界だった。







  
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