いつまで経っても彼の態度は素っ気ない。

「ごめんね。突然お邪魔しちゃって……」
「……」

唇がやけに渇いている。目の前のコップに手を伸ばそうか伸ばすまいかそわそわしながら彼女が言うと、テーブルの向かい側であぐらをかく彼はさぞかし面倒臭そうな顔をするだけで、何も答えない。

授業が終わってすぐに来たから、彼はまだ学生服のままだ。彼女も同じく制服ではあったのだけれど、彼の私服を見られなかったのはほんの少し残念だった。

「……おうち、広いね」
「……」
「……空条君のお母さんって、美人ね。とっても」
「何しに来た」

そう言う彼はいつもより無愛想な顔をしている。ただのクラスメイトが勝手に家に上がり込んで来たのが余程気に入らないらしい。彼の母親に明るく招き入れられて「女の子がうちに来るなんて珍しいわ!」と手厚く歓迎され、それに加えてガールフレンドと誤解されてしまったのも、もしかしたら不機嫌に拍車をかけているのかもしれなかった。
彼女は畳の目を指先でなぞりながら、言いにくそうに身じろぎをする。

「この間……の、返事。聞きたくって」

そんなことを口にするだけで緊張で声が震える。熱を持った耳朶を押さえながら恐る恐る彼を見ると彼女の予想に反して、言われた意味がわからないと言いたげに眉をひそめていた。

「返事?」
「ほら、渡したでしょ、手紙」

いわゆる恋文なんてものを、古臭いと思いながらも彼に渡したのは三日前のことだった。
どんな反応が返ってくるか、感情の読めない彼のことだから彼女の自分への気持ちを知ったところで露骨に態度が変わるとは思わなかったが、それでも彼の様子は一日経っても二日経ってもあまりにも変化がなさすぎた。

「……」
「……」
「……空条君?」
「……ああ」
「思い出した?」

蛍光灯の紐を見つめて黙り込んだ承太郎に、控え目に彼女は聞く。光が映りこんだ彼の瞳はうっすらと深緑を帯びて酷く綺麗だ。喧嘩の噂もよく耳にしているし、教師からの評判も決して良いものではなかったが、それでも彼の瞳を見る度に、本当はそれ程悪い人ではないのだろうな。と思う。

「忘れていた。な」

ふいに短く、低く彼が言うので彼女は危うく聞き逃す所だった。え。と彼を見ると、表情一つ変えずにさらりと言う。

「読むのを忘れていた」
「えっ」

戸惑った顔で言われた言葉を理解しようとする彼女とは裏腹に、彼は落ち着き払ってテーブルの上の麦茶を飲み始めた。

「じゃ、どこ?今、手紙……」
「出してないから、制服のポケットだな」

手紙を渡した時、「後で見て」と言う前に面倒臭そうに彼は制服のズボンのポケットにしまい込んだ。それはしっかりと覚えている。しかしまさか、そのまま読んでもいないなんて……。緊張と呆れで彼女は目眩がしそうになる。

「じゃあ、今……今でいい。後ろ向いておくから、読んで、返事して」

スカートを握り締め、震える声でそう言った。麦茶の入ったコップに浮かぶ水滴を見つめながら、彼が今度こそ自分の気持ちを知ってしまったらいったいどんな顔をするのだろうと考えてそれだけで頬が熱くなる。

ところが、彼からの返事はまたもや短く、素っ気なく、予想外だった。

「……無理だ」
「……どうして?」

そこにあるんでしょ?とばかりに彼女が承太郎の制服を見やると、彼は冷静に首を横に振った。

「制服は、二着ある」
「……?」
「今、洗濯に出してる」






「信じられない!」
「お前が手紙なんて回りくどいものを渡すのが悪い」

洗濯機は脱水の途中だった。
一時停止ボタンを押して、慌てて中を見ればもう水は全部引いており濡れた服が絡み合っていた。
中を覗き込んで、制服を取り出そうと迷わず手を入れた彼女に、醒めた口調で彼は言う。

「どうでもいいが、中には下着も入ってるんだぞ」
「……空条君が探して」

その言葉に承太郎は彼女をきつく睨んだが、彼女も負けじと彼を睨み返す。彼の眼孔は普段ならば竦み上がるほどだったが、理不尽な仕打ちを受けた今はそんなこと問題ではなかった。

「……」

やがて彼女が緊張感に耐えかねてきた頃、承太郎は溜め息を吐くと、やれやれと言った様子で洗濯機を覗き込んだ。
彼の体格の良い身体も、風貌も洗濯機とはまるでアンバランスで、妙におかしい。

そんな彼の後姿を見ながら彼女は、子供のころにポケットティッシュをポケットに入れたまま洗濯して大惨事になったことを思い出していた。繊維が白くこびり付いてなかなか取れないものだから、母親にこっぴどく叱られたものだ。

「これだ」

承太郎が制服のズボンを取り出し、乱暴に投げてよこした。それは水気を帯びて少し重たい。彼女がポケットの中を探ると、中には確かにそれらしきものがあった。

手紙はぼろぼろになってはいたが、周りの洗濯物に被害はなかった。素材がティッシュほど柔らかくはなかったおかげで、まだましだったようだ。
ただ、手紙の入っていたポケットの内側にはその残骸が白くこびりついている。黒い生地のせいでそれがよく目立つ。一つの塊になってしまった紙は、触るだけでぼろりと崩れて、中身を読むどころではなかった。あれほど必死で文面を考えながらボールペンで書いた文字も消えてしまっているだろう。

「あーあ。せっかく書いたのに。頑張って……」
「結局なにを書いたんだ」

手の上で手紙だったものを転がし言う彼女を見下ろし、悪びれもせずに彼が訊く。

「口では言いたくないから手紙を書いたの」
「面倒な奴だな」
「次は、読んでね」
「だから口で言え」
「明日、また書いてくる」
「……うっとおしいやつだな。意外と」

その言葉にはそれほど悪意がこもっていないような気がして、彼女は少しだけ笑った。
思えばこれ程近い距離で彼と二人で話をしたことは今まで一度もなかった。濡れた手紙と、紙がこびり付いた制服を抱えたまま、彼女は彼を見上げる。綺麗な色の瞳がこちらに向けられている。自然に緩む頬に、今自分は物凄く上機嫌なのだとわかった。不思議だ。読んで欲しい手紙は台無しになったのに。

「ねえ、空条君」
「……」
「ポケットに物入れたまま洗濯に出しちゃうなんて、意外とおっちょこちょいだね」
「ぶん殴るぞ」

その言葉さえなんだかいとおしく感じて、洗濯機の前で彼女は始終、笑っていた。




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