「メローネ、またわたしの服勝手に着たでしょ」

昼近くなってもまだベッドから出てこないメローネに、わたしは言った。
彼の足下に仁王立ちするわたしをチラリと見て、彼は「なんだ、気付いたんだ」と悪びれもせずに言う。

「ご丁寧にクリーニングにまで出してくれたようだけど、片付ける場所が違ったわ」
「そんなはずはないな…元のクローゼットにちゃんと」
「あそこに仕舞ったところまでは、正解。でもね、わたし、シャツはシャツでちゃんと並べてるのよ。コレはジャケットの間に挟まってた」

「お生憎様」とわたしが言うと、「そりゃあ迂闊だった」とくぐもった声が戻ってきた。
枕に顔を埋めたまま、もぞもぞとブランケットの下でひと伸びすると彼は、俯せのまま腕立て伏せのような形でむくりと半身を起こした。

「やっと起きる気になった?メローネ。…おはようって時間じゃないけど」
「うーん……まだ怠いな……」
「コーヒー、淹れるね。着替えはそこに置いといたから」

呻きとも取れる返事をするメローネを寝室に残し、わたしはキッチンへ向かった。
昨夜遅く、連絡もなしに突然部屋を訪れたメローネは、とても冷たい体をしていた。頬や手が真冬の空から降ってきたみたいにひんやりしていて、不揃いに伸ばした髪は濡れているのかと思った程だ。
どうしたのかと思えば、バイクで随分遠くまで行ってきたらしい。
「走りたくなったんだ、無性に」
そういうメローネの瞳が何だか寂しげで、わたしは途端に言いようのない不安に襲われた。

シャワーを浴びてワインを少し飲んだ彼は、さっきまでの白い体を嘘みたいに火照らせて、わたしを抱いた。
夜中に、あんなになるまで走った理由は結局聞けないまま。けれどもわたしを抱く彼が、守ってあげなきゃと思う程に頼りなさげで、わたしは何度も彼を抱きしめた。




「……君は良く起きられたね」

湯気の立つカップをそろりと持ち上げて、メローネが中の液体にふぅと息を吹きかける。テーブルに肘を載せて、まだ目の覚めきっていないような顔だ。

「午後から出掛けるの。これでも予定よりは遅かったのよ」
「朝まで寝かさなけりゃ良かった」
「ばか」

朝になってみれば、それはいつも通りのメローネで。
あんまり普段と変わらないものだから、昨夜のことが本当に現実だったのか、自信がなくなってしまう。
ベッドで彼が言った、言葉も。


「君が好きだ」

普段、真顔では絶対そんなことを彼は言わない。日常では勿論、ベッドの中でだって。
ふざけて「愛してる」だの何だのと言われたことは幾度となくあるけれど、あんな切ない囁きを、彼の口から聞いたことはなかった。

彼はわたしの顔を不思議そうに見ている。口元が僅かに笑っていた。

「なぁに、どうかした?」
「いいや、別に。ただ、このシャツ君の匂いがするなって」
「ちゃんと洗ってあるわよ」
「でも君に抱かれてるみたいだ」

ニヤニヤと笑って、でも伏し目がちに呟くメローネを見て、わたしの胸はまた、きゅうと病んだ。
コーヒーの表面に浮かぶ気泡が、ぷちぷちと音を立てて弾けていく。その様を見ながらわたしは、思わず言うまいと思っていた言葉を口にした。

「どこにも行かないでね」

声に出してみれば、何て重たく無責任な言葉。やっぱり言うんじゃなかった、と後悔してももう遅い。彼が次いで放つ言葉がどんなであっても、胸のざわつきが晴れるとも思えなかった。
彼は今、どんな顔をしているんだろう。知るのが怖くて、顔を上げられなかった。
泡が濃い香りに溶けてゆくのを見つめながら、わたしは少し、悲しくなった。



―END―





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相互記念に「ロータスイーター」の毬村さまより頂きました。
にやにやしながら何度も読み返しました。
さみしげな雰囲気と日常的な会話が大好物な私にはたまらないお話でした。この素敵さをぜひぜひ見習いたいものです。
素敵なお話、ありがとうございました!







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