レースのカーテンの薄い影がシーツの上をゆらゆら漂っている。俺の横で目を閉じている彼女の頬にも、影が揺れていた。

彼女の乱れた白いブラウスの、貝殻で出来たボタンが一つとれかかっている。一個一個ちまちま外していくのが面倒で、力任せに脱がせたせいだろう。
指先でボタンのほつれた糸を引っ張ったり、表面のつるつるとした感触を撫でて楽しんでいると、眠っていた彼女の眉がしかめられる。気だるげに彼女の腕が伸び、羽根のようにふわりと俺の手を掴んだ。

「メローネ……?」
「ああ、ごめん。起こしちゃったな」
「ん……。……ルト」
「ん?」
「ラズベリータルト……食べる夢、見てたのに……」

眠気を含んでとろんと蕩けた甘い声でそんなことを言うから、愛おしくなって彼女の目蓋にキスをした。
俺の顔が眼前にあるというのに、彼女はムードのかけらもなく大きなあくびをする。勝手気ままな猫みたいだ。

「それは悪いことをしたね」
「まったくだわ……。ワンホールを独り占めしてたのよ」

彼女はゆっくりとした語調でそう言い、くすくす笑って俺の髪を梳いてくれる。

「……ね、今度食べに行かない?」
「ああ……いいね。いい考えだ」
「最近、この近くにケーキ屋さんができたのよ。評判みたいで……一度行ってみたかったの」

だからあんな夢見たのかしら。
俺の頭を撫でながら彼女はそんな話をする。まったく取り留めのない、身も蓋もない言い方をすればくだらない話。
けれどもどうしてかこいつの口から聞かされると、こんなどうでもいい話でもさほど苦じゃあない。
俺は彼女の肌蹴た胸に片頬を寄せ、ぼんやりと窓の方を見る。
遠くから、犬の鳴き声が聞こえてくる。
晴天の空を、鳥が飛んでいる。
隣の部屋から、隣人が聴いているらしいラジオの音が聞こえる。
爪の先ほどもない小さな虫が、さっきから視界にちらついている。

「メローネ?」
「……ん?」
「どうしたの、ぼーっとして……」

彼女は心配そうに俺の顔を覗き込む。
俺は曖昧に「いや……」と笑い、それから手を伸ばし、彼女の頬を撫でた。

「……二人きりになりたいな、って考えてたんだ」

ぽつりと言う俺に、彼女は首を傾げる。

「今がそうじゃない」

二人しかいないわよ。数も数えられなくなったの?
からかうように言い、彼女はおかしそうに笑う。俺も合わせて頬をゆるめてはみたが、きっと今の自分はいびつな笑みを浮かべているのだろうということが、鏡を見ずともわかった。

「違うよ。完璧にさ」
「完璧に……?」
「今こうしている間だって、ほら、よく見ると虫がいる」

そう言って俺はふらふらと傍を飛んでいた虫を指先で掴み、潰した。ぷち、と微かな感触が指を伝わる。彼女はいぶかしげに眉をひそめた。

「それに隣には人が住んでるだろ」
「うん」
「窓の外見てごらんよ、鳥が居る。犬も鳴いてる。生き物で溢れかえってる」
「……何が言いたいの?」

俺は彼女の首筋に唇を寄せ、肌に軽く歯をたてた。あ、と、声にならない声が聞こえた。好きな声だ。快感と恥じらいに微かに震えるその体も、俺は気に入ってる。

「この世界中で、 君と二人だけになりたい」

この世界中の生き物みんな消しちゃって、君とふたりぼっちになりたいよ。
そうすりゃ、お互いがどこに居ようと俺らはいつでも二人きりだ。
君の目は俺だけしか見なくて済むし、君の耳は俺の声しか聞けなくなる。君は俺だけに言葉を使い、君の手は俺にしか触れられない。君が心を乱されるのは俺にだけだ。とても素晴らしいと思わないかい?

甘い告白でもするように、俺は言う。
それはロマンチックな空想でもなんでもなく、本気の言葉だった。
俺たち以外の誰もこの世に居なくなったら、金も力も何もいらなくなる。それを手に入れるために奔走することも。余計なことなんて何も考えず、彼女のことだけ思って生きていけるのに。
ああ、みんな何もかも消えちまえばいい。こいつと二人で、二人だけでいいんだ。世界にはどうして、こんなに余計なものが多い。
彼女は何も言わず、ただじっと俺を見つめていたが、やがて考え込むように目をふせた。長い睫毛が、震えるように揺れている。

「恐ろしいことを言うのね」
「……俺が怖くなった?」

そう尋ねると、彼女はなんてことないような顔で「ううん」と首を振った。

「確かに怖い考えだけど、あなたとなら世界中で二人ぼっちになってもきっと幸せよ」

真っ直ぐに俺を見てそう言う。口元に穏やかな微笑みを浮かべて。
その言葉が耳の奥に滑り込んだ途端、たまらなくなって彼女の額に唇を寄せた。彼女は目を軽く閉じる。
眉の間にキスを落とし、閉じられた目蓋を舌先で舐めてやる。目玉の形を確かめるみたいに強く舌を押し付ければ、鼻にかかった息が彼女の唇から漏れた。
それから耳朶をやわらかく噛み、そっと囁く。

「愛してるよ」
「私も……」

好き。吐息まじりに彼女が言う。
両腕を伸ばし、俺の首に絡める。俺の頬に子供のように頬擦りをして、ぽつりと呟く。

「うつくしくって不安定でねじれてるあなたが好き」
「何それ」

彼女の言葉に笑ってみたが、すぐに確かにそうだと納得した。俺はねじれてる。イカれてる。とても普通には生きていられない。
けどそんな俺に愛を注いでくれる彼女も、きっとどこかおかしいのだろう。

それから彼女は、ケーキが食べたいだの、外れかけたブラウスのボタンを後で縫わなくちゃだの、とりとめのない話をした。俺はそれを大人しく聞きながら、けれどやはりどうしても他人の存在を煩わしく感じて、今が“完璧な二人きり”だったらどんなにいいだろうと思っていた。

二人ぼっちの幻想を抱く俺たちにはお構い無く、今日も余計なものばかりのこの世界は時を刻んでいく。




二人ぼっち






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