どこかから、やかましい音が聞こえた。
ガラスが床に落ちたようなその音は、ソファーでうとうとと惰眠を貪っていたギアッチョを起こすのには充分だった。
枕代わりにしていた山積みの雑誌から頭を上げ、音のした方へ目をやる。どうやら、キッチンから聞こえてきたらしい。
皿でも落としたか。そう思ったが、だからといってわざわざ様子をうかがってやるのも面倒だ。
彼はもう一度眠ろうと、雑誌に頭を乗せなおす。だが、目を閉じようとした矢先、またがしゃり、と音。さっきよりもうるさく、くわえて今度は「ひゃあ!」と声までした。

――うるせえな。ぼそりとつぶやき彼は舌打ちすると、傍らのテーブルに手を伸ばして眼鏡を取った。
寝ぼけた目をこすりながらソファーから降りると、眼鏡をかけ、キッチンに向かう。

「さっきからガチャガチャうるせえよ……」

言いながらキッチンを覗き、彼は思わず言葉を失った。
アジトの簡易キッチンの前にうずくまっていた彼女が、顔を上げる。――全身、白い粉にまみれて。

「あ、ごめんなさいギアッチョ。起こしちゃった?」
「……何だそれ」

明るく言う彼女に、ギアッチョは眉をしかめたまま問う。
苦笑いをする彼女のスカートもブラウスも、雪のような粉にまみれている。
粉は床にも散らばっており、彼女の傍らには、ステンレスの片手鍋と、からの砂糖瓶が転がっている。どうやら、砂糖をぶちまけたらしい。そう理解すると、彼は盛大にため息をついた。

「お鍋取ろうとしたら棚に手が届かなくて、無理に取ろうとしたら落っことしちゃったの。……横に置いてあったお砂糖も、その拍子に落ちてきて。受け止めようとしたら、蓋が外れちゃって……」

彼女はそう言って、うるさくしちゃってごめんなさい、と謝った。
ギアッチョは何も答えず、聞こえよがしに舌打ちをしてやった。
彼女はメンバーの一人だ。主に役割は雑用。資料の整理や、軽食を作ったりする。
だというのに、どうもどこかのネジが緩んでいるのか、何かするたびにドジを踏む。食器を割ったり、頼んだものとは違うものを買ってきたり……料理もさほどうまいとは言えない。性格は、これでもかというほど真面目で素直なのだからまたタチが悪い。
彼としては早いところクビにしてほしいのだが、他のメンバーは「女ってのはちょっと抜けてた方が可愛いもんだ」とか言って笑って済ませてしまうものだから、余計に苛立っていた。

「どうぞ、お昼寝の続きをしていて」
「……もう騒がしくすんなよな。邪魔だからよ」

彼は必要以上にきつい口調で言うと、キッチンを出て行きかけ――途中で、やはりこれくらいじゃ言い足りないとばかりに振り向いた。

「大体、鍋なんか取り出して、何しようとしてたんだよ」

今は、他のメンバーは仕事で出払っていて居ない。戻ってくるのなんて夜も更けてからだろう。昼食は数時間前に外で済ませてきた。昼過ぎの、こんな中途半端な時間に料理をする必要なんて全くない。

「……それは、その」

彼女が、床にこぼれた砂糖を手で集めながら、言いにくそうに口を開いた。
その唇からどんな言葉が出ようと、彼はこう言ってやるつもりだった“お前が何かすると、面倒事が増えるんだよ。余計なことせずに、部屋の隅で大人しくしてた方がよっぽどマシだ”

「お仕事続きでギアッチョ、疲れてるみたいだったから。その、甘いものでも作ろうと、思って……」

なのにそんなことを言われたものだから、ギアッチョは口を開けたまま、何も言えなくなってしまった。
思わず、彼女をまじまじと見つめてしまう。砂糖まみれの姿。胸元も足も、雪が降り積もったように白い。彼女の体中が、甘いものにまみれている。彼女が申し訳なさそうな顔をして俯くと、髪に零れていた砂糖が床にさらさらと落ちた。
彼はすぐに我に返ると、クソッと吐き捨て、踵を返す。
シンクの傍に吊るされたタオルハンガーから白いタオルを取り、それを濡らすと、しゃがみ込んで床を拭きはじめた。ざり、と、床と砂糖が擦れあう音がする。

「……ギアッチョ?」

彼女が、驚いたように彼を見る。

「勘違いすんなよ。お前一人だと余計片付かなくなりそうだからだ」

彼は彼女の方は見ずに、荒々しく言った。

「……ありがとう」
「いいから、てめえもさっさと片付けろよ」
「後で、頑張って疲れの取れるもの作るからね」
「……。……ああ」

彼は相変わらず不機嫌そうな表情で、けれど、自分のためだけに作られる彼女のさしてうまくもない料理を少しだけ待ち遠しく思いながら、そう答えた。




砂糖漬けの彼女






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