クッションはフローリングに落ち、カバーの外れかけた本がその傍に転がっている。
同じように床に転がるティーカップは、割れてこそいないものの中身をあたりにまき散らして、それはひどい有り様だ。
部屋中に舞い上がっていた埃もようやくおさまって、今はただひたすら静かだ。
隣人が洗濯機を回す音も、窓の外で鳥がさえずる声さえはっきりと聞こえる。

喧嘩の理由はいつだって、終わって冷静になってみれば笑えるくらいくだらないものだ。
二人が仕事仲間から恋人と呼べるような関係になってから日はまだそれほど経っていなかったが、もう何十回と、この何にもならないいさかいを繰り返してきた。
いつでもどこでも、アジトだろうが互いの部屋だろうが関係ない。引き金を引くのはいつもギアッチョだ。

生来の彼の気の短さも問題だが、彼女も適当にあしらえばいいのに毎回むきになって言い返すものだからたちが悪い。
結局、この無意味なもめごとは何の進歩もなく、ただずるずると続いてしまうのだ。

ソファーの上で、彼女は俯せになって眠っている。喧嘩の後はいつもこうだ。投げつけたクッションも零れた紅茶もぴりついた空気もそのままにふて寝してしまう。
眠ったって、彼が素直に謝るわけでもないし、ただ零れた紅茶がクッションにしみを作るだけでいいことなんて何にもないと、彼女だってよくわかっているだろうに。

午後の柔らかな空気が漂う部屋の中で、彼女の静かな寝息が聞こえている。
荒れた部屋とはアンバランスで、おかしな光景だ。

ギアッチョは散らかった部屋を片付けるでもなく、いらだちを紛らわすように部屋の中をぐるぐる回り、落ちた本をつま先でちょっと蹴飛ばして、乱暴に頭を掻きむしり、溜息をつき、それから、することもないのでさほど飲みたくもないのにコーヒーを淹れた。

カップを片手に、彼女の眠るソファーへ向かう。
あれだけわめき散らしていたのが嘘のように、彼女は実に穏やかに眠っている。
彼女の頭の横に腰掛けて、彼はコーヒーを一口飲んだ。

もうすでにイラついた気分は落ち着いていた。
またやっちまったなとか、でもあいつもあいつで悪いから仕方ねーんだ。とか、そんなどうしようもないことを考えて、またふつふつとわき上がりかけた苛立ちを振り払うためにまたカップに口を付ける。


しばらく、じっとフローリングを見つめながらコーヒーを飲んでいた。それでも気は大して紛れない。
彼は、手持ち無沙汰な片手をそろそろと、彼女の方へと伸ばした。
それから、起こさぬよう遠慮がちに頭を撫でてみる。
彼女の髪に触れた時のふわりとした感触は、実は結構気に入っているのだが、それを本人に言ったことはない。

彼女が起きる気配がないので、彼は指先に髪を巻きつけて引っ張ってみたり、髪のあいだからちょこんと覗くやわらかな耳朶を指で軽く弾いてみたりした。

この、柔らかく暖かいものを怒らせてしまったのだと思うと、自分たちのうまくいかなさがとても愚かしく思えて、らしくもなく重たい溜息が零れる。

彼女の髪の毛を弄りながら、彼は唇を薄く開き、「すまねえな」とぼそり、漏らした。
それはコーヒーの湯気がほんの少し揺らぐだけの、本当にささやかなつぶやきだった。

「イライラさせられるが、嫌いにはなれねえんだ。どうしても」

そう口にして、すぐに、一人で何言ってんだ俺は、と舌打ちする。らしくもない。
コーヒーを飲もうとカップに口を付けようとすると、彼女の体が、微かに動くのが視界の端に見えた。

ふと彼女を見れば、肩が小刻みに震えている。くくく、と喉の奥で必死に笑いをこらえるような声も聞こえる。
まさか、と思った時にはもう遅い。彼女はこらえかねたように、俯せたまま声をあげて笑い出した。

「っ、てめえ」

慌てて彼女の髪をひっつかみ顔を上げさせた。少々乱暴になってしまったが彼女は笑うのを止めない。

「メローネに聞いたの。私が寝てるときに、いろいろちょっかいだしてること」

だから寝たふりしてみたんだけど、まさか、あなたがあんな恥ずかしいこと言っちゃうなんて!
足をばたつかせ、微かに上気した頬を抑えながら言う彼女を尻目に、彼は立ち上がった。

「どうしたの?」
「あいつ、殴りに行ってくる」
「そんなのいいじゃない」

まだ笑いのおさまらないらしい彼女はゆっくりと立ち上がり、ゆるゆるの表情で彼の腕を掴む。
彼の体はわずかにバランスを崩して、カップからコーヒーが少しだけ、零れて落ちた。

「それよりも、もっと一緒にいて。もっとああいうこと、言ってよ」

もうさっきの喧嘩のことなんて忘れたように、彼女は機嫌よさげにくすくすと笑っている。呼気が首筋をくすぐっている。
彼は顔をしかめて「馬鹿言うな」と吐き捨てると、それでも大人しく、ソファーに座りなおした。

落ちたクッションに、零れたコーヒーが新たなしみを作っていく。




しみだらけのクッション






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