夕日の色が街を染め上げて、辺りは一面あたたかなオレンジに包まれている。
風は少し強く、枯草や紙くずを乱暴に飛ばしていたが、肌寒くはなく、とても心地の良い温度だった。

「随分暖かくなってきましたね」

暑くなってきちゃったと、マフラーを取りながら彼女が彼に微笑みかけた。

「ああ」

どこともわからぬところを見つめ、リゾットは答える。厚手の黒のコートが、重々しく風にはためく。いかにも暑そうだというのに、彼は汗一つかいていない。

「そろそろ春物のお洋服を買わなくっちゃ」
「そうだな」
「今度、一緒に見に行きましょうよ。リーダー、いつも黒っぽい服ばかりなんですもん。たまには明るい色のもの、着ません?」
「仕事には地味な色の方が都合が良いからな」
「でも、私服くらい春らしい色のものを着ても……」
「……考えておく」
「……」
「……」
「……そうだ、今夜は何を食べます?」
「何でも」
「……」

彼女は彼からふいと視線を逸らして、ちょっと唇を尖らせた。
せっかく上司と部下と言う関係から一歩を踏み出し恋人になれたというのに、いつまでも彼の態度はこんな調子だった。そっけなくて、冷ややかで……。
今日だって、何とかもっと彼と仲良くなりたくて散歩に連れ出してみたけれど、彼は嫌な顔一つしない代わりに楽しそうな顔もしなかった。会話だって、全然弾まない。


本当に、私のこと……好きなんだろうか。
考えたくなくても、彼女は思わずそんなことを考えてしまう。

(単に、毎日のように顔を合わせる部下と気まずくなるのを避けるために、私の想いを受け入れてくれただけなのかもしれない)

ふとそんないやなことが頭をよぎり、彼女はマフラーを強く抱きしめた。ふるふると頭を振って、道の小石を蹴飛ばす。

「じゃ、じゃあ、イワシでパスタでも作りましょう。私、お魚が食べたかったんです。そうだ、この間玉葱が安かったんで沢山買ったんですよ。オニオンタルトも作りましょうか」
「ああ。いいんじゃあないのか」
「……」

会話が終わってしまった。
不安になる。こんなに天気はよくって、空気は暖かくて、いい日なのに。
聞きたくてたまらなくなる。――あなたは、本当に私が好きなのですか?
思い切って、聞いてみようか。口を開きかけて、彼女の目がふと、何かを捉えた。

「……あ」

小さな雑貨屋の前で、彼女は立ち止まった。彼もついとそちらへ視線をよこす。

「リーダー。見てください、あれ」

彼女はそう言って、店先に飾られたミモザの鉢植えの方を指差した。白い鉢植えの隣に、黒い小さな塊がある。よくみれば、微かに動いている。それは猫だった。黒い子猫が、こぼれんばかりに咲いた黄色い花の下で、気持ちよさげに眠っているのだ。
彼は何も言わなかった。彼女はそっと鉢植えに忍び寄り、しゃがみこんで猫の顔を覗き込んだ。

「ふふ、気持ちよさそう」

そっと笑う。
その吐息がヒゲにかかってしまったらしい。猫は耳をひくりと動かして、細く目を開けた。

「ああ、ごめんなさい、起こしちゃった?」

猫はゆっくりと起き上がると、体を伸ばし、ンンン、と喉の奥でうなるような声を出した。のろのろと彼女に近づくと、ひくひくと鼻を動かし彼女の匂いを嗅ぎ、それから頬に顔をこすりつけ始めた。

「やだ、あははっ」

随分人懐こい猫のようだ。彼女が身を捩じらせながら楽しげに笑うと、猫もまた幸福そうに目を細めて喉をぐるぐると鳴らし始めた。
彼女の顔を舌で舐め、細く小さな声で甘えるようにアーンと鳴く。

「こら、くすぐったい。ふふ、舌がざらざらしてる」

余程彼女が気に入ったのか、猫は鼻先をぐいぐいと彼女の顔に押し付けてくる。
ふわふわの毛並みが、彼女の頬を擽った。

「リーダー、かわいいですよこの子……んーっ」

猫は彼女にしゃべる暇も与えさせず、ぺろりと彼女の唇を舐めた。

「こーら、甘えんぼ。あははっ」

そう言って子猫とじゃれていた彼女の腕が、突然彼によってぐいと引かれた。
「わっ」バランスを崩して、彼女は石畳に尻餅を付く。驚いたように彼を見上げた。

「……どうしました、リーダー?」
「……いや」

彼は無表情のまま、彼女の傍にしゃがみこむ。
目は、じっと彼女の唇を見つめていた。思わず、頬がかあっと熱くなる。

「な、なんですか、なんですか……」

恥ずかしがって彼の視線から逃げるように俯くと、唇に彼の指先がそっと当てられた。さらりとして、少しひやりとした指に、呼吸が止まる。
彼はそのまま、感触を確かめるように指先で彼女の唇をなぞり、やがて彼女をまっすぐに見据えながら、ぼそりと言った。

「お前のここに触れていいのは俺だけだ」
「な……」

あまりに唐突で、彼らしくもない言葉に、彼女は言葉を失った。頬を押さえて、目をそらす。

「何を急に……そんなおかしなこと」
「おかしいか」
「おかしいですよ……。リーダーが、そんなこと言い出すなんて」
「俺だって、まさかこんな気分になるとは思わなかった」

彼は彼女からふっと目を逸らし、猫を見た。それは少し、照れている人間のする仕草に思えた。……顔は相変わらず、いつも通りの何を考えているのかわからない表情ではあったけれど。

「……猫相手といえど、案外妬けるものなんだな」

顔に似付かぬ子供のような言葉に、彼女は呆気に取られてぽかんと口を開けた。その口から、はは、と小さな笑いが零れた。体から力が抜けていくのを感じる。
肩が、知らず震えてきた。涙の膜が瞳にぱっとひろがって、一粒だけぽとりと落ちた。しずくは黒猫の額に着地して、猫はぶるぶると頭を振った。

「……何故、泣くんだ」

彼女を慰めようと思ったのか、またもや顔を舐めに近付いた猫の顔をさりげなく掌で押さえつけ阻止しながら、彼がいぶかしげに聞いた。

「私の不安、杞憂だったみたいで……よかった……って、思って」
「……?」
「安心しました」
「……よくわからないが、それはよかったな」
「はい。よかったです」

ありがとう、あなたのおかげよ。そう言って彼女は猫に微笑みかけた。彼も猫も何が何だかわからぬといった様子で、彼女のことを見つめていた。







ひそやかな愛





以前書いた、リゾットに懐く猫に彼女が嫉妬する話の逆バージョン。
雑貨屋の前で何いちゃこらやってんだって話ですが。
猫に嫉妬する大人げない彼を書いてみたくなったので書きました。
タイトルはミモザの花言葉。








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