女心というものにはいささか鈍い彼でも、今日の彼女の様子がおかしいことは充分にわかった。

リストランテで夕食を済ませるまではいつもとさほど変わりはなかったのだが、部屋に付くなり、服のすそを握り締めたり、髪をいじったり、何かを言いかけて止めたりと、妙に落ち着きなくなってしまった。
彼女を部屋に招くのは初めてのことではないし、そもそも毎日のように仕事場で顔を合わせているのだから今更恥らうこともない筈だった。

「やけに落ち着きがないな」

ベッドの上に腰掛けて、彼がそう言ってみれば、じっと自分の膝ばかり見つめていた彼女は少し驚いたような顔で彼を見た。

「……そう、ですか?」
「何か言いたいことがあるように見えるが」

彼の言葉に彼女は口を開きかけ、すぐに止めた。
何かを言いたいが、どうにも踏ん切りがつかないでいるようだ。

「まあいい。無理には聞かない」
「リーダー……」

彼女の口から何気なく零れ出たその言葉に、彼は内心でため息をつく。元々上司と部下という関係からこうなったせいで、他人行儀な言葉遣いはなかなか直らない。名前で呼ばれたことも、まだ一度もないのだ。

「眠るか。明日も早い」

くだらない考えを振り払うように、彼はそう言って立ち上がる。
その手を、彼女の両手が掴んだ。
ゆっくりと振り向けば、彼女は俯いたままで視線を泳がせている。

「……どうした?」
「あの」

彼女は下を見つめたまま、口をもごもごと動かし、唇を噛んで、やがて意を決したように切り出した。

「いつも私だけベッドの上で。なんだか、その、申し訳なくて……」

彼は一瞬、意味が理解できずに眉をひそめた。それから、ああ、と頷く。
彼女が部屋に泊まる時、彼はいつもベッドは彼女に使わせ、自分はソファーで眠るようにしていた。初めて彼女を泊まらせた時から、ずっとそうだ。それは、一つのベッドで眠れば生真面目な彼女はきっと緊張してろくに眠れなくなるだろうという彼なりの配慮だった。

「その、リーダーをソファーで眠らせて私だけがベッドで眠るのは、やっぱりいけないような気がして。ずっと気になっていて……」

そんなことで先程からずっと悩んでいたのかと、彼は内心呆れてしまった。

「だが、お前をソファーで寝かせるわけには」
「……その。一緒じゃ、いけませんか?」

彼の手を握り締める彼女の両手が熱を持っている。
掌から、彼女の躊躇いや戸惑いがありありと伝わってくる。

「私、リーダーと一緒に、ベッドで眠りたい。です」
「……」

彼女としては余程、勇気を振り絞った提案だったのだろう。
頬は紅潮していて、情けない表情で首をすくめている。
彼は小さく息を吐くと、彼女の頭を掌で撫でてやった。

「別に、構わない」

彼女は赤い顔のまま、喜びと緊張が入り混じったようなおかしな表情で彼を見上げた。

「……本当ですか?」

彼はそれに答える代わりに、靴を脱ぐと、毛布を巻くりあげ、さっさとベッドの中に入って行った。
彼女も靴を脱ぎ、彼と自分の靴をベッドの傍に丁寧に揃えて置くと、油の切れた機械のようなひどくぎこちない動き方でそろそろと毛布にもぐりこむ。

彼女がベッドに入ったのを見、彼は部屋の明かりを消した。
視界が暗くなり、衣擦れの音や呼吸の音が途端に目立ちだす。
彼が予想していた通り、彼女は緊張のあまり彼の隣で小さく縮こまってしまっている。
こんな状態でゆっくりと眠れるのだろうか。彼女を横目で見ながら思う。

「やはり、俺が居ると眠れないんじゃあないのか」
「……そんなことないです」

そうは言ってもやはりどうにも寝付けないらしく、忙しなく瞬きや寝返りを繰り返す彼女の髪を、彼は指先でゆっくりと梳いてやった。

頬を撫で、唇を撫で、余計な言葉はなにも口にせずに、ただ子供をあやすように静かにそんなことを繰り返していれば、彼女はようやく安心したように緊張を解いて、深く長い息を吐き出した。
暖かい吐息が、彼の目蓋をくすぐる。

「ありがとうございます。……リーダー」

その言葉に、彼はまたため息を吐いた。
ベッドの上で口にするには、その呼び名はあまりにも似つかわしくない。

「……こんな時くらい、名前で呼ぶことはできないのか」

思わずぼそりとそう零した。ブランケットに吸い込まれて消えていくだけだと思われたその小さな呟きは、けれどしっかりと彼女の耳にも届いたらしい。

「……え?」

今、何て?
少し驚いたような顔で聞き返す声に「いや……」と言葉を濁し、彼は少し決まり悪そうに彼女に背を向ける。
いい歳をして何を言っているのか。まるで子供の我侭だ。
彼女と居ると、何故だか自分でも思いもしないことをやってしまう。不思議な女だ、彼女は。

そんなことを考えていると、ふいに頬にそっと柔らかな感触が押し当てられるのを感じた。
彼女が口付けたのだ、と気付くよりも先に「おやすみなさい。リゾット」と囁く声が彼の耳の中へすとん、と落ちていった。




ベッドの上のふたり(安眠)






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