雨水を含んだ服は重く冷たい。 ただ立っているだけでも、髪や服から滴った雫が何滴もフローリングに落ちていく。 「はい、バスローブ、私のだからサイズ小さいけど。あとタオル。それと毛布ね」 目の前であいつは早口にそう言うと、俺の手に持ってきたものを押し付ける。 俺はぼやりとそれを眺める。真新しいタオルを、顎を伝って垂れた水滴が濡らしている。 「何かあったかいもの入れてくるよ。あ、リゾット、シャワー浴びる?」 「いや……」 「じゃ、せめて服は脱いだら?びしょぬれでしょ?」 「いや、いい」 俺が言うと、あいつは呆れたように肩をすくめる。 外は、激しく雨が降っている。雨が窓を叩く音が、耳にうるさい。 「風邪引いても知らないわよ」 「……」 「まあいいや。とにかく暖かくしてて。コーヒーでいいよね?」 あいつはそう言ってきびすを返しかけたが、タオルと毛布を抱えて棒立ちのままの俺に痺れを切らしたらしく、手からタオルを奪い取ると、濡れた俺の頬を拭った。 首筋の水滴を拭き、腕や、胸にも丁寧にタオルを当てられる。 忙しなく動く手を見ながら、こいつは案外、世話焼きなところがあったのだなと、どうでもいいことを思った。 「ほら、やっぱりびしょぬれじゃない。髪も……」 「ああ……」 「座って」 そう言うと、あいつは傍の二人がけのソファーを指で示した。 「あなた背が高いから、髪が拭きにくいの」 「だが、ソファーが濡れる」 「そんなのいいから」 腕を引っ張られ、半ば強引にソファーへ座らされる。あいつの好みの柄のソファーカバーが、見る間に濡れていく。 あいつは手際よくバスローブで俺の体を覆い、その上から毛布をかける。冷えた体にそれは暖かく、思わずため息が漏れた。 「今日はお仕事だったの?リゾット」 あいつは目の前に立つと、タオルで俺の頭を包み、がしがしと拭きながら訊いた。まるきり子供扱いだ。 「ああ」 「で、どうして私のところに?」 「顔を、見たくなった。急に」 そう言うと、髪を拭いていた手の動きが止まった。 タオルと、乱れた自分の髪の隙間からあいつの表情を盗み見る。 戸惑ったような顔で、俺を見下ろしている。 「……それは、それはとっても嬉しいけど。それだけのために、ここへ?こんな雨の夜に?」 「ああ」 「……おかしな人ね」 不安げな表情をたたえていたあいつは、そう言って無理矢理に笑みを作った。 そうしてまた、髪を拭いてくる。 俺はされるがままになりながら、思考をめぐらす。 雨の日の仕事は、あまり好きではない。 生温い空気も体にまとわりつく雨の冷たさも、ただ煩わしく気分が悪い。 仕事自体はいつもと変わりなく、むしろ雨が降っていることを除けばいつもより楽な方だった。 だが相手の血が雨に流され俺の爪先を汚したとき、らしくもなく感傷的な気分になった。 雨の陰気臭さがそうさせたのか、なんにせよ酷くみじめで忌々しく、何故だか無性にこいつに会いたくなった。 俺が何をしているかを知らず、普通の人間として接してくるあいつに、この情けない人殺しをただいつものように出迎えてほしいと思った。 「これで、さっきより大分、ましね」 あいつがそう言い、髪を拭いていたタオルを取る。 そうして、俺の髪をそっと撫でて「ぼさぼさでなんだかかわいいわよ」と笑った。 その表情を見つめ、ああ俺はこいつのこんなところが酷くいとおしいのだ、と思う。 なんでもないことで幸せに笑うのも、能天気な子供のような仕草も。 「……礼でもしよう、次に会う時には」 「大げさね」 「だが……」 その後の言葉を、言ってもいいか躊躇して俺は口をつぐんだ。 (だが、またこうやって来てしまうかもしれない。雨の日、濡れ鼠で、お前のところに) ふと顔を上げると、あいつはじっと俺の顔を見つめていた。 目が合うとやわらかく笑い、髪を撫でていた手を俺の頬に滑らせた。 湿り気を帯びた肌に、あいつの乾いた指先が暖かい。 「……そんなに言うなら、私、ひとつだけほしいものがあるの」 「何だ?」 唇が一瞬、戸惑ったようにまごつき、それから静かに開かれる。 「……あなたのファミリーネーム」 一瞬、意味がわからず眉をひそめると、あいつは照れくさそうな顔をして、「だからつまり、一緒になりたいってことよ」と早口に言った。 「そうすれば、顔が見たいからってわざわざ雨の中、私の部屋に来なくてすむでしょう?」 「……」 「いつだって出迎えるわ、あなたのこと」 返答に窮して何も言えずにいると、あいつは「コーヒー淹れてくる」とキッチンへ向かった。 俺はしばらくあいつの後姿を見つめ、それから窓に視線を移した。 いつの間にか雨は勢いをなくしたらしく、外の雨音は聞こえない。 静かな部屋の中で俺は目蓋を閉じ、いつか訪れるかもしれない、あいつとのささやかな暮らしを想った。 雨の日、彼女の欲しいもの。 |