前を歩く彼女の足下から白い紐が垂れている。
左靴の靴紐がほどけているらしい。さっきからずっとこんな調子だ。僕はさっきからそれが妙に気になってしょうがない。
5分も前からずっと、ひらひら揺れる白い紐と彼女の脚を見つめて後ろを歩いている。

喫茶店の前を通り過ぎ雑貨屋のショーウインドウに数秒ほど目を留めたりしながらのろのろ歩いていた彼女は、よりにもよって点滅しかけた横断歩道を駆け足で渡ってる時に、右足で靴紐を踏みつけた。
彼女はよろめいて、大きく前につんのめった。それでもこけまいと必死に後ろへ重心を戻そうとする彼女は数歩後ろへふらつき、結果的に背後を歩いていた僕にぶつかった。

「……相変わらず鈍くさいな」

話しかけられて初めて僕のことに気が付いたらしい。彼女は振り向くと「わ……」だとか間抜けな声を出して、叱られた子供みたいに小さくなった。

「露伴せんせ……。すみません、あの、靴紐がですね」
「いいから。信号変わるだろ」
「あ、ごめんなさい」

彼女を追い越して横断歩道を渡れば、彼女も小走りでついてくる。
赤になるぎりぎりのところで渡りきると、彼女はすぐにしゃがみこんだ。慌てて靴紐を結んでいる。僕はそれを見下ろして溜息をついてみせた。

「靴紐解けたままよく延々と気付かずにいられるな」
「知ってたんなら教えてくださいよ」
「いつ気付くか観察してたんだ」

僕の言葉に彼女は肩をすくめた。排気ガス混じりの風に吹かれて彼女の髪が揺れる。

「すぐ解けちゃうんですよね。これ」
「不器用だもんな、君」
「そんなにはっきり言わなくても……」

ようやく結び終わったらしく彼女は困ったような笑みを浮かべて立ち上がり、歩き出した。僕は少し後ろを歩く。
足元で蝶結びにされた紐が彼女の動きにあわせて揺れているのが見える。しばらくそれをじっと見ていたら、「そうだ」と歩きながら彼女がこっちを振り返った。

「先生のなんかすごい能力で、靴紐うまく結べるようにしてくださいよ」
「はあ?」
「仗助くんが言ってましたよ。そういうこと、できちゃうんでしょう?」

僕は一瞬言葉に詰まった。
一体あいつはどんな教え方をしたのか、彼女は手品師のショーを見つめる子供みたいなばかにきらきらした目でこっちを見てくる。間近で見ると、本当に邪気がないって言うか、間の抜けた顔をしてる(あ、意外に睫毛も長いんだな)

あんまりじっくり見ていたら彼女が首を傾げて「先生?」と不思議そうに言ってきたから、僕は「馬鹿か君は」と言い放って、それから彼女の能天気な笑顔を軽く睨み付けてやった。

「ばか、ですか」
「そうさ。そんな下らないこと、僕が君にしてやるわけがないだろう」

彼女は瞬きをして、「そうですか」と呟くとまた前へ視線を戻した。

「残念」

おどけた声で言う彼女の、今度は右足が靴紐を引きずっている。

「ほら、また解けてる」
「え、あ……」

彼女は顔をしかめて、またしゃがみ込む。もたもたした動きに少しいらいらしていると、彼女が顔を上げて首をかしげた。

「あの、先生いいですよ、先に行って……。何か用事、あるんじゃ」
「もう終わって帰るところだったんだ」

彼女の足元を見れば、まだ結び終わっていない。どうせすぐ解けるくせに丁寧で綺麗に結ぼうだとか考えているらしい。もたもた動く彼女の指を見ながらわざと大きく溜息をついてみせた。

「早くしろよ。待ってやってるんだから」

言えば「え」と彼女が顔を上げる。

「待ってるって……」
「どうせ買い物かなんかだろ」

呆気にとられた彼女の顔は随分間が抜けていて思わず少し笑った。

「僕もついて行ってやるよ」
「はい?」
「君がまた転ばないように見はっといてやる」
「それは、どうも……」

後ろで「でも、それなら私がうまく靴紐結べるようにした方が早いんじゃ……」なんて言ってる声が聞こえたけれど、気こえないフリを決め込むことにした。





ほどけるくつひも
(だって、不器用で鈍くさくなけりゃあ君じゃないものな!)






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