放課後の図書室は私と蔵ノ介のほかには図書委員しか居らず、私たち3人の呼吸や太陽の光や揺れる埃や古びた本の匂いなど、全てをひっそりと包んで静まりかえっていた。
シャープペンシルが原稿用紙の上で磨耗していく音と、私がめくる本の音以外、私と蔵ノ介の間に音は存在しなかった。ふとした瞬間に退屈そうな図書委員のささやかなあくびと、音楽の音漏れが耳に届いた。

たいくつではないけれど少しだけ寂しいのは、蔵ノ介が『毒草聖書』の執筆に集中して、ちっとも私の存在を認識していないように感じるからだ。
うららかな春の日差しを背中いっぱいに浴びながら光合成する私は、さっきから蔵ノ介のつむじばかり見ている。つまらなくはないけど、面白くもない。

いっそ私が毒草だったら、もうちょっと楽しいのかもしれない。私が毒草だったらきっと蔵ノ介は毒草聖書にだって私を登場させてくれるもの。

ああ、私。

「生まれ変わったら毒草になろう」

独り言に近いそれにぴくりと耳を動かし、執筆を始めてから20分程、やっと蔵ノ介は私に反応した。
少し伸びた前髪からくるりとした目を覗かせ、握っていたシャーペンを机に放り投げると、頬杖をつきながら笑う。

「なまえが毒草なったら鈴蘭みたいに可愛いんやろなぁ」

にこにことした笑顔は私に向けているのか、それとも愛する毒草に向けているのか。

きっと前者だけど、蔵ノ介は毒草をまるで恋人のように大切にいとおしむからちょっと分からない。たまに彼の中では、彼女である私よりも毒草の優先順位が上だったりするのを、私はこっそり知っている。今がまさにそうだ。

「やっぱり白くてちっちゃい花がえぇなぁ。夾竹桃みたいのんでもええねんけど。症状は心臓麻痺と眩暈、プラス呼吸困難でどや。んー意外と食虫植物っちゅーのもアリやな…圧倒的毒々しさを纏いひとり佇む毒草の姫…ええなそれ、今度の毒草聖書のネタいただきや」

なにそれ、と笑い蔵ノ介の手を握る。

「なまえが植物になったら大変や。みんな摘もうとしてまうわ」

「毒草になった私を見つけてくれるのは蔵ノ介だけでいいよ」


私が毒草になったら、蔵ノ介はもっと私だけを見てくれるだろうか。
毎日慈しむように指先で撫でて、そのきれいな口許を綻ばせて。ああ、きっと観察記録とかもつけるんだろうな。

そう考えると他の毒草ですら憎らしい。私の毒はきっと嫉妬が主成分だ。

そんな私が咲かせるであろう花も毒々しいに違いない。でもそれで蔵ノ介を繋ぎとめていられるのならば、私はいくらでも毒に浸かり毒を纏い毒を放つだろう。
こんなことを考えてしまうあたり、とても可愛い可憐な花にはなれそうにないと自分で思ってしまう。尤も、蔵ノ介が私を好きだと思う理由にこんな毒っぽさが含まれているならそれはそれでいいのだけれど。

「私が毒草になったらね、」

「うん」

「蔵ノ介の粘膜から潜り込んでその心臓をしびれさせて殺すの。死んだら蔵ノ介も同じ毒草になるんだよ」

「なんや冬虫夏草みたいやなぁ」

「私が蔵ノ介のなかに深くもぐって、少しずつ蔵ノ介を一部にしていって、最後はひとつになって、同じ植物になるの。きっととっても素敵だよ」

ぴったりとくっついていく細胞とか、隙間なく重なり合う感覚は一生人間では得られないもの。
素肌をなぞるならこのまま指先から融解して溶けた形で固まってしまいたい。二度とはなれないように。できることならこのまま蔵ノ介の細胞のひとつになって、蔵ノ介を構成するひとつになれたらいいのに。蔵ノ介が死ぬ時に私も、同じように静かに死んでいくの。同じように腐敗していって、一緒に土に還って、今度は新しいひとつの植物として、またずっと一緒に芽を出して成長して朽ちていくの。

ずっとそんな風に、何年も、何十年も、何百年も居られたらいいのに。
ずっとずっと、私だけが蔵ノ介を独占できたらいいのに。
それができたら、なんて素敵なんだろう。

「そやな」

優しい声で蔵ノ介が相槌を打つ。蔵ノ介の表情がやわらかいと、私は安心する。

「次の毒草聖書のネタにしよか」

「私だけに書いて読ませて」

私と蔵ノ介だけの物語。
蔵ノ介が描く世界に住む私の物語を、他人になんて読ませたくない。
ふたりだけの大切な秘密にしたい。

楽しげな表情を浮かべて、また蔵ノ介はシャープペンを手に取る。
図書委員は音楽の音量を上げて、片膝を立てながら漫画雑誌を読んでいる。

私は蔵ノ介のつむじを見つめながら、毒を体に含んだまま光合成を続ける。




  

そして毒草になる未来を想像する。









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