目を閉じて、目の前に広がるのはただ一面の闇だ。真っ暗な、全てを飲み込むような絶対の黒。目を開けてもその景色は変わらない。現実と夢の境界が薄れていく。どちらが夢でどちらが現実かなんて、どうでもいい事のように思えた。少しでも自由に、なんとなく思い通りに動かしていける夢の方が現実であればいいと、本当は少し思っていたかもしれない。



覚醒するような寝覚めにゆっくりと目を開けると、無機質な天井と目が合う。病室に備え付けられた時計で時刻を確認したら深夜2時で、嫌な時間に目を覚ましてしまったと後悔した。

病院の夜はいつまで経っても慣れない。慣れてしまったらいろんな意味で嫌だな、とも思うけれど。
それでも今の俺には自分の部屋の天井が思い出せない。間取りは。あの辺には何があったっけ。花壇は今どんな景色だろう。記憶をひっくり返しながら想像してみても、なかなかうまくピースが組み合わない。今の俺の居場所はそこではないんだ、と記憶にまで見放されたような気持ちになる。


俺は何でここに居るのかな。

なんで俺がこんな目にあうのかな。

満月なのか、リノリウムの床が月の光を反射して病室は海底のように青い。
まるで病室は大きな水槽だ。ならば仰向けで寝転ぶ俺は死に掛けの魚か。
青の中に手を浸したら、自らを象る輪郭さえもぼやけて吸い込まれてしまいそう。いっそ指先から泡になって消えてしまえたら楽なのに。人魚姫みたいだな、と力なく笑って目を閉じた。

きりきりとした頭痛が眠りを妨げ続ける。浅く息を吸い、深く酸素を吐き出す。こめかみを鋭く突くような痛みが一瞬深みを増した。

どうせ溺れるなら、この青の中に溺れたい。
喘ぐような呼吸の中で、こんな嫌いな病室で見れる青があまりにも綺麗な青で、悔しくて瞼を閉じた。



「それじゃあ幸村くん、また来るね!」

「ああ、ありがとう。気をつけて」

笑顔を作りなんでもない呈を装うのは意外と難しくない。どうとでも思っていない相手だからこそ、冷静に対応が出来るのかもしれない。

見舞いに来てくれるのは嬉しい。

けれど必要以上の同情と、自己陶酔に近い押し付けの理解が何よりも嫌いだ。
日に日に体は棘を纏い、鋭くなっていく。自分の中に確かに潜む暴力的な感情にも嫌気がさす。

医者や看護師に消毒液のにおいが染み付いてしまっているように、自分の体にも病院が少しずつ侵食してくるのが分かる。溺死体が魚に啄ばまれて穴だらけになるように、いまの俺の体をひどく無遠慮に病院と病が啄ばみ、ほつれていく。



「幸村」

「…みょうじ」

「寝てた?ごめん、疲れてた?」

「いや、大丈夫。少し頭痛がしただけ」

「さっき入り口で別のクラスの子に会った。来てたのね」

はい、お花。と言って放り投げられたのは花なんかではなく画用紙。
「買うお金はないからそれで我慢してね」と照れくさそうに目を逸らしながら、みょうじが丸イスに腰掛ける。その間に渡された画用紙を広げてみると、そこには実際に買ったら数万はしそうな絢爛豪華な花束の絵が水彩絵の具で丁寧に描かれていた。

「へぇ、さすが」

「よくいうよ、美術部のあたしに負けないくらいうまいくせに」

「珍しいね、お見舞い?」

「ちがう、お誕生日」

「ああ、そっか…」

なるほど、真ん中に咲き誇る鮮やかなオレンジは俺の誕生花か。

「忘れてたの?」

「14歳だ、今日から」

ひとつ年を重ねて。
この1年がどんなものになるのか。どうなるのか。あまり明るい未来は描けない。描こうと思っても、なかなかうまくいかない。先の見えない状態は肉体的にも精神的にも疲労を加速させる。

今日もまた病室に蔓延する死を内包する空気の重さで窒息して溺れそうだ。薬品の匂いが粒子になって細かく体に染み込んで行く。

もうすべて壊れてしまえばいいのに。
明日にでも世界は消滅してしまえばいいのに。

ああ、溺れそうだ。

みょうじはきっと俺が毎日こんなことを考えているこもと知らないんだろう。知って欲しいとも思わないし、仮に世界が終わってもみょうじだけは生きてて欲しいと思うけど。


「なんか暗いね」

「そうかな」

こういう状況下で明るくなれるほどポジティブじゃないし、馬鹿にもなれないよ、俺は。と少しだけ心の中で毒づいた。
みょうじは俺の不安とか、どうしようもなく狂った部分とか、そんなもの知らなくていいし、探さなくてもいいのに。そばに居てくれるだけでいいのに。

ふとみょうじの表情が翳る。

「わたし、幸村はがまん強いと思ってた」

実際とても強いし、精神的にも。と付けたしたあと、黒い瞳がしっかりと俺を見据える。

「でも幸村が手を伸ばしたら簡単に悲しみにも苦しみにも、厳しさにも寂しさにも届いちゃうんだよね」

ぎゅっとみょうじの両手で手を包まれる。うすいピンクの爪の隙間には水色の絵の具がこびりついている。

「あたしね、幸村好きよ、すごく」

「うん」

知ってるよ、そのことは。とても。

「美術部にはね、幸村がいつきてもいいようにって水色と青の絵の具ばっかりあるの、知ってた?」

「へぇ、気付かなかったな」

今まで何度も行ってたのにね、と言うとそうでしょ?と勝ち誇ったように笑う。

「だからね、退院したらいつでもおいで。幸村の好きな色と好きな花を壁一面に敷き詰めて、幸村の好きなものだけあつめて迎えてあげる。一面花にしてあげる。好きな水色で埋めてあげる。あたしはこれから毎日幸村のために花を描くから、幸村も毎日なんか頑張ってよ」

「勝手だなぁ」

思わず零れ落ちた言葉に対しても、「美術部はあたしだけだもん、問題ないよ」とずれた回答をする。
自分でどうしようもないものが病気なんじゃないかと思っても多分彼女は跳ね除けるだろう。

「すごい勝手だよ、それ」

「だって病気なんて治るって思えば治るもん。病は気からって言葉知ってるでしょ?」

根拠も何もないのに、無責任に言い放つその言葉になぜか苛立ちもせず救われる。
彼女はあっという間に深海から海上まで俺を引っ張り上げる。脆弱な呼吸も潰れそうな肺も、すべてが正常に機能を始めていく。


「ねえ」

「なぁに?」


「好きだよ」

「知ってるよ、そんなこと」



魚座の僕は青に喘ぐ
君から受け取る酸素で僕は正しい呼吸が出来る。










誕生日星座彼氏シリーズ。加筆修正しようにもどうしようもなかった。

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