「あー…ほっぺだけぬくい」
「ほんとだ、真っ赤だよ」
「甘酒で酔ったのかなあ」



ぴっとりと腕にしがみつく彼女の頭を軽く撫で、ぼんやりと朝もやの残る道を歩く。
太陽が昇りきっていない冬の朝はまだ冷たく、大気そのものも未だ眠っているかのように静かだ。初詣客も狭い路地に入ってしまえばほとんどおらず、神社の喧騒も遠くのさざなみのようにささやかなものになる。

外気に触れる指がきしむほどに冷えていく。
頬や耳も、静かに冷やされ感覚を失っていく。
ポケットにつめていた左の手で自分の頬に触れると氷のように冷たく、温まった手だけがこの世界では間違った存在のように浮いて思えた。

自分の手が自分のものではないみたい。
言葉だけは数ヵ月前に自分が味わっていた感覚に似ているけれど、全然違う。
筋肉の動き。感じるつめたさ。昨日よりもおそらく延びた爪や髪。白く濁る息。
ああ、俺の体は正常に作動している。と毎朝確認をしていた時とは。
あの病院での日々は、きっと質量を持った夢なのではないかと思うほど、それは遠くのことのように感じる。


「精市のほっぺは冷たいのね」
「わっ…」
「精市?」
「…っくりした…」


きょとんと小首を傾げた彼女が、ごめん、そんなつもりじゃ。ととっさに謝る。
むきだしの頬に触れた彼女のてのひらはしっとりとして温かく、ポケットであたためていた自分の手と同じ温度で、口元が緩やかに解れる。

「なまえはあたたかいね」
「甘酒のせいじゃないかな」
「それだけじゃないよ、たぶんね」

あたたかいてのひら。
同じ温度で繋がりあう部分が、こうして一緒に同じ世界に溶け込んでいるなら、それだけでもいいかもしれない。


がらんとした大通りは1分毎に色温度を上げて、少しずつ地の底から浮上してくるように色味を帯びていく。
車ひとつ通らない赤信号で立ち止まって、すべてが息を潜めた、まるで静止した世界にはふたりきり。この瞬間世界にはふたりだけだね、なんて歯の浮くような言葉を言うのも許されそうな時間を共有して。
いまひとつのおみくじの結果も、鐘を突いても消え去らない煩悩も、甘酒程度で顔を真っ赤にして、どこか足元がおぼつかない彼女も、その全てをひっくるめて一緒に一年の始まりを過ごせるということが、なんだかんだ幸せだと感じる。



あと少しで地平を赤く染めながら真新しい冬の太陽が昇り始める。
ゆっくりと地軸がねじを巻き始めて、世界の一日を始める。

正月の誰もいない世界にほんの少し怖くなるのは、まだ世界がねじを巻き切る前なのだろう。
ぽつりとした孤独感に人恋しくなって、ぎゅっとなまえの手を握ると、表面に張り付いた冷気が指先からほどけていく。ふっと笑う笑顔もふわりと切なさをくるんでしまう。

「精市つめたいねー」
「血の巡りが悪くて」
「ぬくめてやろう」

両手で冷えた俺の右手をあたためるなまえの頬を撫でると、まるで猫のように目を細めて笑う。そのまま緩んだ唇に唇を落として、ぎゅっと抱きしめる。

「恥ずかしい」
「誰もいないのに?」
「精市の存在が恥ずかしい」
「それって失礼じゃないかな」

青信号になってゆっくりと歩き出すと、ほんのりと太陽が顔を覗かせ始めたらしく、家々の隙間を切り裂くように光が差し込む。見慣れた海岸線を坂から見下ろすと、いつの間にか太陽は半分近く顔をのぞかせていた。

「やー新年だねー」
「そうだね」
「あとどれだけ一緒に居れるかね、わたしたち」
「なにそれ」

くすくすと笑うと、笑い事じゃないんだよ。と神妙な面持ちで睨みつける。
ぎゅ、と握る手に力がこもる。なまえは前を見据えながら「せめて来年も一緒に新年迎えられたら良いね」と、白い息と一緒に吐き出す。
「来年といわず、もっと先まで一緒だと良いよね」
「そういうことさらっと言っちゃうんだもんなあ、神の子は」
「そろそろ子を取ってくれてもいい年齢じゃない?」
「今すぐ神社に戻って神様にぶっとばしてもらおうか」
「ふふ、冗談だよ」

いくぶんか酔いがさめて赤みもひいた頬をぎゅっと寄せ、しがみつくように腕を絡めるなまえの頭を撫でる。
いつか見た映画では、幼いカップルが朝日を眺めながらプロポーズなんてしてたっけ。


「とりあえず、今年も精一杯頑張りましょうか」

「まずはまた一年、よろしく」


冬冴ゆる










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