【貴方だった、】【貴方がよくて、】






































【貴方だった、】







 『ごめんね』

 ラルウェルとトゥルームがブーケトスを終え、歓談の時間になった時のことだった。次の演目までだいぶ時間を残して一息ついたアンゼの下に忍び寄ったキューレは、彼女の背後から近付き、耳元にそっと吐息を注ぐ。肌が栗立つ感触に驚き慌てて振り返ると、謝意には似合わぬ、したり顔をしたキューレと目が合った。
「ごめんね、とは…?」
むず痒さが取れない耳元を撫でながら、アンゼはその真意を問う。キューレは複数回瞬いた後、拍子抜けしたとばかりに肩を竦めてみせた。はぁ、とため息を付く。
「自分は式も挙げずに離婚したのに、他人様の神父役を買って出たその御心の広さには感服致しますよ、シスター。」
 少しでも後ろめたさとか、嫌気の一つでも抱えていれば、すぐに察しただろうに、微塵もそんな感情は持ち合わせていないらしい。アンゼはキューレの言葉を聞いても尚、ぽかんとしていたが、暫くして肩を揺らす程に驚愕した。途端に慌て初めてキューレから視線を外し、あれこれと思考を巡らせ始める。けれど後の祭りで、気の効いた言葉など何も思い浮かばなかった。
「……最近の聖女様は道化なんかよりも余程神経図太いらしいねぇ。ご立派になられた様で俺は嬉しいよ。」
「…………う、器が大きいと仰ってはどうかしら?図太いだなんて言われは、何処か悪意を含んでいるように聞こえますわ。」
先生に怒られている子供のように俯いたまま、アンゼは苦言を返す。
「含めるけど?元夫を伴奏者に呼ぶ神経ってどうだい」
「だ、だって、あのピアノをお使いになれるのは貴方くらいしか……。調律も細かでいつも時間を掛けて使ってらしたし…、奏者に知り合いもいなくて…」
「そうねぇ、奏者を探す以上に時間をかけることがたくさんあったみたいだしね?」
「………段取りまで見直して頂いたことにも感謝はしてます。」
「舞台衣装のカソックで参戦するとは思わなかったけどね」
「も、もう……!そんなお小言ばかり仰って、」
「――――――――――それで、ご満足は頂けた?」
 必死になって切り返すアンゼの言葉を割って問うたのは、本日の出来栄え。機嫌が斜めに傾き始めたものの、アンゼはその一言で冷静を取り戻す。ちらりとキューレを見上げると、さっきまで人をからかっていた人間とは思えぬほどに、優しく微笑んでいた。緩急をつけて弄ばれて、あっちこっちに感情が持って行かれて焦り始める中、アンゼは新郎新婦の背中を眺めた。幸せそうに話し込む二人の姿に、杞憂はない。
「……はい!………とても、良い式になったと、……思います。」
アンゼは祈りの時のように両手をきゅっと握り締めながら言い切った。まるで告白でもしたときのような緊張感がある。冠婚葬祭の場数をこなしているキューレに何て思われているかは、聞くのは怖い。暫く黙っていても返事はこなくて、伺いを立てるように瞼を持ち上げると、さっきと同じ優しい微笑みを携えた侭、
「そう?一緒にやった甲斐があったね、安心したよ。嬉しいね。」
にこりと笑いながら告げた。やんわりと頬を撫でながら笑うキューレの姿を見つけて、それが取り繕わない本音であると見抜く。道化師ではない、キューレという人間の癖。気づいている人間が、どれだけいるのだろう。そんなことをこっそりと胸の内にとどめながら、ほっと安堵に胸をなで下ろした。好き勝手に人をおちょくる癖に、最後にはストンと落としどころに置いてくれる。だから安心出来るのかもしれない。力を借りることが多かったこともあって、一つの山を越えることが出来た。
少しだけ思い出す、昔の気配。けれどもう、それは昔のことだ。
きちんと御礼を言って、この場を納めなければ
「ありがとう」を正しく伝える為には何て言えばいいだろう。変に勘ぐる必要もないけれど、二人で話し込むのは久しぶりで、もっと何か言わなければならないことがある気がする。けれど、すぐには思い浮かばない。アンゼはそっと視線を落とし、絡めた指先を解いた後、そこに落ちる一房の白髪に気づいた。はらりと、毛先が撫でる。瞬いた瞬間、自分の左頬を撫でる長い指先にも
「――――――――!」
 きゅ、と瞼を閉じて肩を竦めた。距離が縮まって甘い香りが届く。キューレの胸元の十字架が鈍く光って揺れていた。一房、もう一房、白い髪が垂れる。影を落とし、自分の額に吐息が触れるのが解った。
このままいれば、唇を奪われてしまうかもしれない。
きっと、顔を上げたら、そのまま捕らわれる。
距離が近くて、そっと固い胸板を押し返そうとしたが、どうしたらいいものか力を入れて押し返せなかった。視線のやり場がない。恥ずかしい。決して強行しようとしてこないけれど、外堀を埋めるようにじわじわと逃げ場を塞いでくる。この男はいつも周到だ。決して顔を上げてはいけない。防衛ラインを崩せずに旋回するように、キューレはアンゼの頬を指の背で撫でている。
「……少しは、より戻したくなった?」
その言葉が波紋を呼ぶ。何を問うているのかと思い、アンゼは顔を上げてしまった。紫色の瞼が細まり笑っている。あ、と思った時には、顎を持ち上げられて前髪が被さってきてしまった。絶対絶命の中、きゅ、と瞼を閉じてキューレのカソックをつかむ




「………私と別れてからというもの、娼婦の御方と仲がよろしかったんですか?」 




 まさに唇が触れる寸前で、キューレは息を詰めてぴたりと止まった。
 ゆっくりとその身体が離れていき、アンゼの顎を持ち上げていた指先が肩に流れる。
「…………誰に聞いたの、それ。」
心底嫌そうな顔をしたキューレが眉を歪めながら問う。アンゼはまだ赤みが引かない顔でムスりと頬を膨らませて見せた。出所は教えるつもりはない。
「……男の子だからほら、……遊園地行くみたいな感覚なんだよアンゼ…」
「そういう遊びがご理解できる方をお選びになって下さい!」
つん、とそっぽを向いた後、身体ごと横を向ける。思いっきり振ってやったとばかりに誇らしげな横顔を晒して、アンゼは澄ました。はぁ、と深いため息を付いて、キューレは髪を指先で遊ぶ。苦笑を携えつつ、やれやれと肩を竦めていた。
「図太くなったわね、君も。」
「随分待ちましたから。」
「孤児院を開いたのも凄いね、未だ直接おめでとうって、言ってなかったかな?」
「開院時に花束を頂いておりますので、お気持ちは届いております。」
「子供が増えてよかったね。」
「はい。」
「アルディオも大概な浮気性だって知ってるの?」
「え!?」
驚愕のあまり振り返ると、してやった顔をしているキューレに鼻で笑われた。その瞬間に真っ赤になり、怒りで湯気が出そうになる。
「か、関係ありません!何で、そんなアルディオ様のことを……」
「あはは、まぁそこは二人で頑張りなよ」
真っ赤になったり、涙目になりそうで情けない。そんな姿を笑い飛ばしながら、キューレは一通り笑いが収まった後、椅子の背に腰を下ろした。もう手を引いたとばかりにカソックの両ポケットに手のひらを納める。
「レターズフェスの時に、花を飛ばしてくれたでしょ?デイジーの花と、手紙とお菓子。あれが飛んできた時に解ったんだよ何となく。一人で歩き始めたんだなってさ。それから時間も置かずに奏者やれだの、酒場に居ればアルディオがどうだの、進展が早いこと。」

どんな情報網かは知らないものの、キューレは先に感づいていたらしい

「………転機だったんです、きっと。」
塔の頂上の鐘。ここにいる意味。
一緒に居る時には見えなかったものが見えて、道筋が立てば歩き出す。それだけのこと。けれど、
「……貴方が、私を見つけて下さらなければ、今の私はいなかったと思います。だから、……感謝をしています。それだけは、何年経っても…。何もお返しできないのが心苦しいですが」
「………ちゃんと返して貰ってるじゃないか。」


アンゼは瞬き、顔を上げた。何を、彼に返すことができたのだろう。
憂いを帯びた紫色の瞼と視線が絡む。



『君があの月のように輝いて、生きて行ってくれたら嬉しい。自分の足で歩いて、月を照らす太陽のように、愛される人になってくれたら、きっと俺といる意味があったと思う。』



「君に先に踏み出されたのは悔しいけど、俺ももう後戻りしないって決めたからさ。」

屈託なく笑うキューレの笑みを見るのは、これで最後なのだろうと思った。
どうしてかわからないけれど、そう確信して、だからと言って、引き止めることが出来るのは、きっと自分ではなくて、

私は、



「ああ…お兄さん、ごめんね?お話の邪魔しちゃって…」


割って入るアルディオに連れられる去り際、「お幸せに、」と聞こえた気がした。























































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アルンゼ完結!ありがとうございました!







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