いつも怖いと思っていました。 ほの暗い天井の果てに何があるのかがわからなくて 5階の廊下から、絵画の全容を見ることはできる 絵画の一番上には手を伸ばす天使様が描かれていて、清らかな微笑みで手をかざしています。 けれどその先の天井は、いつも暗くて、 何も無いように見えて、…怖かった いつの日か、塔の最上階には幽霊がいると言われ その噂を誠しやかに信じて蓋をした 本当は 知っているんです。 暗がりの先にはいつだって、本当の自分が、 真実が、あるのだと 「ね〜え、光探しするって言ったけど、天井に光があるの?そりゃぁね、太陽は空にあるから、リクツはあってるけど!マリアならひとっ飛びなのに、アンゼと一緒だと歩かなくちゃいけないから、ちょっと面倒くさいわ!」 マリアの一喝によって、最上階へ、あの暗がりの向こうへ踏み出すことを決めた。 自然と足が向いてしまっているのは、毎日意識を向けていたからに他ならない。毎日、毎日、懺悔を繰り返してきたから。 おませなマリアの機嫌をとりながら、一緒に階段を進む。こんなに小さい少女を連れるのはよくないのだろうが、ーーーーー……彼女の心強さに支えられているからこそ、今、歩んでいる。もう少し、この手の温かさを借りていたかった。 マリアと共に登りきった塔の最上階。階段の果てにあったのは扉だった。 ここまで来る間の廊下はかなり埃まみれで、二人は歩く度に咳き込んでいたが、古びて重たくーーーー今にも崩れそうな扉は、それ以上に埃の綿を付けていた。にもかかわらず、埃臭い息をすっと吸い込んだ後、アンゼは意を決してノブを掴む。その感触から、錆の内側に金属の硬さを保っていることが分かった。力を込めて押しやると、簡単に開いた。 扉を開けた途端に、マリアとアンゼは風に煽られて身を竦めた。吹き抜けていった一陣の風が運ぶのは土埃、枯葉、ーーーーーー夜の匂い。 それは冷たい早春の風である。アンゼの鼻腔に残ったのは、高みから一望する深林の全容を撫でたような癒しの香りだった。埃臭さに辟易していた分、安らぎを感じる。 「びっくりした!外かしら?」 マリアはふるふると頭を揺すって埃を払いながら、扉の隙間を覗き込んだ。そしておそるおそる扉を押しやる。ギィィ、と蝶番が悲鳴をあげた 「そのようですわね…?外に、通じているんでしょうか?ここが、最上階…?」 「屋上ってやつなんじゃない??マリアが見てきてあげる!」 埃に目をやられていたアンゼがようやっと顔をあげた時には、マリアはずかずかと扉の奥へ踏み出していた。長い羽がすらりと畳まれて扉の隙間に入り込む。 「あ、お待ちくださ…」 気づいた時にはすでに遅し、早足で駆けていきその背に手を伸ばすも、紙一枚間に合わずマリアはすり抜けてしまった。一人だけでは遅疑逡巡して尻込みするものの、少女に対する杞憂があればこそこうして狼狽しながらも追いかけられる。扉の内へと入っていくと、斜めに差し込む月光を浴びた。細い兆しを辿って見上げると、其処にあったのは、ーーーーーーー大きな鐘だった。 「ふぁーーーー!すっごい!おっきい!!」 開口一番に飛び出したマリアの言葉が反響し、クワン、鈍い波紋が広がった。漂う寒気が音を遠くまで響かせ、景色がぶれるような錯覚を見た。焦点を改めるために細い指先で瞼を擦ると、埃がまつげにかかっていたことに気づく。ゴロゴロとする鬱陶しさをやり過ごした後、改めて鐘を見上げた。 「これは…一体…?」 扉の内側は、塔の一番細長い屋上部分だ。屋根の内側に大きな鐘が吊るされていた。 一体いつから此処にあるのか、雨風に晒されてボロボロに錆びて朱く剥けており、鐘だとかろうじて分かったのは、構造とか、形が、よくある絵本に出てくるそのままだったからだ。 けれど、どうして此処に鐘があるのか? アンゼの視線は鐘に釘付けになる。 「変なの!教会の天使様って、鐘を使うの?マリアよくわかんない!」 長い階段を登ってきた割にはちっぽけな成果に見える。期待外れの結末に損したとばかりにマリアは頬を膨らませ、アンゼの腰に抱きついた。そのままぐずり始めて服を引いたりして気を反らそうともだつく 「もう!終わりよ!光探しは終わり…、…?アンゼ?」 「これは…、もしかして、…」 呆然と鐘を見上げていたアンゼの瞼に光が灯る。月明かりを宿した桃色の瞼は、歓喜に満ちていた。 私も、祖母も、誰もが、勘違いをしていたのではないかしら? ここは、この場所は、もしかして、ーーーーー 「………光が、見つかりましたわ!」 ここは 死者を送り出すだけの場所ではないのだわ ここは 人と人とを、愛を紡ぐ場所なんだわーーーーーーー そうと分かれば、 居てもたってもいられず 「ひゃああああ?!」 腰に張り付いていたマリアを抱えて塔の最上階から駆け下りていく。白い寝間着の裾は土や埃で汚れていたが、構っている余裕はなかった。あっという間に地上まで降りてくると、マリアをキッチンで降ろして手紙やお菓子を広げていたテーブルの前に立った。テーブルの上に備えていた小棚の引き出しから自分で書いた手紙を取り出し、それをすべてゴミ箱へ放った。新しい便箋を広げ、インクを取り出し、そこからは一人一人丁寧に書き直していった。 手紙を書き終えると、冷蔵庫を開けに行く。ラルウェルから頼まれたお菓子を渡していたばっかりに、手付かずになっていた自分で作ったお菓子が綺麗に詰まれていた。日持ちする筈だから、まだ大丈夫だ。朝が来れば、レターズフェスも最終日。余興は今日で終わってしまう。 今日中に一人一人に渡したい 出遅れてしまっているのはわかっているけれど、この期間にやはり、返したい、伝えたい。その思いが湧き水のように湧いてきて、いてもたってもいられなかった。この日が特別なのはわかっている。時期を逃すと、正しく認知されない可能性だってある。イベントとは常に生ものなのだ。 しかし、アンゼの足では、1日で街を回りきれない。 「どう、…したら…」 「アンゼ、今からレターズフェスやるの?」 チョコレートを目の前にして肩を落としたアンゼを、マリアは忖度するように覗き込む。 「……、無理、でしょうか…」 早々に気勢をそがれたアンゼの声色は心もとない。しかし、マリアは鼻息を荒くして胸を張り、踏ん反り返った。 「無理なんてないわよ!」 今宵、何度目かの、一喝だった。 「マリアがいいことを教えてあげるわ!!」 きっと、最後の滑り込みだとしても、手を尽くすことはできるからーーー next. [mokuji] [しおりを挟む] |