風呂の薪をくべながら、マンタイムは天を仰いだ。赤い炎を蓄えて温まる風呂窯を眺めた後、また天を仰ぐ。どういう配線となって、煙が出ているのかが、疑問だったのだ。民家ならば煙突か、穴の一つでも開いて煙が逃げる筈の導線が見当たらない。 「…?」 不思議な塔だ。まっすぐに天に向かって伸びている。その先は、大樹に遮られて頂上がどうなっているのか、下々の者からは解らないのだ。マンタイムはしばし首を捻って考えたものの、煙が頂上から抜けているんだろう…と、特に気にもせずに自己完結し、薪をくべ続けた。 「できた…!」 レターズフェスも後半の、とある昼時になって漸く、アンゼは配る用のお菓子を作り終えた。貰ったイチゴやリンゴはジャムにして、日持ちがするように。ミルクと共に練り込んでトリュフを作った。その数たるやあまりにも多く、大皿の上に山が出来ていた。それらを白い紙袋に入れていき、最後にマーガレットとデイジーを添えてリボンで止めた。この二つの花は塔の壁面に張り付くように咲き乱れているもので、取っても取ってもなくならない。以前に「アンゼさんはいい匂いがする」と言われたのは、これらの花の香りだろう。そう言われるたびに少しだけ嬉しかった。なぜだか分からないが、自分を表現できるもののような気がしたからだと思う。控えめな自己表現のつもりでその花を添えたことは、とても恥ずかしかくてむず痒いけれど、なぜだかそうしようと決めたのだ。 感謝の気持ちと共に、自分の存在が少しだけでも相手の手元に残るように… そんな想いを込めて、―――誰にも真意を打ち明けないものの――――控えめに添えた、小さな我侭。 「これが、…子供たちへ、…。それから、これが…」 次に整理する。教会の送迎時に渡す分、知り合いに渡す分、…あらかたのカテゴリーを分けきったところで、ふと気づいた。letters fesと言う所以の、手紙を送るという習慣。こればかりは、どうしたものだろうか。 「 ……、身近な方には、書こうかしら。」 教会運営に携わってくれる人々、舞踏会で踊った人、お世話になっている人――― アンゼはトリュフの束をそれぞれ籠に収めて冷蔵庫に運んだ後、クリーム色の小さな便箋と、封筒を取り出した。そしてブラウンのインクを手に取り、言葉を送りたい人間の顔を浮かべる。日ごろの感謝の意を綴っていく、…つもりだったが、なんだか自己表現が上手く出来なかった。なんとも堅苦しくて、淡白で、事務的にすら見える文面しか書けない。 <いつも大変お世話になっております。日頃の感謝の気持ちを込めて、チョコレートを贈ります。> 何度書き直しても、いまいち正解が解らなかった。人に気持ちを伝えるということは、何だか難しい。寛容、受容、許容…心的許容量の広さは持ち得たものであるにせよ、逆に人に執着するということに乏しかった人生だった。ささいな気持ち一つ伝えることに、ちぐはぐさを感じる。 数時間悩みに悩んだ後、便箋を手紙の形に折り込んで完了とした。あとは午後から明日にかけて相手に渡しに行けばいいのだ。とりあえず、午後からいつもの通りにおすそ分けや、明日の打ち合わせなどで顔を合わせそうなトゥルームや、ラルウェルの分だけは冷蔵庫から出していつでも渡せるように常備し、アンゼは礼拝堂へと出て行った。 礼拝堂に人の気配はない。マンタイムも仕事に出ているのか、姿がなかった。わずかな埃臭さと、石畳と、絵画の香りが入り混じるいつもの礼拝堂。アンゼは祭壇の蝋燭台に火を灯し、午後の祈りを捧げた。両手を絡めて膝を折り、頭を垂れる。見上げる天使の絵画は、壁一面に描かれたものだ。石碑を削り込んで額縁の様に見せたものの間に、大天使、天使、後光、清らかなものが描かれている。それは塔の真上まで突き抜けんばかりに続く。散りばめられたステンドグラスは、よくある太陽光を背に受けて透ける構造ではないようで、壁に埋まっている。何の光を反射するのかは謎めいていた。それこそ天窓が開いて斜陽が降り注ぎでもすれば、美しかろうが、天井を見上げると、最果てはほの暗いのである。段差を器用に使って聖人たちが並び、祭壇に続く装飾も美しい内観。所々に罅が入っているあたり、この塔も年老いているのが解る。 教会を入ってすぐ、2本の大きな柱と長椅子の列、その間のバージンロードと、果てにある祭壇、パイプオルガン。そして扉から流れ込む花の香り―――― アンゼは、其処にいる。墓場の死者に、天使の加護がありますように。毎日欠かさず祈りを捧げていた。 変わらぬ、祈りの時間 「どーん!」 「きゃ…!」 身を屈めていたということもあり、まるで跳び箱でも飛ぶかの勢いでマリアに突っ込まれた。驚きながら預かった体重に潰され、床に手を付いて体を支える。振り返ると、マリアのぷにりと柔らかい頬が触れた。暖かい体温も伝わってくる。 「マリアさん…?びっくりしたわ、何処にいらしたの?」 「ふっふっふー!長椅子の間に隠れてたのよ!アンゼいつもお祈り?してるから、今日こそは驚かせようと思って!」 「まぁ…。いけませんわよ、悪戯は危ないですから。」 無邪気に絡んでくる少女を優しく注意をした後、そっと髪を撫でてやった。悪戯するためとはいえ、自分を待っていてくれることはとても嬉しい。アンゼはマリアの無邪気な笑みを見ているだけで心が温かくなっていった。ついでに背中から離れない少女をそのままにして、祭壇の前で膝をついている体制を維持する。 「ねーぇ?アンゼはどうしていつもお祈りをしているの?」 マリアは天使の壁画を見上げながらアンゼに問うた。絵を見上げつづけて、首がこれ以上持ち上がらないところまで持ち上がっても、真っ暗な天井の果ては見えない。アンゼもマリアの視線を追うように絵画を見上げる。 「………天使様のお手伝いを、しているんですよ。」 「お手伝い??」 「そうです。天使様のご加護が皆様に届くように、お祈りをしているんですのよ。」 「ふうん?」 マリアは一度アンゼを見下ろすと、再び絵画をなぞり上げ、天井の暗がりを見上げた。そのまま首を横に倒し、ぽつりと呟いた。 「天使ってどこにいるの?」 「あの絵の通り、空から降りていらっしゃいますわ。高いところから、…」 あの暗がりの天井を突き破って、光を差して いつか、きっと 「どーーーん!!」 「きゃ…!」 「ぎゃん!!」 マリアと話し込んでいると、第三の刺客に気付くことが出来なかった。これまた何処かに隠れていたアイリーンに突撃されて、アンゼは赤い絨毯の上に突伏してしまった。真ん中にマリアを挟んだ親子亀のようになり、一番上に乗り上げているアイリーンが愉快そうに笑った。 「わーい!やったー!」 「アイリーン!マリアまで巻き添えにしちゃだめよ!合図をするまでだめって言ったでしょ!」 「いたた…」 子供二人分の重量を持ち上げるほどに筋力の備えがないアンゼは二人が降りるのをひたすらに待つしかできない。にも関わらずきゃんきゃんと口論を始めるマリアとアイリーンは、次はどうやってアンゼにいたずらをするかの策を練りはじめていた。新しいおもちゃでどうやって遊ぶかを相談している図である。 「しょうがないわね!じゃぁ次はマリアがキッチンに隠れるわ!アイリーンはアンゼをキッチンに連れてくるのよ!」 「はーい!」 作戦の一部始終をアンゼが聞いているにも関わらず、マリアは作戦を決行するべくアンゼの上から降りた。アイリーンを指差しきつく言いつけると、てこてことキッチンの方へと駆けていく。アイリーンの元気な返事はまるで兵隊さんのようだった。背中が軽くなり、ようやく身を起こして顔を上げると、しゃがみこんでアンゼの顔を覗くアイリーンがいた。今にも罠にひっかけようという無邪気すぎる視線が可愛い。可愛いが、企みを知っているからこそ、アンゼは苦笑した。引っかかりにいかなければならないのだろうか…。それにしてもマリアがキッチンで何をしているのか、一縷の不安もあるが 「あ!」 暫しアンゼの顔を眺めていたアイリーンが、耳聡く足音を拾う。すぐさま立ち上がり、教会の扉の方へと駆けて行った。 「あー!ウェルウェルだー!」 足音の主はラルウェルのようだった。まだ床に座り込んだ侭だったアンゼは急いで立ち上がり、埃を払った。カソック、髪、袖、…慌てて治すと、アイリーンの後を追って開いたままの扉から顔を出す。いつもより到着が早いラルウェルと目を合わせ、一礼をした。朗らかに笑うラルウェルを見るに、先ほどまで床に伸びていたことには気付かれていないようだ。 「うふふ、今日はいつもよりお早いですわねラルウェル様」 「うん。ほら、だってフェスだから…はい、コレはアンゼさんに。」 フェスだから、… その一言だけで、こんなにも人の行動を変える。早く来てみたり、それから、 「まあ…ありがとうございます。ぜひ使わせて頂きますね。」 ラルウェルはハンドクリームを渡してくれた。両手を差し出して受け取る、表面のケースをなぞる。ローズの香りが記されており、それだけでとても嬉しかった。薔薇、とはとても高価なものだと思っている。美しくて気高いあの花の芳香が手元にあることに感動を覚えていた。それだけで高価なものだろうと思ってしまう。いつ使ったら良いのか…。細心の注意は払いながらアンゼはクリームを胸元に引き寄せた。贈り物とは、なんだかとても暖かい。 「…ん?先生はまだきてないのかな。」 感動もさながら話題が移ったことに瞠目し、顔を上げて答える。 「いつももう少し日が昇ってから来られておりますわ、今日はラルウェル様がお早かったものですから。」 いつも教会に来ているトゥルームはもう少し後だ。こんなに早くラルウェルが歩き回っていることも何だか不思議だった。いつも寝坊すけでマリアに急かされている印象もあるというのに。フェスだからなのか、彼女の家にまで行くというラルウェルの言葉、姿勢に少しだけ驚いたものの、彼の中にあるトゥルームに対する情愛なのか、友愛なのか、ーーーーそれが何であるのかは未だ知らずーーー を、少しだけ感じた。それは自分や周りの誰かに寄せるものよりも、少しだけ色が違う。 その意味を深堀することなく、アンゼはラルウェルから他の子たちの分のプレゼントを預かり、ラルウェルを見送った。丁寧に作りこまれたお菓子はこの後の時間でやってくる子供達に分け与える。ラルウェルからだよ、としっかりと告げると、嬉しそうに貰って食べ始める。 シルティナがやってきたのは、そんな朗らかな午後、昼時に差し掛かるくらいだった。いつも以上に機嫌も良さそうにやってきてはアルディオからのものも含めて渡してくれた。その後は、その後は、ーーーーー 変わる変わる、思いが届く。 手紙が、お菓子が、時にはもっと別のものがーーーー 宵も更け、子供たちが帰った後、アンゼはキッチンテーブルに貰ったものを並べた。 そして一つ一つ、丁寧に紐解いていく 吟味するたびに、これを渡してくれた人たちの笑顔が蘇る。 ![]() 暖かい… どうしてもっと早く、気づかなかったのかしら 私の周りはいつの間にか、こんなにも暖かいのだということ コツリと、靴音を鳴らし、アンゼはキッチンの戸を開ける。 礼拝堂まで続く、広い廊下。果てには祭壇が見えていた。 祭壇の向こうには、あの、絵画がある 天使様、 私は いつになったら 許されるのでしょう この手紙に込められた一つ一つの感謝に、信頼に、答えられる私には、いつ、なれるのでしょうか 手紙を握りしめながら、足先は礼拝堂へと向いていく。祭壇の前までやってくると、仄暗い天井を見上げて膝を突いた。カソックではない、真っ白な部屋着のワンピースのまま此処に座るなど、初めてだ。 「天使様、…」 「また、天使様なのぉ?」 静寂を破る甲高い声に驚き、振り向いた。そこには至極不機嫌そうなマリアが立っていた。 「マリアさん…?どうして此処に?」 「………キッチンに隠れてたのに、アンゼが探してくれないからよ!!!どれだけ待ったと思ってるの!おかげでイノシシ鍋だって食べ損ねちゃったわ!!」 アンゼは昼前のアイリーンとマリアの会話を思い出し、顔面が蒼白する。かくれんぼしている彼女を放任してラルウェルのお菓子を配り続けてしまっていたのだ。とんでもないことをしてしまったショックで声も出ず、口元を手のひらで覆った。アイリーンも、お菓子を食べたらそのまま帰ってしまっていたのだ。 「しかも相変わらず!天使ばっかり!」 「あ、…」 アンゼは返す言葉がなかった。口元を覆った手のひらを絡めて胸元に下ろすと、彼女にどう謝ればいいのかを考え始める。けれど、うまく頭が回らなかった。大層寂しかったにちがいない。マリアは頬を膨らませたまま、ずかずかと絨毯の上を進むと、天使の絵画を睨みつけた。じーっと穴が開くほどそれを眺めた後、腰に手を当ててアンゼの前に仁王立ちをしたのである。 ![]() ![]() ![]() ああ、そうだわ 自分で歩き出さなくては、 この子たちのもとに、行かなくちゃ 伝えたい。答えたい。もっと、… もっと、自分の言葉で、 内にいる、自分と話をしなければ… 歩き出さなければ、 アンゼは絵画を見上げた。 その、果て。 仄暗い天井を、見上げる 天使は降りてこない なら、光は 自分で掴まなければ 「………マリアさん、」 「なぁに?」 「ありがとうございます。お礼に、……一緒に、遊びましょう。」 「本当!?何して遊ぶの?!」 無邪気にはしゃぐマリアを見下ろし、その柔らかな髪をひと撫でする。アンゼは柔らかく微笑んで、天を仰いだ。マリアもその視線をたどり、仄暗い天井を眺める。 「………光探しを、しましょう。」 next. --------------------------- ツミキ様宅のアマーリアちゃん 菊野様宅のマンタイムさん いりこ様宅のラルウェルさん 翡翠様宅のアイリーンちゃん お名前のみトゥルームさんをお借りしました。 [mokuji] [しおりを挟む] |