![]() ![]() 仄暗い夕刻 雨が止まない。 アンゼはいつものように蝋燭の灯りを立てながら、そこにいた。 一人の老婆が花を持ってやってくる。 毎日 同じ十字の墓に花を生けにやってきていた。 花を生けた老婆はシスターの元へ向かう。 アンゼは静かに礼をした。 雨音がうるさい。けれど、慣れれば静寂も同じこと。 老婆は聞いた。 「……シスター、あなたはなぜ、毎日ここにいるのですか?」 蝋燭が照らす表情は橙に照らされて暗い。 アンゼは静かに答えた。 「……贖罪のために、此処におります。」 ![]() ![]() 公園で歌う道化師は、声高々に語り始めた。 真昼の午後、少しだけ雲が陰り始めた晴れの日は、こうした湿気臭い話がよく似合う。 道化師は人形を”娘”に見立てて抱き上げ、さも悲し気な表情を作り先を続ける。 「その娘に生まれつき課せられた”不運を懺悔すること”にございます。」 ”娘”の生まれは裕福で、世が世ならば中流貴族とでも申しますか、お城に奉公に出る家系にございました。代々、侍女となり仕える、そう、富に集る蟻の如く――――― 否、失礼。 高嶺の花に集る蝶の如く――――その蜜を搾取して、時には花粉を運ぶ蜂の様に、持ちつ持たれつ生き抜く術を先祖代々持っていた家柄にございました。 無論、見初められれば一発逆転、玉の輿ということも踏まえての事にございます。 この家の当主たる男の卑しさは、ご想像の限りお任せ致しますが、… 娘の稼ぎと嫁の稼ぎで遊ぶテイタラクとだけ申しておきましょう。 とはいえ、神のご厚意か、神の瞼の上に張り付いてでも生きているのか、… ――つまりは見えないところにいるのか、とでも言う意味にございまして、―― この当主、生まれる子供は”蝶の如く美しい”美形であり、――――― あらゆる采配に長け―――― そしてとても”念入り”な男にございました。 そしてある年に、そう、”娘”が生まれるのです。 その娘は例に漏れず美しく――――― あらゆる教養を与えられ… 後は歳が来れば侍女として差し出されるのを待つだけでした。 ところが、とある夕刻、当主と娘の下にやってきた魔女が言いました。 『その娘には、命を紡ぐ力がありません。』 娘は”生れついて”子供が産めない身体だったのです。 これを聞いた当主の激昂たるや凄まじく、 まるで糜爛婆の如く暴れまわった後、娘を森の奥にある”塔”に幽閉することに致しました。 その塔は樹木を付き抜ける程高く―――― そして弔いの花に囲まれており、―――― 背中に墓地を背負っています。 そしてそこには一人のシスターがおりました。 この時 5歳となっていた娘は何も知らず、”塔”へと連れられ そして当主――――父たる男は、娘に言いました。 「いいかいアンゼ、君は重い重い病気なんだよ。それは天使様の許しを得ることで治ることができるんだ。だからあの高い高い塔の中で死者への冥福を祈りなさい。天使の加護を導きなさい。誰もが持って生まれる尊い力を取り戻さなければならないのだよ」 君は、生まれ持っての呪われた存在なのだよ だから、―――――――天使様のお手伝いをして、その身体が治ったら、パパの処に戻っておいで… 悲しき哉、それはまるで姨捨山! 当主はその後、嫁を変え、今では”予定通り”好き放題の日々にございます。 そして月日は経ち、唯一の連れ添いであったシスターも老衰。 1人きりで塔に残った”娘”の生末は―――――――――」 「letters fes、ですか?」 子供の迎えにやってきた保護者がぽつりと話題を振った。それは毎年街で行われている感謝祭の様なもので、お世話になっている人に手紙を渡すような、行事らしい。その行事の存在を知ったのは此処最近で、教会運営を始めてからだった。例年、何かと忙しいのと、人との繋がりが希薄だったことを受けて、関わらない行事であった。けれど、今年はなんとなく、例年の忙しさもなく―――少しばかりの余裕があったことで、その行事にもアンテナが向いたのである。 大きな紙袋を持ってラルウェルが訪れたのは、ちょうどこんな会話の後だった。 教会で預かっている子供たちに特別なお菓子を振る舞おうとは思ったが、それ以外に何をしたらいいものだろう。曰く、プレゼントのようなものを渡すのも恒例であるようだ。ならば何かプレゼントと手紙とか、セットにした方が良いのだろうか。とはいえ、誰に渡せばよいものか…。預かっていた子供たちが帰った午後以降、悩みの種になっていた。 アンゼは一通りの仕事を終えた後、野菜を庭園から採集し、夕餉の支度に取り掛かる。野菜たっぷりのミネストローネを煮込みながら、釜でパンの焼き上がりを待つ。香ばしい香りが台所に揺蕩う間も、ぼんやりとフェスのことを考えていた。結論が出たようで、出ないようで、何だか優柔不断に迷い続けている。 「ラルウェル様と、…先生と、…マリアさんや、…お子さん達…。マンタイム様も、召し上がるかしら…?ルチル様も、」 あとは、…どうしたら良いだろう。 森に住む人々の顔を思い浮かべる。日ごろの感謝の意を込めて、贈っても良いものだろうか。迷惑ではないだろうか?もしも、些細な近所付き合いだけでも、手紙を送ることを許されるのならば、舞踏会や街で会ったことがある人々と係わることも許される…?例えば、ダンスに誘って下さった、眼鏡の殿方。労を労って、雪かきを只管にされていた警備兵の男性。それから、…それから? ふるふると首を揺すって、考えを一旦払いのけた。 「こんなに人との関わりを求めては…。何だか、はしたなくないかしら。」 随分と、欲張りになったものだと思う。人と触れ合う機会が増えてから、つい追いかけてしまいたくなることが多い。滅多にいくこともなかったウィンターパーティーもそうだ。教会を交流の場に変えた途端、人の温かさを知り始め、居心地の良さに寄り添ってしまう。 ぬくもりを知らなかった訳ではない。遠い記憶だが、家族はいたし、祖母も寄り添ってくれていた。一人きりになってからは、自分を見初める男もいたし、一緒にいた時間の中で満たされたものもあったが、それも亡くなってからは物足りない毎日だった。そんな時、知り合ったのは、 「こんにちはー、アンゼさんいるかなぁ?」 コンコンと、裏戸が叩かれる。手の甲、と呼ぶには些か鈍い音を響かせる特徴的な音は、それだけで誰かを特定させた。 「はい…?ラルウェル様ですか?どうぞ、開けてくださいまし。」 言いながら、とことこと靴音を鳴らして扉に向かう。開けてと言ってもなかなか開かない。首をかしげながら内側から戸を開けると、重たそうな紙袋を抱えたラルウェルがそこにいた。相変わらず愛嬌のある笑顔を振りまき、扉の隙間から体を中へと滑り込ませた。 「よいしょっと…あはは、こんにちはアンゼさん。今日は知り合いの人から沢山果物を貰ったからお裾分けに来たんだ」 「あら、…いつもありがとうございます。果物をくださるのは…アルディオ様?かしら。冬のフルーツは何が旬ですの?」 ラルウェルが入りやすいように途中から扉を蝶番の限界まで開いてやりながら、アンゼはふわりと笑った。あれこれとお裾分けをする仲だから、こうして何かを持ってくるのもいつものことだ。近所に住んでいるうさぎの青年を思い出し問うてみたが、今回は別の人間からだったらしい。袋の中には色鮮やかな林檎や苺が入っており、甘く爽やかな香りがする。冬の旬なのかは互いに知らぬところだったが、美味しそうな果実は個数的にも一人で平らげるには多すぎて、大人数に配る理由としては十分だった。 「甘くて美味しそうですわね、いいお色で…。フェスに向けて仕込みにしましょうかしら。」 赤い果実を眺めながら、アンゼはふわりと微笑んだ。受け取った袋をキッチンの机に下ろすために俯くと、長い睫毛が影を落とす。 「……あぁ、そうだもうフェスが近いもんねぇ。アンゼさんはお菓子を作るのかな?僕もそろそろちゃんと考えないとなぁ」 「そうですわね…、今年くらいは何か作ろうかと思いまして…。毎年、なんだかんだと参加しておりませんから…。」 アンゼは真っ赤な林檎を手に取り、鼻先に添えた。すっと香りを吸い込む。 それは禁忌の果実ではなく、毒林檎でもなく、純粋に、大地の息吹を吸い込んだ、甘酸っぱさを蓄えている。 さて、どうやって調理しよう…。アンゼは林檎の硬さを確かめながら考える。その横で顎に手を添えて考え込んでいるラルウェルがいた。 「おや、…」 ぽつりと、声がして、 アンゼは林檎を手にした侭、ラルウェルの向こう側を除くと、衛兵のマンタイムが裏戸から顔を出していた。本人の顔はよく見えないが、こちらの様子を伺っているようだ。 「マンタイム様?おかえりなさいませ…。お勤め御苦労様でした。お夕食前に帰ってこられるなんて、珍しいですわね?」 声がかかり、マンタイムも緊張がほぐれたようだった。外陰を腕にかけ、扉をくぐって中に入る。その様子に気づくと、考え込んでいたラルウェルも腕を解き愛想の良さを発揮してほがらかに笑った。 「また雨に降られそうだったので早引きを…。お取込み中でしたか?話を割ってしまったようで、申し訳ありません。」 「いえ、…とんでもございません。先にお食事になさいますか?湯が未だ、湧いておりませんし、…少しお待ち頂ければ、パンが焼き上がりますから。」 「あ、では食事から頂きます。準備ができる間に風呂釜にまきを組んできますから、風呂は任せて下さい。裏に確か、ありましたよね?」 「まぁ…。お優しいですのね!よろしくお願い致します。裏の釜のところですわ。」 マンタイムは帽子を軽く持ち上げて礼儀正しく礼をした後、裏戸から出て行った。宿無しの彼は、こうして教会に屋根を借りに来ている。なんだかんだと回数が増えて、いつものことのようになっていた。始めこそ毛布だけ貸していたけれど、奥の空き部屋に通したりするときもある。 「マンタイムも気が利くなぁ…。」 ほんわかと笑いながらラルウェルがぼやいた。さて、と気を取り直した様につぶやいた後、ラルウェルは扉を指差した。そろそろ夕食時、ともなればマリアを放任してはおけないのだ。 「また来るね、マリアが待ってるから今日はこのへんで帰るよ。レターズフェス、楽しみだね。」 意図せずに釘を刺された、…訳ではなく、天然な彼のことだから、心の底から楽しみにしているのだと分かる。アンゼも微笑みを返しラルウェルを見送った。 赤い林檎と苺で何を作ろう?アンゼはパンの釜を開けながら、楽しそうに考えていた。 next. [mokuji] [しおりを挟む] |