Lord・Herzog.






 





















「それにしても人が多いですね、ドリム家はよほどの名家らしいな」
「勿論です。加えて新年の祝いの会ですから、挨拶も兼ねて遠方からも居らしているのでしょう。」

 楽団の奏でるワルツが優雅な空間を演出する。新年始めのパーティーもそろそろ中盤に差し掛かり、参加する貴族の数も最大数に達していた。仮面を被り、取り繕った台詞を吐きながら微笑み合う貴族の群れから外れた隅で、マルスはジグと名乗る男と酒を飲んでいた。ジグは物腰柔らかく見目麗しいが、獣の匂いを纏っている不思議な男だ。彼の主人もパーティーに参加をしているらしく、この会場で会うのは二度目である。
「ここにいる方の顔と名前を覚えておけば、この国の貴族界隈を網羅したことになりますかね?」
 マルスはジグに尋ねた。ジグはマルスの髪と同じ色のシャンパンを掲げ、揺らぐ煌めきを嗜みながら「はい」と簡潔に答える。そのまま流暢な所作で鼻先を近づけ薫りを楽しみながら、「欠席者もいるでしょうけれど」と付け加えた。伏せられた長い睫毛が影を落としており、男女問わず視線を集めている。
「とはいえ、新年始めの顔合わせに参加をなさらない様では、その先も思いやられる……と、仰る方もおります。記憶に留める価値があるかどうかは、……さて」
 その先の判断を任せ、ジグはシャンパンを口に含んだ。気泡が喉奥で弾け、鼻腔を抜けていく甘さを堪能する。美味しい、と満足げに微笑み、マルスにも同じものを勧めてくれたが、マルスは首を横に振った。シャンパンゴールドの髪色を見て、シャンパンを送ってくる者が昔から多い。つまりはもう、飽きてしまっている。
「あちらのお嬢様方にどうぞ。先ほどから貴方を気にかけていらっしゃる」
 ジグは数度瞬いたあと振り返り、マルスが指す貴族令嬢らを確認した。そこには確かに、こちらに目を配る女がいたが、すぐに向き直り、口元を緩ませて首を振る。
「私ではなくて、スフォルツァ様の方では?」
「ん?」
 目を細めて耳打ちしてくるジグの言葉に、今度はこちらが瞠目する。やり返したジグの笑顔はいかにも余裕綽々で、今にもこちらの背を押し出しそうな勢いを感じるが、マルスにはその横槍を受けるつもりはない。丁重に酒を断る為だけの冗句のつもりが、面倒ごとにすり替わるのは本意ではないので、否定せずに喉奥で笑って受け流すことにした。その姿が余程、嫌味に映ったのか、ジグもこれ以上の陽動はせずにやれやれと肩を竦めてしまう。
「全く、執事と貴族を天秤に乗せるとは人が悪うございます。そういえば、スフォルツァ様の爵位をお伺いしておりませんでした。今後の身の振りに関わりますので、教えて頂いても宜しいですか?」
「それはまたの機会で宜しいかな?」
「は……?」
 ジグの申し出に間髪入れずに答えると、了承を得る前だというのにマルスは踏み出した。表情を隠すためにわざと右肩越しに振る。これも、程の悪い質問を回避するための処世術の一つだ。
「やはり、貴方に御用があるそうです。いつまでも私が側にいては邪魔になりますので、今日は此れで失礼します」
 遠のきながら紡いだ言葉が、どこまでジグに聞こえたかは解らない。しかし眼帯の裏に隠れた薄笑う口元だけは見えたようで、訝し気な表情が一瞬だけ見て取れた。文句の一つでも飛んでくるかと思ったが、それよりも早く貴族令嬢の黄色い声が上がる。ジグの苦笑いを遠巻きに聞きながら、マルスは応接間を後にした。

 パーティー用に開放していた応接間を抜けて玄関口に向かう途中、脇に設置されている受付に立ち寄った。受付簿には予め、たくさんの貴族の名前が書き出されており、出席者の頭文字にはレ点が振られる。マルスの偽名である「Cスフォルツァ」は、認知されていない為、男爵位の欄外に書き足してあった。
「Cスフォルツァ様、ですね。御帰り前に受付簿のご確認をとられるとは、誰かをお探しでしょうか?」
 出迎えから受付に立っていた執事に尋ねられたが、ほくそ笑むだけに留めて茶を濁した。詮索されるのは好きではないし、面倒事を回避する意味もあったが、それよりも優先すべき目的がある。

受付簿の下段を爪先でなぞった時、胸元に差した薔薇が揺れた。
 










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「もう、立つことができませんし、ご覧の通り家臣も身寄りもおりません、私は永くはありませんから、行く必要もないと思っておりました。ドリム家の皆さんには申し訳ありませんが、新年早々老い耄れの悲報なんぞ御免でしょうから……。」

 街と森の境に佇む屋敷には、誰も住んでいないと思っていた。貴族であれば誰でも身なりに気を配るように、自分の権威を汚すようなものは人目に晒さない。庭も、ポストも、何もかも、清潔に整えるのが習いの筈だった。故に、“此処”は既に無人なのだと思っていた。誰かの固定資産なのだと思っていたが、この家の当主は未だ存命で、ランプの油すら尽きた暗がりの中で椅子に揺れながら、天使の迎えを待っていた。

「天使様……、天使様、本当に、お迎えに来ていただけるとは思いませんでした……。礼拝は都度、済ませておくものですね。独りで世を彷徨う覚悟でございましたが、とても贅沢な最期となりました。」
 老人は毛布の下から細い足を伸ばして床に下ろすと、窓辺に佇むマルスの白い羽根を眺めて微笑んだ。天使に迎えられると思い、安堵したのか、やがて瞼を閉じていく。マルスは老人が眠りに着くまで、静かに見守っていた。月光を受けて煌めくシャンパンの髪と、白いレースのカーテンが揺れる。綿毛と共に風に運ばれる聖なる光粒が、まるで星屑のように瞬いては消えていった。



便利なものだと思った。
人の姿でも羽根だけを出すことができるが故に、天使と見紛われる。
だが、マルスは天使ではない
白き従属で、聖なる力も羽根も持っているけれど、死者を天に送り届ける役目ではない。
迎えの天使たちが降りてくる迄、こうやって見届けることしか出来ない。それでも当人たちからすれば、有難いことだという。
もし彼を迎えにくるのが悪魔だとしても、自分には払い退ける義務はない。知らぬが仏とは正にこれを言うのだろう。



「Lord・Herzog.眠りに着く前に、訂正をしなければならない。」

 マルスは凭れていた窓枠から背を離し、羽根を揺らしながら老人に近づく。こつりと靴音を鳴らし数歩の距離を詰めると、胸元に挿していた一輪の薔薇を取り出した。貴族集いのパーティーで、所在無く彷徨っていた未練の念が、この赤い薔薇に宿ったのだ。
「俺を此処に呼んだのは貴方だ。貴方の貴族としての気高さ、誇り、気概の強さだけは、あの会場に届いていた。それがこの証だ」
 差し出しても受け取ることが出来ない薔薇を老人の手にそっと持たせ、マルスは優しく微笑んだ。老人は力が入らない指先でそっと葉を握り、暫くして呼吸は途絶えていく。温かな呼吸を吐き出せなくなった代わりに、最期に一雫だけ、涙が頬を伝った。
「おやすみ、Marchese solitario(孤独な侯爵)。気高い人よ」



窓の外が騒がしい。
白き使いか、黒い使者か、ともあれ迎えが来る頃だ。
魂の行く末を見届けたら今夜は引き上げよう



 マルスは遺体から離れ、窓辺に戻ろうと踵を返した。しかし不意に、机の上に置かれた文を見つけ、それを開いてしまった。












数日後、
ドリム家のパーティー受付簿に、以下の名前が追記される
侯爵:C・Sforza・Di・Herzog





 没落手前の老人を口説き、その座にすり替わった養子ーーーーーそんな悪名が、真しやかに囁かれる。





fin.


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マルス侯爵になりましたの話。




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