Santa leone visitato.






 





 行楽の季節を終えて、街はいよいよ仲冬の頃、年の瀬に向けて蓄えを拵える平穏な日々が過ぎていく。
 それは何気ない宵の刻、また一人、この国に足を踏み入れる者がいた。


 日付を跨いだ丑三つ時、快晴の宵空に月とは異なる金輪が現れる。それは天満の様に瞬き美しく、しかし円の内に刻まれたのは月面の軌跡ではなく、古代の文様だった。遠い遠いその昔、神の国から使徒を呼ぶ為に描かれたその文様を、今では誰が知るものか−−−−、瞬き歯車の様に動く文様が組み合わさった時、その中心から産み出されたのは一人の男だった。
 シャンパンの様に眩く煌めいたゴールドの髪は鬣の様に柔らかく、尾の様にふわりと風に煽られる。頬まで隠れた黒革の眼帯に、他国を思わせる真っ白な騎士礼服を肩に掛け、貴族と変わらぬシャツやベストといった着こなしを包み隠していた。風に煽られ落下するその姿に焦りはなく、尾を引く聖なる光は流星の様に落ちていく。丁度良い風の流れを察すると、背から真っ白な羽を生み出し、一度だけ羽ばたいた。すると今度は、ふわりと体が浮かぶ。まばゆい聖を纏った天使にも見紛うその男は、縦割れの瞳孔で街を見下ろす。

「……さて、また随分と広い国に流れたもんだね。」

 空中をゆったりと散歩しながら、広がる景色を見ての感想は、広い、だった。
 地平線と、山の向こうまで続く広い敷地。階級と役割が分かれた地区の作り、所々に見つける教会……、消灯された街は、時刻を考えても寝静まっていて当たり前だ。“起きている街”はどんなものだろうと、興味が湧く。男は静まり返った繁華街の背の高い建物の屋上へと近づき、やがて着地した。猫が着地するようなしなやかな動作は軽やかで無駄がない。ふわりと飛んでは光の粒に変わる綿毛もろとも羽を仕舞い、どこにでもいる人間に等しい姿に変わると、屋上から飛び降りて再び地面に着地した。3階程度なら、跳躍の範囲だ。
 男が着地したのは、十字路の真ん中、静まり返った繁華街の大通り。前後左右に広がる仄暗い道の奥で、街頭がじじりと揺らめいていた。空から見下ろしていた地理を思い出せば、ある程度の状況は掴める。前進すれば、貧困街だ。治安が悪く、魔が巣食っているのだろう。見回りの夜勤の騎士たちの靴音が、何ブロックか先を歩いているのが微かに聞こえていた。
 僅かに鼻先を掠める魔の香り、それは右の路地から。うすらと霧が掛かっているように見えるのは、目の錯覚や自然現象ではなさそうだ。こちらの動向を暫し伺うように漂ったあと、路地の向こうへと消えていったその「霧」を見送ると、男は呼気を逃す様に笑う。



気分が乗らなかったのだろうか、面倒ごとを回避したのか、
追い掛けて嬲ってみようか
獅子とは戦う獣 それが白き従属だったとしても
一縷の好奇心を覚えてしまえば、猫が鼠を嬲るように、手グセの悪さが顔を出す
とはいえ、結局のところ断念する
抑えの効かぬ子供ではない




 向かうは左へ
 なんとなく、興味を引いたからだ



 貴族街へと通じる路地が連結する、石段が敷かれた大通りを行く。靴音を響かせながら徘徊する夜の街は静まり返っているが、治安がもともと良いのか、こんな時刻でも人影を見つけることができた。

 赤い髪をした細い影、時折こちらを意識する悪魔の視線、酒場から出てくる金髪のエルフたち……、寝静まった周囲を気遣って息を顰めながら帰路につくのだろう。何処にでもある風景が懐かしく、男は口元を緩めた。魔も聖も混在する国なのだと分かると、毎回思うのはその国の神の所在で、父の教えを全うする教徒たちを見回りたくなる。ちまたの天使の様な管理職ではなく、自分は従属で、たった一人の主人に絶対の服従をする“聖獣”であるから、本来であれば余計な世話でしかないのだが、神の意志の下で主人を求める者として、やはり回避は出来なかった。


 教会といえば、確か





***



「こちらはアンティフォナ女子修道院です。申し訳ございませんが、男性の出入りを禁じております。」


 街の外れの修道院を訪れると、こんな時間だというのにシスターが出迎えてくれた。柵の向こうではあったが、気品漂う声色としとやかな物腰が印象に残る淑女である。

「女子修道院か、それは失礼したね。うっかり足を踏み入れようものなら父の逆鱗に触れそうだ。」

 隻眼の瞼を細め、口元に笑みを乗せて軽口を叩く。ハーブの香りが鼻先を掠めるのが少々キツかったが、それも含めて自分を阻む為の神の御意志と受け取り、徐に持ち上げた指先で鼻先を擽った。少しだけ視線を外した隙をつくように、シスターの視線が己の容貌をなぞる。毛色の珍しさ、首から下げる十字、漏れ出す毒物の様に強烈な、聖。

「……もしかして、天使様でいらっしゃいますか?」

 シスターは男の顔を覗き込む様にして、訪ねた。黒革に隠れた横顔では、男の表情が読み取れない。「ん?」と疑問符を打って顔を向けてみたものの、男は僅かに目を見開いたくらいで、真偽は問えそうにない。

「そう仰って頂けるのは光栄ですがね、生憎のところ違う。」
「では……神父様ですか?」
「……しがない流れ者とだけご記憶下さい」

 男は少しだけ口元を綻ばせて受け答えた。なんだか尋問されているようで面白かったからだ。女子禁制の修道院とはいえ、使徒たる男が拒まれというのは新鮮だ。真面目に応対してくれるシスターの真面目さも相まって、笑がこみ上げたが、深夜に起こしておいて笑倒すのでは申し訳が立たず、男は口元を撫でながら目を細め、彼女を見下ろす。

「……今宵は起こしてしまって申し訳ありませんでした、シスター。これで私は帰りますので、どうかお休みになって下さい。」

 ふわりと微笑みを添えて、男は踵を返した。もうすぐ明け方、これでは朝が来てしまう。これ以上こちらの楽しみの為に彼女の睡眠時間を奪う訳にはいかない。シスターは少しだけ申し訳なさそうな表情を浮かべた後、一礼を添えた。

「右手に見える聖堂は、男性も受け入れております……。夕刻までにお越しくだされば、ご案内できますので、宜しければまたいらしてください。申し遅れました、私はアン・スースと申します……良ければお名前を頂戴できますでしょうか?」

 次回があるなら、スムーズに案内できるように。シスター・アンは顔を上げ、男にじっと視線を注ぐ。男は少しだけ渋った後、「軍神の名前を知っていますか?」と切り返した。

「……諸説、」

 シスター・アンは記憶を手繰り寄せる。口元に指先を添えて悩み始め、豊富な知識の中、どれが正解かを考えていた。真剣に考え始める彼女を余所に、男は一礼をした後、勝手に踏み出して行く。
「あ、」
 気づけば遠退く背中に、シスター・アンは少し慌て柵を掴み、身を乗り出したまま、

「Sir Mars !」


 淑やかながらに張り上げた声が冷たい外気に響く。男は振り向くことも歩みを止めることもなかったが、ポケットに収めていた左手を持ち上げて、ひらりと揺らしたのだった。





fin
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