day by day






 






獣の姿から人に変わる

この1時間だけが有意義に過ごせれば良い


古城の奥で、カラカラと金具の音が響いている。細く拙いその音は物悲しい鳴声の様だった。

男は深夜になると、3階の奥の広間から2階の図書倉庫に向い、往復して戻って来る。単純な話、人になると指が器用に使えるようになるから、1時間だけの娯楽に本を読んでいた。毎晩その行き来だけを繰り返しており、男の進路を先回りするように橙の灯籠が付いては消える。

人の姿になると身体が軽い。抱えた本の方が重たく感じるくらいに軽く感じる。この時間は開放的な気分になれるから好きだ。意味も無く機嫌が良いし、穏やかな自分で居られる。この時間だけは人との接触も悪くない。好んで交流を取ろうとは思わないが、来客を無下にしようとも思わない。

3階の部屋は以前にやらかした所為で、損傷が激しい。窓も割れているし、カーテンも避けてしまった。それでも始めてこの街で意識を返したのがこの部屋だったから、中々出て行く気も起きない。臆病で穴蔵から出れない小動物でも在るまいしと他の部屋を選べばもう少し快適にもなるだろうけれど、何となく他より居心地が良いのは確かだ。

誰もいない古城。暗い森の向こうに広がる街並は星屑を零した様に煌めいていつまでも輝いて見えた。

自分は一生、此処に居るのだろうか。醜い獣の姿を以て。なぜ、獣の姿をしているのだろう。硝子ケースの薔薇は一枚一枚花びらを落として行く。1日1枚、落ちて行く花びら。数えてみると、8月の半ばには恐らくすべてがなくなってしまう。差して意味もないことだと言い聞かせるが、何となく落ち着けない。自分を追い込む様に赤く咲き力無く衰弱する薔薇。触れれば拒むように棘を纏うエゴイストの性質。まるで貴婦人の様だ。


「貴婦人か、…」


ポツリと、金具の男はぼやいた。この城にいると、女というものに全く出会うことがない。高飛車な女なぞ尚更、全く会う機会がないのだ。遠い昔、散々女遊びをしていた記憶がある。今の自分では考えられない程、毎晩誰かが部屋に来ていたが、それも遠い昔の記憶だ。記憶なのか、夢なのか、今では判別が付かない。ともあれ、暇を持て余しているのは確かだ。女の代わりが古書で済むとは我ながら大人しくなったものだと思う。しかし他に遊ぼうとしても人の姿は1時間しかない。その時間内で物事をどうにかしようというのも諦めが付く話だ。時間はのんびり有効に使うもので、急ぐのは好きじゃない。まして娯楽ならば尚更。

時計の振り子がコツコツと左右に揺れて音を刻む。あと40分で獣に戻る時が来る。男はソファに腰を掛けて、古書を開いた。
こんな毎日も悪かない。そう思っていた。

「でっかいの!!今日も来たぞ!!今日はどんな本を読むんだ!?」

ほんの数日後には、小さな鳥に懐かれていた。

この鳥は面白いことに、少女の姿にも変わることが出来るそうで、遊びに来るときは好んで人の姿をとる。少女が来ると賑やかで、甲高い声が部屋中に響き渡る。金具の男はこの少女が来ると解っている夜には、絵本を一枚用意して待つことにしていた。散々な惨状である部屋のソファに腰を掛け、頬杖を付いて少女を待っている姿は、違和感しか無いのだけれど。

少女はぱたぱたと無邪気な足音を鳴らしながら男の膝の間に腰を下ろし、脚を揺らして机に置いてある絵本を手にした。

「むかしむかし、あるところに!」

少女は明るい声で絵本を読み始めた。金具の男は読んでやる訳でもなく本を持っててやる訳でもなく、少女が読むのを聴いているだけだ。少女が読み間違えそうになると、声を出して一緒に読み進めたりするが、それ以外は黙っていた。

「そうか!この本は可哀想なお姫様の話だ!でもなんでこうなるんだ?」

少女が読み終えると、今度はディスカッションの時間になる。「何でだろうな?退屈なんじゃないか?」とか、「何でだか考えてみろ、」とか、男は答えを言わない。少女が只管考えたり困ったりするのを聴いて、眺めて、そんな時間を過ごしていた。それでも少女は楽しいと笑ってくれていた。

時計を眺める。あと10分で時間になる。獣になる時刻を告げる忌々しい長針が角度を狭めている。

「時間だ」

「うん!もう帰らないと駄目なんだもんな!じゃぁまた来る!明日はとーさんと遊びに行くから、あさってに遊びに来るぞ!」

「そうか」

少女は嬉しそうに両手を振り、ベランダから飛び立って行った。その姿を見送ってやった後、ふと城の門に視線を落す。以前、壊された門はその侭になっていた。兎耳の女が蹴破った門は微妙に傾いていて、さらに開き難そうに見えた。いつかまた此処に来ると行っていた彼女は、随分日にちを置いたがやってこない。気が向いたら、と言っていたから、気が向かないから来ないのだろう。その気紛れが現実になるのかならないのかは解らないが、不確かな事に気を配っても仕方も無い故に、労力は取って置く事にして門は放たらかした。

時計の鉦が鳴る。

ヒトの姿から獣の姿へと変わって行った。視野が微妙に広くなる。その変化がとても気持ち悪い。毎夜の事とはいえ、好きにななれなかった。本を片付け、獣はベットへと戻って行く。巨躯を横たえて、眠りについた。早く時が過ぎれば良いと思った

「お前なんか、全然、”怖く無い”!!!」

「そうか、なら喰ってやろうか?」

「く、………”喰ってもいい”!!!」

「そうか、解った」

虚勢を張る子供を掴まえたのが次の夜。

この子供は庭で遊んでいたらしく、運悪くも獣と遭遇してしまった。事もあろうに獣に向って木の実を投げて来たこの勇者の首根っこを掴んで鼻先を近づけてやり、度胸試しに付き合って頭からかぶりついてやった。子供は断末魔の様な叫び声を上げて大泣きを始めた。その声があまりにも五月蝿くて口を離し、腕が伸びる限り遠ざけると、脚をばたつかせて暴れ始めた。

「うわああああああ!!!”食べられたい!!”早く”離さないで”ー!」

ぐしゃぐしゃにに顔を歪めて泣き叫ぶ子供の声に耐え兼ねて、「うるさい!」と怒鳴った。途端に竦み上がった子供は針金みたいに固まった。改めて鼻先を近づけて睨みつけてやると、怖じ気づいて震えているのが解った。グルル、と喉を鳴らして威嚇を混ぜ乍ら告げる

「お前が生きたいのか死にたいのかは解らんが、生きたいならあの門を直して来い。そうしたらそのまま逃がしてやる」

そう言って子供を離してやった。

30分後に元の場所に戻って来ると、子供の姿はなかった。

門は錆を綺麗に削り落としてあって、子供なりの知恵を絞って門をどうにかしようとした後が見て取れる。門を押すと、以前よりも軽やかに開くことが出来た。これでもう蹴破られる事はないだろう。

次の夜

あの少女は来なかった

読ませる筈の絵本を机の上に置いて、ソファに座って待ちぼうけした。

変わりにやってきたのは、緑色の肌をした男だった。玄関にぶら下がっていた蜘蛛の巣塗れのベルを几帳面にも鳴らして門の外で待っていたので、あの子供が直した門を隔てて対面した。

「庭に生えている山菜を取りたいんだが」

用件はシンプルだった

「好きに取れ。今後は許可もいらん。勝手に入って良い。」

短いやりとりを終えて、緑色の肌をした男は籠一杯になるまで山菜を採った。すまない、と軽く会釈をして去って行く間際、思い出した様に振り返る

「お前がデゥケーンか?」

「そうだが」

「ノットが色々とやらかしたらしいな」

「…………………………」

「兎の耳をつけたうるさいのだ」

「嗚呼、」

「忘れていたのか」

「………… 一昨日まで覚えていたが」

「まぁ、大分こっちには来てないみたいだからな。気が向けばまた来るだろう。その時に名前を覚えてないと、またうるさいぞ。」

緑色の肌をした男は最期にアドバイスを残して去って行った。

確かに、あの夜の勢いを思い出すと、面倒なことにはなりそうだ。肝に銘じておく事にした。

とはいえ、もともと誰かを名前で呼ぶことがない。あの鳥の少女ですら、名前は知っているが、呼んだ事はほぼなかった。オイ、や なぁ、等呼びかけで済んでしまうから。しかしまぁ、名前を覚えていて敢えて呼ばないのと、忘れているのではまた違うということだ。男は踵を返して城に戻って行く。今まで出会った者たちの顔を頭の中に浮かべて、名前と顔の一致を計りながら





明日はまた、知らぬ誰かがこの城にやってくるのだろうか。

男は一度だけ振り返り、閉じられた門を眺めたのだった。








fin.








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