無邪気の底。






 





翌々日

緑色の肌をした男と知り合った翌宵の、いつもと同じ時間に少女はやってきた。いつもと何も変わらない甲高い声と楽し気な話題を引っ提げて、テラスに着地を靴音を鳴らした。金具の男を探して部屋の中へと入ってきた姿は、小鳥によく似ている。


「でっかいの!!今日も来たぞ!!今日の本はなんだ!?」


鳥の少女の弾ける果実の様な声色が響く。飛び跳ね乍ら部屋の奥へ向っていくと金具の男は人の姿でベットに横になり、本を読んでいた。その姿を見つけた瞬間、鳥の少女は立ち止まり、少し距離をとったところで縮こまってしまった。以前、本を読んでいる最中の男に何の遠慮もなく抱き付いて構えと迫ったところ、とんでもなく怒られたからだ。その日に学んだことは、「本を読んでいる時は干渉しない」ということ。つまり、今は干渉してはならない時間に相当しているから、鳥の少女は一気にテンションを下げてしまった。露骨に顔を歪めて柳眉を下げ、大きな瞼を持ち上げて男を見上げている。

少女からすれば、

いつもと同じ時間に部屋に来た。この時間ならば遊んでくれるのは知っている。もちろん今日は約束はしていないけれど、いつもこの時間ならば彼は構ってくれるのを知っているから楽しみにして来たんだ。ここに来れば、あのソファに腰を下ろして本を用意して待っていてくれるはずなのに。それが当たり前の風景だと思っていたから、自分を拒絶するように分厚い本を眺めている男の姿が信じられなかった。なんで、どうして、?子供ながらに疑問を抱きながら手元で指を弄って時間を無駄に浪費する。やがて少女はおずおずと小幅で距離を削り始めた。男が寝転がるすぐそばまで行き、ベットに上がってスプリングの跳ね返りを楽しみながら近づいた。手が届くところに少女が座っても、男は反応をしなかった。


「来たぞ!!!」


少女は男の耳元で大きな声を出した。男のとがった耳が一瞬ピンと伸びてまた定位置に戻る。口を尖らせながら次には本と男の顔の間に自分の顔を突っ込んだ。上体を男の腕の上に乗り出して無理やり視界に入る作戦だ。そこまでするとやっと男は手を止めて少女と目を合わせた。少女は相手をしてもらえると思ったのか、途端にひまわりの様に明るい笑顔となる。そのまま男の腕の上に乗り上げ、寝そべっている胸の上に這い上がり、顔を合わせた

「今日は何して遊ぶ!?」

犬の類ならば尾をぶんぶん振り回していそうだ。しかし、人懐っこく愛情を求めてくる少女とは対照的に、男は無表情の侭沈黙していた。じっと垂れがちな瞼を向けるだけで答える気はない。しかし少女にはそのあたりは計り知れることではないようで、ずっと男の上から退く気配もなかったものだから、男は仕方なさそうに短息付いた。


「………昨日は、なぜ来なかったんだ?」


男は少女に尋ねた。

昨日は約束の日だった。一昨日は父親と遊ぶから来れないとは聞いていたから良いとしても、約束が違う。そう責め立てると、少女はきょとんと大きな目を丸くした後、思い出した!と声を上げて満面の笑みを浮かべた


「あのな!七夕だったんだ!!」

少女の言い方から、それはとてもとても嬉しいものなのだとは解った。けれど、たなばたなんていうものは聴いたことがない。男は片眉を持上げるだけに留まり、続きを促した

「たなばたは、願いが叶う日なんだ!街の皆でやったんだぞ!とーさんと一緒にお願い事を木に吊るしたんだ!いっぱいお願いしたから、いっぱいお願いごとが叶うぞ!でっかいののことも書いたんだっ!もっといっぱい遊んでもらえますようにって!字は、とーさ…」

男は長く広い掌を拡げて少女の顔を鷲掴んだ。少女の嬉々とした思い出話から必要な部分だけ吸い上げた結果、これ以上は聴いても利益がないと見たからだ。あまりにも打算的に取捨選択をして少女の口を塞ぐと、少女は再びきょとりとして大きな瞼を男に向けた。騒ぎ立てるかと思いきや、少女はこういう時には大人しくなるらしい。

「……………………決めつけてる訳じゃないが、話を先読みして問うぞ。
 つまりはタナバタとやらがあるから私との約束を反故にしたんだな?」

「……………さいしょはこっちに来ようと想ったんだ。でもいきなり知ったから、そっちが先になった。あとででっかいののところにも、お願い事叶う紙を持ってこようと思ったんだけど、時間が過ぎちゃったから来れなかったんだ……」

「それは約束を破ったということだ。」

「……………約束やぶってない。」

「何故?」

「………………わざとじゃないからだ!」

「わざとじゃなくても私はすっぽかされた。約束破りに変わり無いな」

少女はだんまりした。男の手が離れてもう自由の身になっているにしても、動くことなく其処に居た。やがて拗ねた様な顔になり、口を尖らせ、大きな眼があちこちに揺れた後、泣きそうな顔になった。眼に見えてしょぼくれていても男は無機質な瞼を黙って向けていた。やがて静かに口にした

「もう遊ばない。」

少女はみるみるうちに涙を溜めて唇を歪めて震え始める。その言葉だけ告げると、男は本を抱え直し、少女と自分の顔の間に差し込んだ。強制的に自分の視野から少女を排除すると、身体の上に乗った重さだけで存在を知ることになる。本の向こう側で少女がどんな顔をしているか等は見なくても解る。真さに爆秒読み段階で、嗚咽を垂れ流していた。コツ、コツ、と秒針が何度か足音を鳴らした途端、少女は両手を付き出して男の持っていた本を押しやった。男の顔に黴臭い本が押し付けられることとなり「ふぐ、」と妙な声を漏らす。力の強さも相まってあわや窒息するかと思いきや、男の身体を本事シーツに縫い付けた後は少女は手を引いた。本を退かして迷惑千万だと伝わるように表情をこれでもかと歪めてみせると、少女は蛇口の様に涙を零していた

「いやだ!!!たなばたにお願いしたんだ!!いっぱい遊んでくれなくちゃだめだ!!」

「駄目だの意味が解らんな。義務じゃない。」

「ひこぼしとおりひめがお願いを叶えてくれたんだぞ!みんなの願いが叶うんだ!誰かのだけ叶わないなんてことが有ったら駄目だ!!僕だけじゃなくて他のひとの願いも叶わないかもしれないじゃんか!!」

「そうだな、そんな気紛れに願いを叶う叶えないを決められているんじゃ、タナバタとやらも意味が無いんじゃないか?」

「皆で幸せになったんだ!」

「約束破りの願いは叶わないんじゃないのか?」

「う、ぅうう、ぃ……やあぁらぁ、…っ!」

とうとうストッパーすらも外れて大洪水になった。少女は声を上げてわんわん泣いた。自分の願いは叶わないのだろうか。父のこと、友達のこと、いっぱいお願いしたのに。近靖はお願い事は届けられたって言っていたのに。自分の願いだけが叶わないのだろうか?他の誰かの願いも叶わないのだろうか?あんなものは迷信なのか?信じていたものがぱらぱらと崩れて行くのが怖くて悲しくてひたすら泣いた

「時間だな。今日はもう帰れ」

そんな少女に関与することなく、男は事務的につっぱねてしまった。















その翌日 同時刻
今宵は男の方が、ありもしない約束を期待して待っていた。少女が来る日と同じようにソファに腰を下ろし、机の上に一枚の絵本を置いて。
少女が来るかは解らない。昨日は大分泣かしてしまったから、もう此処には着たく無いと言われても仕方が無い話だ。けれど、今日は待っていたい気分だった。待たねばならないし、少女は来なければならないと思う。どっしりと構えて待つ事数分、ベランダで物音がした。カーテンの裏側から、少女がおそるおそる顔を出したのが見えた。
男は少女を見つけると、じっと視線を注いだ。それだけでこちらから動く気配はまるでない。少女も大きな瞼を向けてくるが、その視線も机の上の絵本に注がれて、暫くは固まった。縋るようにぎゅうとカーテンを掴み、男に視線を戻す。男は組んでいた膝を解いて浅く腰をかけ直した。少女がいつも本を読んでいる時の体勢になると、少女も意を決してぱたぱたと早足で男のもとにやってきた。そして膝の間に腰を下ろして、絵本を手に取った。

「狼少年…。」

少女はいつも通り、声を出して絵本を読み始めた。いつもと変わらない明るい声色だったが、昨日のことを引きずっているのが眼に見えて解るしょぼくれ具合で、読む声にも力がこもっていない。読んでいる内に、絵本の主人公が嘘つきだと解ると、言葉を詰まらせる場面もあった。時折男の顔色を伺ったりしながらも少女は絵本を読み終えて、ぱたりと本を閉じた。膝の上にその本を置いて、表紙を眺めている。

「約束破りとは裏切り者のことだ。
 私は裏切り者が好きじゃない」

男は少女の背中にそっと語りかけてやった。すると少女はまた鼻をスンと啜り始める。ふるふると震え始める少女の頭にポンと掌を乗せて撫でてやると、小さな声で「ごめんなさい…」と聴こえて来た。小さいながらも精一杯の謝罪の声は嗚咽に飲まれてその後には出て来れなかったが、男の耳にはしっかりと残った。やがて男は静かに告げた

「信じてくれたヒトを裏切るんじゃない。」



少女は泣いていた。
ずっとずっと泣いて、 やがて約束の時間が過ぎてしまっても泣いていた





男は少女が泣いている間は黙って頭を撫でてやった
獣に戻ってからも少女を追い返したりはしなかった。


fin.






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