新緑の訪れ






 





 年々残暑が厳しいという。市街地の夏は尾を引く暑さで、陽が傾いても影が道路に焼き付きそうなのだと言っていた。馬の力を借りればさほどの距離もないはずの街とデュケーンの城のある一帯とでは随分と気温に差が出るようで、それは単に山の上に城を構えているからだという理由で片付けられないほどである。ここは常冬の城であるのだ。
 ところが今年は違った。冷夏の範疇を超えて暑い。それも蝉が鳴くほど。さらに夏の終わりを告げるヒグラシが、毎日夕日を呼びつけるように延々と鳴くのだった。デュケーンは初め、その虫が何の為に鳴いているのか分からなかった。

「交尾の為に、相手を招いているのです。蝉たちも華々しく散りたいのでしょう」
 テラスで紅茶を飲んでいると、甘やかな声が響いた。続いて風が運ぶ薔薇の芳香と、遅れてやってくる真っ紅な女――オーレリーである。彼女は一年前に届けられた「薔薇」であった。
「虫の求愛行動ということか。こうも喚かれては堪らんな」
 デュケーンはカップをソーサーに戻した。オーレリーはそっとポットを傾け、カップに継ぎ足し始める。彼女自身の分は、用意しようとしなかった。初めからカップが一つ足りなかった。彼女は慎ましく背筋を伸ばし起立したまま『咲いていた』。
「して、華々しく散るとは?」
「そのままの意味です。蝉は生涯を土の中で過ごします。死ぬ間際に陽の下で翼を得て、愛するもののところへ飛び立つのです」
「本懐を遂げたらどうなる?」
「事切れるのです」
 ヒグラシの鳴き声だけが間を紡ぐように響く。その声が空しい咆吼のように感じられた。そうかとデュケーンは頷き、継ぎ足された紅茶を飲んだ。苦味が一層強い。もうポットは空になっているのだろう。
「王よ、貴方は本懐を遂げようとは為さらないのですか」
 オーレリーの口調は淡々としている。声色だけとれば甘く、鳴かせてみればそれは耳心地の良いものだろうと思ってはいた。だがこうして藪から棒に不躾なことを、姑ように言ったりするので、デュケーンはその気を無くしていた。
「お前は口を開けばそればかりだな。私を焚き付けたがるのはお前自身がとっとと散りたいからではないのか」
 オーレリーは黙り込む。
「私が真実の愛とやらを見つけると、お前は散れるんだったな? なんの因果か知らんが、私は薔薇の願いを叶えてやるために薔薇を買った訳ではない。急かされてどうにかする問題でもない」
「ですが、もう一年も経ちます」
 オーレリーがやってきてもうすぐ丸一年になる。その間、デュケーンの城を訪れたのは旧友ばかりだった。一夜限りで遊んだ女は複数人いたが、二度三度と思う女はいない。見かねたオーレリーが縁談を複数持ってきたこともあるが、デュケーンはその場で破棄した。そのときだけはオーレリーも眉をつり上げて膨れていた。
「不真面目では困ります」
 暫くぶりに声を張り上げたと思えば、オーレリーの生真面目な発言はデュケーンを笑いに誘った。吹き出しそうになった口許を押さえる。

 恋愛に不真面目とは何を指すのだろう。一夜の付き合いを恋愛にカテゴライズされても困る。そこから発展する何かがあるのは分かるが、誰でも良い時だってあるのだ。
 
 これについては一度だけオーレリーに説明してやったことがあるが、首を縦には振らなかった。そして今も、あのときの剣幕と同等の怒りを感じる。オーレリーはヒステリックを持っているらしく、普段は何百年も息を潜める火山のように耐え忍んでいるが、一度火が付くと大噴火を起こすのだ。やや噴火の前兆を察したデュケーンは、眉間に皺を刻みため息をついた。先手を打たねば面倒なことになる。
「分かった、では闇雲に女と寝ることは止めよう」
 出鼻をくじかれたオーレリーは目を見開いた。真っ赤な瞼と縁取られたアイラインがキレイなアーチを作る。デュケーンは立ち上がり、オーレリーを見下ろした。橙の夕陽が黒い影を落としている。
「その代わり、お前が私の世話をしろ。お前で満足できるなら、他の女をわざわざ漁る事も無い」
 オーレリーの真っ赤な瞼がさらに見開かれた。何か言いかけて、けれども言葉を紡げない。デュケーンはその口許を顎ごと掴み引き寄せた。ぐっと互いの顔が近くなる。デュケーンの高い鼻梁が触れそうなほど。
 オーレリーの瞼は揺れていた。生娘のように思えた。
「困ります、」
 拒絶の中に一縷のためらいを見つけた。
「何が困る?」
「私は薔薇、そのような行為は不要なのです」
「お前にとって必要な行為にはならないのか?」
 真っ赤な唇が引き結ばれた。逸れる瞼を射貫きたい。
この花の本心をむき出してやったら何が出てくるだろうか?


 この引き結ばれた唇から割り込み掘り出すか


 ぐっと女の顎を引き上げると高い鼻梁が交差する。





そのとき

「ごめんください」

 下の方から、声がした。か細い割に響く音の波紋。二人はテラスから玄関口を見下ろす。すると、風にそよぐ新緑のような、煌めく髪が揺れていた。わめき散らした蝉は彼女の足音すらもかき消していたようだ。

「どちら様ですか?」
 すぐにオーレリーが問いを投げた。まるで救済を求めるかのように。かといってデュケーンの手が彼女を離すことはなかった。その男の手の位置など気づく筈もなく、新緑の女は二人の声のする方を見上げた。
「こんにちわ。みちに まよって しまいました。おなかもすいて、もう歩けないくて。お空もくらくなってきました。おしろに入れてくださいな」

 小花のように可憐で柔らかな声色と、綿毛のようにふわりととろけた微笑みは、摘まれることを知らない無垢さを持った若芽に似ていた。




[ 9/14 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]

















人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -