『TO Cielo・Duquesne ご機嫌よう 大分お久しぶりの手紙になりましたこと、心よりお詫び申し上げます。 本当はもっと早く返信を綴りたかったのですが、何分世間は忙しく、私もまた世間の歯車である訳ですから、忙しかったというわけです。決して忘れていたわけではありません。貴方様のことを忘れたことは一日たりともございませんでしたし、今も心配でならないのです。それというのも、貴方様が昨年の8月15日に私に送ったお便りが、何と申しますか、不穏で、私はびっくり箱でも開けたような気持ちになりまして。つまりは想定し得ない内容だったものですから、どうお返ししたらよいものか迷ってしまい、とはいえこれは一大事と思ってはおりまして、何か早くお返しをしなければと思ってはいたのですが、矢張り私は世間の歯車でございまして、私が他に意識を向けることを良しとしない誰かがいた訳です。そんな訳で、この師走にようやく筆を取ることが出来ました。 さて、本題に入りまして 一年の空白を取り戻す為に足掻き苦しむ一年は如何なものでしたでしょうか。 もう手紙の内容も覚えていないでしょうか? 私がこの文でお伝えしたいことは、この手紙と共にご注文の品をお送りしたことです。一年半越しのご注文ですが、どうかご確認下さい。 どうにも薔薇というのは気難しく、苗のうちにお送りするのは断念致しましたが、育ち切った薔薇の世話というのもまた遣り甲斐があると思います。何といっても薔薇というのはまるで貴婦人のようで、機嫌を取るのが難しいものですから。 それでは From (BLANK) 』 追伸: デゥケーンは追伸より先を読み飛ばし、手紙を机に放ってソファの背もたれに沈んだ。そして応接室の扉の前できちんと起立する女を頭の先からつま先まで眺め、「薔薇はどうした?」と尋ねた。 「わたくしが薔薇でございます」 女は真っ赤なドレスを摘まみ上げて一礼した。長い睫毛が影を落とし、端正な鼻梁の線が映える。顔を上げると、紅玉を嵌めたかのような真っ赤な瞼がデゥケーンを捉えた。纏めた長い髪も艶めいており、何処をとっても「真紅」な女だった。 「紅い薔薇か?」 「如何にも」 「最近の薔薇は喋るのか?」 「何故、わたくしが喋るのかは分かりかねます。私には記憶が無いのです」 デゥケーンは眉を潜めた。 「記憶が無いとはどういうことだ?」 「記憶が無いということです」 「どこで生まれた?」 「わかりません」 「なぜここきた?」 「送られたからです」 デゥケーンは瞼を閉じ、数拍置いてまた開いた。 「自主的に来たわけでは無かろうが、私の下に送られることを了承したのは君ではないのか?」 「いいえ、わたくしが所望しました」 デゥケーンは益々、眉を潜めた。赤い薔薇は凛とそこに立っている。 「わたくしは、貴方の下にいなければならないのです」 何と返していいかわからなかった。 「……まるで運命に呼ばれたとでも言いたげだな。昔話によくある話だ」 そう端的に告げた後、ソファから腰を上げて薔薇の下へと歩を進めた。女の背は飾りを含めてもデゥケーンの鎖骨に掛かる程しか無い。右手を持ち上げて頬を撫でてやるには丁度良かった。 「この街ではよくある話でもある、記憶を無くした連中は多い。私も2年前まではそうだった。そのうち思い出すこともあるだろう。」 親指の腹で女の瞼を撫でてやった。 「……まずは名を聞こう。その後は覚えていることを、聞いてやってもいい。時間が必要ならくれてやる」 薔薇は紅玉を嵌めたような瞼にデゥケーンを映す。瞼の際を爪先が辿っても瞬き一つしなかった。 「……わたくしはオーレリー。わたくしは散りたいのです」 「……私は育てる為に薔薇を買ったはずだ」 「ですが、散りたいのです」 オーレリーの頬に影が落ちる。やがて柔らかな頬が胸板に触れ、屈強な背に手のひらが回った。うすらと馨る薔薇の艶美さに触れ、次には真っ赤な唇を迎えたくなる。 「わたくしは、真実の下で散りたいのです」 その後の言葉の続きよりも、甘い蜜を吸い立てたかった。 追伸: もしもの為をと思って下記の通り、貴方様のお手紙を切り取って貼り付けておきました。私は一度読んだ内容はきちんと覚えていられる性質ですから、物忘れの心配はございませんので。 (手紙の最後に紙が貼り付けられている) 『人生とは何時でも遣り直しが利くと言いますが、何事も始める前には後ろを振り向かねばならず けれど私はその一手間をすることなく、この一年を過ごしてきたことに気づきました。 それは貴方が存じ上げている様な体裁でもなければ、金銭に限らぬ利益の話でもありません。 恥ずかしながら一年の空白を取り戻す為にも貴方にお願いしたいことは、この城に薔薇の苗を届けるということです。 朽ち果てた薔薇を植え替え、誓約を取り戻さなければならないのです。』 fin. [mokuji] [しおりを挟む] |