8月15日の追憶






 





 「でっかいの!今日も手紙だぞ!返事はいつ取りに来ればいいんだ?」
暖かな夕焼け色の小鳥がデゥケーンの肩に止まる。小さな嘴に咥えていた真っ白な封筒を受け取ると、ペーパーナイフで封を開けた。
 最近ではすっかり伝書鳥のようになっているキヴィットは、一つのルーチンワークを覚えたようで、デゥケーンの肩に止まったまま次の指示を待っていた。封を開けて便箋を開くと、代わり映えのない他所の城からの手紙であった。挨拶と、最近の流行りと、一口商売に乗れという、ありがちな内容だったが、最後の最後に一言だけ、追伸が書かれていた。


『あともう少しで、私と貴方の手紙も一年を迎えますね。』


 デゥケーンはその一文に囚われて暫くの間、思考が止まっていた。
 不信に思ったキヴィットがデゥケーンの頬を嘴でかりりと引っ掻く。その些細な痒さで我に返ると、小さな頭を指先で撫でてやった。嬉しそうに頭を差し出すキヴィットの囀りを聴きながら、「一年」という時間を憶う。

 一年前、自分はまだ野獣だった。
 姿を、心を、この部屋に隠して孤独の中にいた。赤い薔薇の花びらは枯れ落ち、迎えに来た「死」と「魔女」によってこの世を去らずに済んだのは、この橙色の小鳥が飛び込んできてくれたからだ。紡がれた命が保たれて一年が経った。「死」と「魔女」はまだ、迎えに来ない。
 忘れていた訳ではなかったが、生きるということは何分忙しい。生きようとすると準備がいる。生活水準を高めようとすると、さらにやることが増える。この一年、そうやって足掻いて生きて来た。童話の世界から空白の本に貼り付けられ、この世界にやってきてからというもの、昔の記憶がない。自分が何者なのかも分からないところから、一つ一つ、思う策を行使して積み上げてきたこの一年。不思議なことに、満足いく生活水準を保ち続けており、一日過ぎれば過ぎるほど、王座に君臨する者としての地盤を築いていった。帝王たる者の采配が自分には染みついているのだと、教えてくれたのはこの城に蓄えてあった本の数々である。その本棚も、定期的に解放して今では人を迎え入れるようになった。不思議なことに、人と接することがもう億劫ではない。ハロウィンも、星祭りも、当たり前のものと思い始めるくらいには、人が恋しいのかもしれない。
「…… 一年か、存外長かった気がするな…。」
 1日1日が、濃密であればこそ、そう思うものだろう。想起するきっかけとなった便箋をデスクの上に置き、新しい便箋を取り出して万年筆を取る。インクの蓋を開けると、キヴィットが肩から下り、デスクの端っこに止まって男を見上げた。
「でっかいの!僕のこと忘れちゃダメだぞ!いつ取りに来ればいいんだ!」
 返事を待っていたキヴィットに急かされ、時計を見上げながら数時間後の段取りを組む。
「………嗚呼、そうだな…1時間後に出せるようにするから、それまで好きにしろ。」
「遊んできてもいいのか?でも1時間じゃぁ中途半端だぞ!アキもココも海で遊んでるんだからな!海岸まで行って帰ってくるのは大変だし。ここで待っててもいいか?」
 羽をバサバサ広げながら抗議する姿を横目に捉え、デゥケーンはふぅと息を吐いた。この一年でありていのことは躾たつもりだから、騒ぎ立てることはしないだろうが、1時間もこの鳥は何をするというのだろう。暇を持て余させるということが好きではないので、妙にそこが引っ掛かった。秒針と足並み揃えた指先がトントンと拍を取りつつ、考え着いた提案を投げる。
「……なら、そこのテラスで歌って待っていろ。」
「歌っていいのか!僕、歌うの好きだぞ!」
「好きな歌で構わない。疲れたら休んでもいい。私が気に入る歌だったら、褒美をやろう。貰い物のケーキがあるから、それを全部食べていい」
「本当か!でっかいのはどんな歌が好きなんだ!?」
「ヒントはなしだ。」
 嬉しそうに捲し立てるキヴィットを他所に、デゥケーンはさっさと便箋に向き合ってしまう。成果の質に問わず褒美がもらえると思い込んでいるらしいキヴィットは、ばさりと羽ばたきテラスの手すりに飛びつくと、キュい、と喉を鳴らして準備を始める。デゥケーンが挨拶文を書き終えた頃、軽やかな歌声で紡がれたのは愛の歌だった。

 
 一年前だったなら、嫌いだったかもしれない。
 汚らわしいとすら、思っていたものだろう。
 今では複数人を紡ぐことも出来るのだから、男とは単純だが器用なものだ。
 純粋な愛を美しく尊いと思う一方で、他の女をリスペクトする。


<その薔薇の花びらが朽ちる迄に、真実の愛を見つけなければ、貴方は死んでしまうわ!>


 真実の愛とはなんだったのだろう。この歌のように取り繕うことのなく、余情の中に感じとるものが、現実の自分にも起こりうるのだろうが、「真実」という冠が付くと、とても難しいものの様に思う。
「……no one knows true love.…現実は歌詞の通りなのかもしれんな。」
 


 デゥケーンは返信を書き終え、神経質なほどにきっちりと角を揃えて四つ折りに畳み、封筒に差し入れた。真っ赤な封蝋に薔薇の印を捺してしっかりと閉じると、宛名を書き込む。キヴィットの歌の途切れも良い頃で、先ほどと同じ位置に羽ばたき止まると、デゥケーンの顔を覗き込みながら、「ケーキは?」と問う。調子のいい嘴を指先で挟みとり上に摘み上げてやると、バランスが取れずにひっくり返りそうになってバサバサと羽ばたき抵抗を示した。木漏れ陽の様な橙の綿毛が飛び散るのを見て、制裁を良しとすると、しょんぼり落ち込む鳥の足元に指先を持っていき、浚い上げてやった。
「封蝋が乾くまでに食べきることだ。余ったら他の客に回すからな。」
「やったー!全部僕のだぞ!どんなに大きくても全部食べるぞ!」
「腹を下さんようにしろ、あの兎にしゃしゃり出て来られたら敵わない。」
「うー?しゃしゃり出るってなんだ?ノンちゃんがしゃっしゃするのか?」
 しゃしゃり出る、という意味をキヴィットに教えてやる前に、脳裏を過ぎったのは彼女との出会いのワンシーンだった。何も予期しない所から現れた彼女とこの小鳥が今では家族となったらしい。自分と出会ってから後付けの様に家族になったらしいが、デゥケーンにしてみればそれは腑に落ちない話だった。当の始めから、家族だと言われた方が余程しっくりとくる。「蛙の子は蛙だからな、」と言いかけて、この言葉も飲み込んだ。血の繋がりはないらしい。デゥケーンは喉奥で小さく笑った後、ずっと返事を待っているキヴィットに「いつ来ても構わないが貞淑に振る舞えってことだ」と教えてやった。今度は貞淑の意味がわからないと言い始めるキヴィットに、「以前に教えた」と言い返す押し問答を繰り替えしつつ、デゥケーンはキヴィットを連れて食堂へと降りていく。そよぐ夏風に撫でられた封蝋を残して、扉はパタンと閉じられた。














『TO (BLANK)

(挨拶文を中略する)

追伸
昨年の8月15日、私はテラスで朝陽を眺めていました。
それは眩しくて、涼しくて、美しい陽光だったと記憶しております。
まるで神の恩恵が降り注いだかの様に真っ白な光を浴びて、私は今も生き永らえているのかと存じます。
人生とは何時でも遣り直しが利くと言いますが、何事も始める前には後ろを振り向かねばならず
けれど私はその一手間をすることなく、この一年を過ごしてきたことに気づきました。
それは貴方が存じ上げている様な体裁でもなければ、金銭に限らぬ利益の話でもありません。

恥ずかしながら一年の空白を取り戻す為にも貴方にお願いしたいことは、この城に薔薇の苗を届けるということです。
朽ち果てた薔薇を植え替え、誓約を取り戻さなければならないのです。






Cielo・Duquesne 』







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