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ホトトギスが鳴く春の陽射しが気持ちの良い昼下がりに、此処、福屋に流れるは三味線の微かな音。
誰もが知るその音の流れは、この季節になれば一度は何処かで聞きそうなものだと福屋の主は思った。


「お、金ちゃん来てるのかい?」


福屋には小さな喫茶スペースがあり、今は店の常連が茶を啜りながら今の季節の代表とも言える名前がついたその曲を、聞き逃さすまいと耳を澄ましていた。


「あぁ、いいねぇ。」


粋だねぇと客は呟いて、茶を啜る。







「こんちは、七盛さん。金造ここにおる?」


うっかり欠伸がでそうなほど平和な休日。久々にロッククライミングでもしに行こうか悩んでいると、お父の怒鳴り声が聞こえてきた。話を聞けばまた金造が修業をサボったらしい。どうせ福屋にいるんだから呼び戻してこいと言われたのが30分前のこと。
そんなこんなで折角の休日だったのにと、文句を言いながらも散歩がてら福屋まで徒歩でやって来たのだ。


「おう、柔ちゃん!!顔出すの久々やなぁ!金ちゃんならほれ!」


店の主人が指を指す方をつられて見てみれば、縁側の方から聞きなれた音が静かに流れていた。


「八恵も一緒か。」

「八恵が一番好きな花の曲やからなぁ。」

「ちっと上がらしてもらうで。」

「はいはい、帰りに練り切り持っててな。」


作業場を抜けて靴を脱いで揃えると、店主の自宅に上がっていく。
音を辿って行くと微かだが三味線のメロディーに添って歌詞が聞こえてくる。


さくら、さくら、弥生の空は……


日の当たる縁側を覗けば、直ぐに此方に気づいたのか歌は直ぐに止んだ。


「柔ちゃん。」


“声色”とは良くいったものである。
形のないものに色などあるわけがないのだが、八恵の声は少女のような、しかし大人の女を漂わせる落ち着いた薄桜色を思わせるそんな声だ。白く透けそうな肌に美しい黒髪を束ねた姿は、そんな儚げな声色がぴったりだ。
もともと昔から大人びていたが、(自分も幼い弟妹がいたためか歳の割りに老けていると言われたものだが)最近では、この辺りの地域では有名な美人の看板娘と噂され、父親であり店主である七盛さんのもとに数々のお見合い話が持ち寄られているとかいないとか…

そんな柔らかい微笑みを向けた八恵の声に、目を伏せて三味線を弾いていた金造の手が止まった。


「げっ、柔兄何しにきてん!?まさか…」

「そのまさかやドアホ。こっちは休みやっちゅうに…お父かんかんやで。」


やばいとか何とか言いながらばたばたと早々に帰って行った金造を見送ると忙しないなぁと笑った。
用事も済んだし自分もおいとましようかと思ったが、直ぐにお茶出すねと金造に出していたのであろう湯飲みを下げてパタパタと台所の方へ向かった八恵を止めるのも気が退けたので、折角だからこの見事な縁側を眺めていこうと胡座をかいた。
丁度桜が咲いていて、暫くじっと眺めていた。






「随分切ない顔で見るんやねぇ。」


お茶とお茶うけを持って隣に腰掛けながらそういった八恵の目が桜に向けられていたので、恐らくその事を言っているんだろう。


「そんな顔してたか?」

「少し…」

「兄貴のこと思い出してな。あと…ちょっとな。」

「あ、女の人やろ?」


覗き込んで、「桜に関する思い出話は男女柄みと相場は決まってるもんねぇ」とにやりと笑った。全く女のカンとは恐ろしいものである。湯飲みを受け取ると「まぁそんなもん」と曖昧に答えた。
八恵は、俺が学生時代に恋人がいたことを知っている。それがどんな風に始まって、どんな終わりかたをしたのかまでは話していないが、妹のような存在である八恵は頭もキレるが、カンも鋭い。特に聞かれたわけではないが、明陀のことを知ってはいるが直接関係はない八恵は丁度いい話し相手で、日頃の悩みや鬱憤を言い合う中でつい口にしてしまったのが始めだった。


「私も見てみたいなぁ。どんなにモテても興味を示さなかった柔ちゃんを落とした人。」


何処からそんな話を聞いたのか。
ふふんと笑うように言うと熱いのかちびちびとお茶を飲んだ。そんな大層な話ではないのだが、落とした落とされたで言えば、俺の方が先に惚れたので強ち間違ってはいない。
ハハッと笑った後に「お前もな!!」と返すと八恵の頭上にはクエスチョンマークが浮かんでいるかのように頭を傾けた。


「『町で噂の看板娘を誰が落とすのか!!』お見合い話が山程出てるって噂やぞ。」

「もう!からかって!!そんなのデタラメに決まってるやないの。」

「強ち間違ってはいないやろ?見合い話は出てるんやから。」


そう…
一度俺達の間で見合いの話が上がったのだ。

俺もいい歳だし、志摩の跡取りとして早々に妻を迎えるに越したことはないだろうと和尚さまの妻である虎屋の女将さんがその話を持ち出した。
まだまだお互い修業中の身であることや、お互いが跡取りと言うことで直ぐにその話はなくなったが、老舗である福屋の娘で年頃も若く評判も良ければ八恵に見合い相手がこぞってやって来るのも頷けた。


「まだ20代前半なのに結婚やなんて…それに私はお店を継ぐ身やから誰かに嫁ぐ訳にはいかないし…」


八恵の母親が亡くなったのは八恵が十六の時だった。昔から店を継ぐ気はあったが、高校卒業後は製菓の専門学校に行き、あらゆるジャンルの菓子のことを勉強して、伝統ある和菓子の他に新しい和菓子を作って福屋に貢献したいと常々話していたそうだ。しかし母親が突然亡くなり、母と仲睦まじかった父は暫く鬱ぎ込み、自宅から離れた場所の専門学校に行き、家を離れ父親を独りに出来ないと、卒業後は父の下で家事をしながら修業の日々を送っている。
父親である七盛さんは自分のせいで娘の夢を奪ってしまったと自分を責めたが、「もともと和菓子職人になるつもりだったし、そのぶん早くなれるんだから問題ない」と八恵は笑っていた。


「そうやなぁ、うちみたいに男兄弟がぎょーさんおる奴やないと婿にはこれんからなぁ?」


意味あり気に言えば、もう一度もう!と子供っぽく頬を膨らました。普段が大人びているからかその顔は新鮮な気がした。
八恵がお見合いを快く思っていないもう一つの理由を俺は知っていた。多分その事を知っているのは俺と…あと多分七盛さんも気づいてるだろう。


「お前は好きな奴と結婚するんやぞ?」

「……柔ちゃん…」


柔ちゃんは?と問うているような眼差しに気づかないフリをする。

何にしても、八恵は妹のようは存在で、是非とも本当の妹になって欲しいところだ。それにはまずどっかのアホにも頑張ってもらわなければならないのだけれど。



「柔ちゃん、好きな人出来たらお店連れてきてな?柔ちゃんが好きな練りきり作るから。」


眉を下げて微笑む八恵にありがとうと言い、頭を撫でた。


鶯の鳴く長閑な午後、24回目の春のこと。











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