1、氷の姫と闇の化け物





「うぁ〜……クソがぁ〜……」

ヴァリアー内執務室。

エメラルドグリーンの髪の少女が、机に突っ伏していた。

彼女はフィリミオ。

本人の意思に介せずして、ここヴァリアーに所属している。

特徴とも言える長い髪は、今や貞子よろしくな状態にあった。

それもそのはず。

目の前にあるのは書類でできたエベレスト。

彼女の本日のノルマだ。

それはもう、風紀委員としてこなしてきたものと負けずとも劣らない。

逃げたいと思う気持ちの反面、この部屋には外から鍵が掛けられている。

前科のあるフィリミオの事を、スクアーロが半監禁してしまったのだ。

しかし

「諦めると思うか、バァカ」

右手に力を込める。

それに伴って、漆黒の炎――夜の炎がリングから吹き出した。

「じゃあね、カス鮫」

炎の中に身を投げる。

夜の炎によるワープ、つまるところ脱走をしたのだ。

抜け出た先は、裏口。

幸運なことにそこには誰もいない。

不気味なほどに綺麗な弧を口許に描き、脱走と言う名の散歩に行こうと足を踏み出したときだった。

ぐらり。

視界が揺れる。

足に力が入らない。

身体が前にのめり、そして意識を失った。


†‡†‡†‡†‡†‡


「今日、転校生が来るんだってな!」

明るい声が聞こえて我に返る。

生徒たちの話し声が教室に反響していた。

……教室?

「要、大丈夫か?」

顔を覗き込んでくる、黒髪の男子。

“要”が自分であること、“彼”が親友である山本であることに気づくのには、時間を要してしまった。

ここは教室。

自分は要。

着ているのは学ラン。

紛れもない、並盛中学校。

(何でこんなところにいるんだ? イタリアにいたはずじゃ……)

あり得ない出来事に頭が混乱する。

しかしそうしている内に新島(担任)がやって来て、山本も話していた転校生の事を伝えた。

大人しいような乱暴のような音を立てて扉が開く。

そこから現れたのは、一人の男子だった。

少し長めの黒髪。

横髪をピンで×に止めている。

気だるそうな目は、辺りに鋭い視線を送っていた。

「迅雷空牙だ。一年よろしく」

至極簡単な自己紹介。

クラスの殆どが「それだけ!?」と思ったのにも拘わらず、要だけは彼から目が離せなくなっていた。

決して、柄にもなく一目惚れをしたわけではない。

ただなんとなく、自分と似た“何か”を感じていた。

それが何なのかは分からないのだが。

「それじゃあ迅雷は、山本の隣の席だ」

席に向かう空牙を見て、驚きの余りハッとする。

山本の隣は空席、更にその隣は自分。

つまり、空牙と隣の席である。

彼が着席するのと同時にチャイムが鳴り、新島は教室を出ていった。

一瞬の出来事。

本当に瞬く間に、空牙の周りを女子共が取り囲んだ。

要が「あ」の字を発する暇も与えることなく、非情にも女子の壁はは要を遠くへ引き離した。

性格上、この輪の中に入ることは不可能。

しかしながらも、彼女らの騒ぎは放課後になるまで絶えることはなかった。

転機は意外な形でやって来る。

話しかけることを諦め、窓から外を眺めているときだった。

「なァ、あんた」

「んー?」

呼ばれて振り返る。

呼び掛けてきたのは、他でもない空牙だった。

周りには、あの騒がしい女子共は一人もいない。

彼と話す絶好の機会ではあったが、待ちすぎたせいか、朝のテンションはどこにもなかった。

要の中では、すでに空牙は一クラスメイトでしかない。

「えっと、なんか用?」

「用って程でもねェが、あんただけが学ランってのが気になってな」

「あー、それか」

確かに、ブレザーやベストを着用している生徒の中に一人だけ学ランがいて、しかもそれが隣の席の人間ならば誰でも気になる。

「この腕章見えるか? 風紀委員の証だ。オレはその一人で、この学校を支配するこの組織は、何でか学ランの着用が義務付けられてんだ」

「へェ。あと、何で朝オレを見ていた?」

「朝?」

きっと、自己紹介の時のことだろう。

気づいていたのか。

いや、あれだけ見られていれば誰だって嫌でも気配は感じるか。

「大した意味はねぇよ。ただ、何か似てると思っただけだ」

「似てる? 誰と」

「オレと」

「は? んなのあり得ねェ。そしたらあんたも化け物かって……いや、気にすんな」

「?」

最後に聞こえてきた言葉が何か気になる。

本人が気にするなと言うのだからそうするが、何か引っ掛かる。

それはかつて、自分にも似たような言葉を浴びせられていたから。

「死神」だ、と。

「そんで、えっと、あんたは……」

「霜月だ。霜月要、よろしく」

「そか。霜月に頼みたいことがあるんだが」

ん、と要は小首を傾げる。

「これから、並盛の案内してくんねェか?」

風紀委員ならば、ここを支配しているのならば、よりこの町に詳しいのではないか。

そう考えての頼み事だった。

対する要は、笑顔で親指を立てていた。

OKサインである。

それを見た周りの人たちがダサいと思ったのはまた別の話である。

短刀しか入っていないスクールバックを持ち、席を立つ。

一緒に帰ろうと言う山本に断りを入れ、空牙と共に教室を出た。

「あの二人いつの間に仲良くなったのな?」

「……さあ?」


†‡†‡†‡†‡†‡


愛車となりつつあるバイクを使って、並盛を巡回する。

何で中学生なのにバイク、とか、何で霜月が運転してオレが後ろ、とか、何でノーヘル、とか色々と空牙に突っ込まれはしたが、すべてスルーした。

案内場所何個目かの並盛神社にて、参拝を終えて次の場所に向かおうとしたとき。

「ん、あれ?」

「どうした?」

「バイクの調子が悪ぃんだ」

いくらアクセルをふかしても、空回りしてしまうだけで動く気配がない。

何度繰り返そうと、結果は同じだった。

「ちょっと悪ぃ」

空牙をどかし、エンジンの様子を見る。

それは、なんとも信じ難い状態だった。

エンジンの一部が腐敗し、ダメになってしまっていたのだ。

使い始めてから一年経つかどうかの時期だと言うのに。

その時、要の後ろで空牙が苦い顔をしていたのに、彼女は気づかなかった。

「しゃあねぇな。凍らせてどうにかするしかねぇな」

「凍らせる?」

彼のすっとんきょうな声に返事することなく、要はスクールバックから短刀を取り出した。

マフィア捕獲大作戦以降、人前で斬魄刀を始解させることに何の抵抗もなくなっていた。

故にこうして、空牙の目の前で解放してしまうわけで。

唖然としてしまった彼をさておいて腐敗部分を凍らせてしまう要。

普通に考えてみよう。

エンジンを凍らせたところで不調が直るなんて聞いたこともない。

むしろ、危険なのではないだろうか。

それでも、

ブロロロロロ

「よし」

「かかった!?」

不可能も可能になってしまうのが要の特性な訳で。

「んじゃ行くか。並盛商店街」

自分以上に理解し難いこの少女について考えながらも、空牙はまたバイクの後ろに跨がるのであった。


†‡†‡†‡†‡†‡


並盛商店街。

並盛町で最も栄え、最も住民に馴染みのある場所である。

そんな場所を歩く、異様な凸凹コンビ・要と空牙。

「んで、そこが服屋であそこがアクセサリーショップ。向こうにあるのはゲームセンターだ」

一つ一つご丁寧に説明をつけながら歩く。

その詳しさに空牙が若干引き気味なのは、スルーしておこう。

「あ、迅雷。ちょっと寄り道していいか?」

「別に構わねェが」

「サンキュ」

言うが早いが、要は近くにあった店の中に走っていった。

『ラ・ナミモリーヌ』の看板を掲げたそこは、並盛の女子に大人気なケーキ屋である。

数分後戻ってきた要は、両手にケーキの袋を提げていた。

「お前まさか、それ全部食う気じゃ」

「悪ぃか」

ちなみに、中身はすべてチーズケーキ。

お忘れかもしれないが、要はチーズケーキ以外のケーキが食べれない上に、これが大好物なのだ。

その後も、あちらこちらと見て回り、楽しい時間を過ごす。

今日初めて会ったばかりの二人であったが、まるで前から知っていたかのように、とても気が合った。

しかし、事件は起こった。

商店街を抜け、帰ろうと大通りに出たときだった。

プアアアァァァァッッ!!

聞いたことのある、大きなクラクションが鳴り響く。

「ん?」と呑気に振り返った空牙に対して、要の反応は素早かった。

彼女の視線の先にいたのは、一人の女の子。

足を挫いてしまったのか、道路に踞ったまま泣きじゃくっていた。

そんな彼女に迫るのは大型トラック。

周りにいる人々は、ただ騒ぐだけで誰も助けようとしない。

「マジぶっ殺すぞ偽善者共が!」

考えるよりも先に走り出す。

ブレスの力を借りて、そのスピードを速める。

「間に合えッ!」

道路に飛び出し、少女を抱き寄せる。

トラックは既に目と鼻の先だった。

コスモを助けたあの日と、今の状況がダブる。

(やっぱ、ダメなのかな)

覚悟はある。

せめて少女だけはと自分の無力さを悔いながら、静かに目を閉じた。

しかし、いくら待とうとも来るべき衝撃はやって来ない。

恐る恐る目を開けたそこには、驚くべき光景があった。

「無鉄砲にも程があんじゃねェの?」

何トンあるかわからない大型トラック。

それが、空牙の“片手一本”によって、止められていた。

等の本人は、苦しげな表情ひとつ見せない。

「怪我、ねェか?」

「じ、迅雷……お前」

「馬鹿力くらいしか取り柄がないんでね」

にっと笑ってくる。

要もまた、にっと笑い返した。

その後、怯えている少女の親を探したり、トラックの運転手を説教しまくった後に警察につき出したりと、事後処理に追われる。

なんとか一段落して、二人でホッと息をついた。

「ば、化け物!」

それは、野次の中から聞こえた叫び声だった。

さっきの事件を見てしまった主婦が発したものだった。

「てめぇ、今なんて」

「待てよ霜月」

「迅雷!?」

掴みかかろうとした要のことを、空牙は優しく制した。

納得いかない。

そう訴える視線に、彼は静かに答えた。

「慣れてんだよ」

諦めたような、寂しそうな声だった。

要はその横顔に、かつての自分を重ね合わせていた。

「死神」と呼ばれ続け、迫害され続け、人との関係を断ち続けた自分と。

自分と何か似ている。

やっぱりそう思わずにはいられなかった。


何でそんな悲しそうな顔をするんだよ。

空牙は思った。

化け物と言われることに慣れていると言うのは本当のことだ。

もう、どうでもいい。

それなのにどうして、隣にいるこいつは、自分のことを見上げながらこんなにも悲しい顔をしているんだ。

見ていられなかった。

「霜月、ちょっといいか? 寄りたいところがある」

「え、ああ」

空牙に手を引かれて商店街へと戻る。

彼が向かったのは、アクセサリーショップだった。

ただ、前に凪と訪れた店とはまた違う、シックな雰囲気の店だ。

「アクセサリー好きなのか?」

「んー、さあな?」

「さあなって……」

薄っぺらい笑みを浮かべて、空牙は店内へと消えた。

店の窓から中が見える。

そこからは、空牙が慣れた様子で何かを買っているのが見えた。

暫くして出てきた彼の手には、二つの小さな箱が収まっていた。

その片方を要に渡す。

「開けてみろ」

言われた通りにする。

すると、中から白いリングが現れた。

なんだか普通のリングと違って小さい気がする。

「よくわかんねェが、ピンキーリングっつって小指にはめるヤツらしいぜ。あんたは白でオレが黒。お揃いだってよ」

「どうして……」

「うまく言えねェけど、友達の証、みたいなもんだ。オレの柄じゃねェが……」

一瞬、要の時が止まった。

友達の証。

それを誰かに言われたのは初めてだった。

凪の時は自分が言ったし、山本とは誕生日にもらったメタルストラップが一つある。

それだけれども、空牙は言ってくれた。

出会ってからまだ一日も経っていないと言うのに。

「迅雷……サンキュな」

それは、一番の笑顔だったのかもしれない。

もしかしたら。

空牙の方も、さっきとは違う、笑顔を見せていた。


†‡†‡†‡†‡†‡


帰り道。

辺りは既に暗く、街灯の光が頼りになる時間だった。

バイクはとりあえずは神社に置き、今は二人で歩いている。

どうやら途中までは同じ道らしい。

要はしばらく考え込んでいた。

自分について、空牙について。

「なあ、迅雷」

「ん?」

「お前にだったら、言ってもいいのかもな」

「何をだ?」

歩く足を止める。

くるりと振り向いて空牙を見つめた。

その顔を眩しい光が照らす。

「実はオレさ――」

刹那、要が視界から消えた。

代わりに見えたのは、通り過ぎて行った一台の車。

「霜月ィィッ!!」

空牙の叫び声が、夜の並盛町に虚しく響いた。


†‡†‡†‡†‡†‡


「……ちゃん……フィリちゃん!」

はっ。

気がつくと、白い部屋だった。

すぐそこに私の顔を覗き込むルッスーリアがいる。

え……?

ここは、ヴァリアーの、医務室?

「私、一体」

「裏口で倒れていたのよ。任務帰りのベルちゃんとマモちゃんがちょうど裏口を通ったからよかったけど」

そうだ。

あのとき、視界が霞んで、そして、気を失ったんだ。

つまり、今までの出来事は、すべて、夢……。

並盛に帰りたい私の気持ちが見せた、幻影。

迅雷空牙。

なんだかずいぶんと面白い人に出会ったもんだ。

「聞いてるの!?」

「うえっ? あ、ごめん。まったく」

「んもう、だから、スクアーロには私から言っておくから、変に無茶しないの」

「へーい」

このままだと説教が長くなりそうな気がして、頭から布団を被った。

その時、頬に何か固いものが触れた。

そっと見てみると、白いピンキーリングだった。

(まんざら、夢でもないらしいな)

ふっと笑う。

全体重をベッドに預け、私は再び目を閉じた。

いつかまた、彼に会う日が来るのを信じて。




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